佐久早聖臣の場合





「俺の邪魔したいわけ?」

一年付き合った彼の口から出た言葉は信じられないものだった。体育館が点検で部活がない日。久しぶりに一緒に帰れてワクワクしていた私はどん底に突き落とされていた。

「なんで、そんなこと言うの……」

隣を歩く聖臣が何を考えているのか全く分からない。

「会う度会う度、時間作ってって言われるのしんどい」

それを聞いて納得した。
そうだね、あなたはバレーで忙しいから。
邪魔したくない気持ちの反面、それ以外の時間くらいは私のことを思ってて欲しくてついワガママが増えた。会いたい、デートしよう、一緒にご飯食べるくらいの時間も作れないの?私といたくないの?
多分、聖臣はうんざりだったんだと思う。
彼のことは大好きだ。だから、邪魔もしたくない。

「……そう。ごめん」
「うん」
「じゃあ、もう、ここで終わりにしよう」
「……わかった」

そう言ってどんどん先に行ってしまった彼の背中を見つめることしか出来なくて。振り返りもしない彼に、私は罪悪感が募った。多分、本当に限界まで彼を付き合わせてしまったのだろう。
それはそれは淡白な別れだった。こんな時まで素っ気ない。
貴方の横にいるのは、私であって欲しかったのに。私は自分のことが大事で、聖臣のことも、二人の関係も、ちゃんと考えたくなかったんだと思う。逃げた、と言われればそれまでだ。

それでも私は意地が悪いから、別れてからもこっそり彼を追っていた。周りから見たら、気持ち悪かっただろう。元カノが試合を見に来ているのだから。
でも、彼には気づかれることはない。だって、聖臣は私の事なんか一ミリも考えていないのだから。
雑誌に彼が載ればどんな小さな記事でも買った。そんなことをしたって、彼のことがわかる訳でもないのに。
試合会場で聖臣を見て、その安定したプレーに嫌気がさす。私がいなくても、彼の世界は正常に回っている。壊れてしまった私の世界とは正反対だ。

そして私は、彼と別れてから一年が経ってもこうして試合会場に足を運んでいる。大きな大会の大きな会場だ。絶対にバレない。そう思っていた。



「……栞」



聖臣の試合まで時間があったため自販機でお茶を買おうとボタンを押した。その瞬間、後ろから名前を呼ばれ、私の肩が跳ねた。

「きよ、おみ」

振り返ればそこにはいつも通りの彼がいて。表情も読めないし、どうして声をかけてきたのかも分からない。私は今何をするのが正解なのか全くわからなかったけれど、取り乱すことだけはしたくなかった。
心臓の激しい動きに反して頭は冷静だった。

「どうしたの?」

そう言いながら自販機の取り出し口に手を伸ばしお茶を掴んだ。何がどうしたの、だ。言われるセリフは決まってる。なんでいるんだ、もう来るな、気持ち悪い。そんなところだろうか。

「今日も見に来てたんだな」

その言葉に私は目を見開いた。今日“も”って言った?それは過去にも見に来ていたことを知っている口ぶりで。
私は別れてからも聖臣を追っていたことを知られていたという羞恥心でしばらく言葉が出なかった。

「……ごめんなさい」

やっと絞り出した言葉がそれだった。他になんと言えばいいのだろう。試合の前の聖臣に、モチベーションを下げるようなことだけはしたくなかった。
今の彼に、私の気持ちなんて関係ない。
お茶のボトルをぎゅうと握って私は会場の出口に向かおうとした。

「正直な話、」

彼の言葉に私は立ち止まるしかなかった。それに、自ら話す聖臣に違和感を感じる。立ち止まった私は振り返るなんて出来なくて、彼に背を向けたまま返事をした。

「……なに」

その後に続く言葉は想像も出来ないけれど、ちゃんと受け止めよう。そう思った。
目をつぶり、彼の言葉に耳を澄ます。多分、これが彼からの、私への、最後の言葉だ。




「俺まだ、お前のこと好き」




この世から聖臣の声以外の音が全て消えてしまったのかと思うほどに、それはちゃんと私の耳に届いた。これは、都合のいい夢なんだろうか。けれど、こちらに向かって歩いてくる足音と私のブラウスの裾を引っ張る感覚でこれは現実なんだと実感した。聖臣が、私の服を掴んでる。

「でも、俺はお前のこと幸せにしてやれる自信はない」

鼻の奥がツンとした。彼は彼なりに、私のことを考えてくれていた。その事実だけで、私は十分だ。

「俺はバレーよりお前のこと考えられないし」
「……うん」
「お前が望むようなことはしてやれない」
「うん」

聖臣が私のブラウスから手を離した。肩から消えた僅かな重みに、私は深く息を吐いて振り返り、彼を見た。
ああ、この角度で彼を見上げていたのが懐かしい。

「私も聖臣のこと好き。でも、聖臣のことを支えられるかって言われたら、自信ない」
「うん」
「多分また、聖臣が嫌がるようなワガママ言っちゃうから」
「だろうな」

聖臣はそう言って苦笑した。

「聖臣」
「うん?」

少しだけ首を傾げる聖臣がこんなにも愛おしい。
けれど、私たちはの運命は、ここが終着点だ。

「私、こんな“好き”があるなんて知らなかったよ」

聖臣は少しだけ目を見開いて、納得するように視線を床に落とした。

「……ああ」
「聖臣のバレー、応援してる」
「ん」

ほんの少しだけ聖臣の広角が上がったのがマスク越しにわかる。

「あのさ、私の最後のワガママきいてくれる?」

そんなことを言われるとは思ってもみなかったのだろう。少しだけ眉をひそめた彼に私は続けた。

「ハグしたい」
「……」

あ、嫌そうな顔した。
露骨に眉間に皺を寄せた聖臣に、私はくすくすと笑った。

「ふふ、ごめん。嫌だよね」

そう言って私は一歩下がった。ここは試合会場で、それも試合前で。そんなこと、彼が絶対に受け入れるはずがない。
多分、彼とこうして話すのも最後だ。最後くらいは笑って終わりにしたい。笑顔を向けて、じゃあ、と言おうとすれば聖臣が一歩こちらへ踏み出してきた。

「え、?」

ふわっと覆われた体にぶわっと熱がこもる。薄く香る聖臣の匂いに、頭がくらくらした。

「別に、嫌じゃない」
「聖臣……」
「栞ならいい」

聖臣も最後だと分かっているからだろうか、背中にまわす腕がいつもより少しだけ強くて、優しかった。

「……ずるいよ」
「うん」


最後の抱擁
大好き、でもごめん
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