松川一静の場合



貴方の事は、何でも知ってると思ってた。
好きな食べ物。色。服の好み。
怒る時に言葉遣いがちょっと荒くなること。
デートの時必ずつけてくるボディミストの匂い。
抱きしめる時に私の首筋に顔を埋めるのが好きなこと。
貴方が普段、考えていること。
全部全部、知ってると思ってた。



「友達に戻ろう」



そう言われた時、私は貴方のことを何も知らなかったのだと、思い知った。











「は?」
「だから、別れた」
「……は?」
「一静と、別れたの」

そう伝えれば、及川がこれでもかと言うほど目を見開いた。あの綺麗な顔が、ぽかんとしているのは面白い。

「待って待って」
「うん」
「まっつんと、別れた?」
「うん」
「……え、なんで」
「及川は何も聞いてないの?」
「聞いてないよ!」
「私も聞いてないんだよね」
「え、なんなのお前ら」

知っているかもしれないと思って及川に伝えたが彼は知らせてなかったようだ。

「なんなんだろうね」
「いや待ってよ、付き合って長いでしょ」
「うん、中二から付き合ってた」

今高二だから四年目突入だったんだよね、と言えば及川の眉間にシワが寄った。

「その様子だと、まっつんから?」
「……うん」
「何て言われた?」
「“友達に戻ろう”って」
「で?なんて答えたの」
「“わかった”って」
「理由は?」
「聞いてない」
「馬鹿なの?」
「……他に好きな子出来たとか、飽きた、とかじゃない?」

平然と言ってのけた私に及川が一瞬押し黙った。

「……いいの、それで」
「良いも何も、お互い好きじゃなきゃ成り立たないものでしょ」
「随分あっさりしてるね」
「……そういうとこが嫌だったのかもね」
「春原ちゃん……」

多分、出会った時期が早すぎて、一緒にいる時間が長すぎたんだと思う。中学の半分以上一緒にいて、高校も入学してから丸一年一緒にいた。事実、近頃の私たちに“新鮮さ”はなかった。

「私、多分さ、死ぬまで一静のこと好きだと思う」
「急に重い」
「でも、一静はそんなこと望んでないんだよね」
「……」
「一静の隣、もう歩けないんだね、私」
「……」
「一緒に映画も見に行けないし、花火大会に浴衣デートも出来ないし、……一静に笑いかけてもらうことももうないんだね」
「……春原ちゃん」
「一静とさ、同じ景色を一緒に見たいだけなんだよ」
「……」
「好き、なのになあ」

ポタポタと落ちる涙は、拭う間もなくとめどない。及川が何も言わずに差し出したポケットティッシュを受け取り、目元を押さえた。こういうとこ、マメなんだから。

「俺、まっつんに……」
「ううん、大丈夫」
「……いいの?」
「うん」
「友達に、戻れるの?」
「ふふ、それは無理だなあ」

友達に戻ろう、と言われても実際には無理だ。だって、私にとっては永遠に友達とは思えない人なのだから。一緒にいられないなら、縁を切る。友達として彼のそばにいて、彼の隣に私以外の女がいるなんて、耐えられない。

「だから、みんなとも少し距離置くかも」
「……わかった」

岩泉とも花巻とも少し気まずくなるだろう。その辺も及川にカバーしてもらわなければ。

「話、聞いてくれてありがと」
「春原ちゃんは、幸せになれるよ」

及川のその言葉に、思わずぽかんとしてしまった。

「ふふ、何それ。でもちょっと元気出た」

その日以降、及川と話す機会も減った。















「……春高?」
「そう!俺たち最後の春高!県予選!おいでよ!」

放課後、トーナメント表を突き出しながら私にそう言った男は、何を考えているのか分からない。ここ一年くらいはあまり話してなかったのだけれど。早く帰りたいんだけど、と言ったのに誰もいない教室に囚われている。

「貴方を応援してくれる子なら沢山いるじゃないデスカ」
「ねえその棒読みやめて!」
「頑張れ〜」
「何その心がこもってない応援!」

プリプリと怒るとは、多分今の彼のことを言うんだろう。

「私は行かないよ」
「え〜」
「……邪魔になりそうだし」
「邪魔って?」

そう笑顔で聞いてきた及川の顔面に拳を喰らわせたくなったが、何とか耐えた。

「分かってるでしょ」
「ん〜?」
「……怒るよ」
「ごめんって!でもいいじゃん、まっつんの応援してあげてよ」
「……はァ?」
「え、なんでそんなに怒って……」

なんと無神経な男なのだろう。もう別れて一年半も経つと言うのに。それに、今、彼の隣には私じゃない人がいる。無駄に恋愛経験豊富なこの男なら分かりそうなものじゃないか。

「及川なら分かるでしょ。元カノが見に来るなんて、彼女はいい気しないって」
「彼女?」
「そう、彼女。それに本人だって、嫌だと思うし」

あれから一静とは一度も話してない。別れてすぐ、彼が私に話しかけようとしたことは何度かあった。でも私はそれをありとあらゆる手段で拒絶した。しばらくして彼も私に接触しようとはして来なくなったし、私は平穏な気持ちでこの一年半を過ごしてきた。
けれど、半年くらい前に彼女の存在を知った。ゴシップ好きの同級生が話しているのを偶然聞いてしまったのが運の尽きだ。二つ下の料理研究部の、小柄で華奢な女の子。
知った日の夜は、泣きたいだけ泣いた。泣くだけ泣いて、この諦めの悪いずるずると引きずっている思いを断ち切ろうと決めたのに。今更、私にどうしろと言うんだ。

「まっつんの彼女って、」
「もういいから」

及川の言葉を遮って、私は背を向けた。

「え!?ちょっと待ってよ!」

及川に掴まれた腕が熱い。

「……離してよ」
「やだ。春原ちゃん、自分から幸せ逃してる」
「何言ってんの。及川、私に幸せになれるって言ったじゃん」
「はあ、もう本当に馬鹿」
「及川にだけは言われたくないんだけど!?」
「それってどういう意味!?」

掴まれた腕を振り払おうと力を込めた瞬間、懐かしい声がした。


「何してんの」


及川がやば、と呟いた。
頭では振り返ってはいけないと思っているのに、体が動いてしまった。扉の方を見れば、彼が立っている。夕方の教室は西日がさしていて、オレンジ色に浮き上がる彼がそこにいた。

「……ごめん、私帰る」

力が緩んだ及川の手を振り払い、私はバッグを掴んだ。

「待って」

惚れた弱みなのだろうか。彼にそうお願いされてしまえば、私の体は動かない。
足音がこちらに近づいてくる。私の正面に立った彼は、きっと私を見下ろしている。でも私は顔を上げることなんて出来なくて、彼のブレザーの合わせ目をじっと見つめた。

「及川と何話してたの」

及川がいた方を振り返れば、知らぬ間にいなくなっていた。くそう。

「……春高の、予選の話」
「及川はなんて?」
「……見に来いって」

ふーん、と気の抜けた返事をした彼は言葉を続けた。

「来ないの?」
「……うん、行かないよ」
「どうして」
「どうして、って……私は部外者だし」
「応援に部外者もなにもないんじゃない?」
「応援、は、してる」

行かないだけ、と言えば、彼も何も言わなくなった。沈黙に耐えきれず、ぎゅっと目を閉じた。

「俺さ、本当に馬鹿だった」

唐突なその言葉に思わず目を開け、顔を上げてしまった。下がっている眉をさらに下げて、彼は続けた。

「栞のこと、何も分かってなかった」
「え……」
「栞が俺の事、どれだけ好きでいてくれたのかとか、考えてなかった」
「……」
「一緒にいる時間が長くて、そばに栞がいるのが当たり前で、高校進学して新しい出会いもあって、俺なりに考えたつもりだった。俺は栞じゃなくても大丈夫なんじゃないかって」
「……うん」
「でも、間違ってたって今ならわかる」

不意に彼の手か私にのびる。指で触れられた頬にぶわっと熱が籠る。

「栞のことが好き」

私のことが、好き?
私は咄嗟に彼から一歩退いた。

「やめて」
「え?」
「いいよ、そこまでしなくて。応援に来て欲しいなら、行くから」
「何の話、」
「それは、こっちの台詞。自分が何言ってるのかわかってる?」
「栞?」
「彼女さん、悲しむよ」

そう、彼には既にいるのだ。応援して、支えてくれる人が。それなのに、私にそんなことを言うなんて、どうかしてる。この男はそこまで自分勝手だっただろうか。

「春高予選、見に来てくれるんでしょ。応援してくれる人なら、既にいるじゃん。私なら、元カノが来るなんていい気しないよ」
「待って、俺話が掴めないんだけど」
「え?だから、彼女の立場からしたら元カノは、」
「俺、彼女いないけど」

シン、と全ての音が消えた。彼女、いない…?

「いやいや、なんでそんな嘘つくの」
「嘘じゃない。誰の話?」
「わ、私知ってるんだから!一年の料理研究部の子!黒髪で小柄な、」
「ああ、……なるほど。もしかして噂とかになってる?」

妙に納得した顔でこちらを見る一静に、少し声が小さくなる。

「……半年くらい前から」

へえ、と他人事のように呟いた一静はそのまま私に微笑んだ。

「それ、従妹」
「い、とこ……?」
「そう、母方の従妹。家が近くて、アイツ一人っ子だから、俺の事兄貴みたいな感じで慕ってるだけ」

入学してから不安なことが多かったらしく、一静のところに来て色々聞いていたらしい。そのお礼にと料理研究部で作ったものを時々貰っていた、と。
その言葉に、何かがぶわっと込み上げる。喉の奥が痛くて、心臓がぎゅっと収縮して、手のひらが一気に熱くなる。
一静に彼女はいない…?

「…………ぅえ、」
「うえ…?」
「うわぁぁあああん!」
「え、ちょ、ま、」

漫画みたいに、滝のように涙が出てくる。どう頑張っても止まってくれないのが分かるから、止めようともしなかった。

「いっせいのばか!!!」
「…うん、俺が馬鹿だった」
「本当に、本当にばか!」
「うん」
「好きだ!ばか!」
「……うん。俺も好き」
「私は、一静じゃなきゃ、だめなのに」
「うん。俺も、栞じゃなきゃダメみたい」

子供のように泣きじゃくる私に一静は笑っていた。

「ひっく、…一静」
「ん?」
「一静に、触りたい」
「はは、うん。いいよ」

私を引き寄せ、腕の中に閉じ込めた。そして私の首筋に顔を埋めた。
私の知ってる一静だ。私の知ってる一静がこんなにも近くにいる。

「ふふ、一静だ」
「うん?」
「んーん、なんでもない」


取り戻した未来
もっともっと
貴方の事、知らなきゃね

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