赤葦京治の場合




「赤葦くん」
「……春原さん」

寒い日だった。芯から冷えるとは多分今日みたいな日のことを言うんだろう。
一年近く付き合っているのによそよそしい恋人に、私は気持ちを決めた。

「今から部活?」
「うん。でも少しなら大丈夫だけど」

あまり表情を変えずにそう言った彼に、私は深く息を吸った。

「ありがとう。じゃあ、早めに済ませるね」
「うん?」
「私と別れてほしいの」
「…、別れる?」

一瞬言葉に詰まったように見えた彼だけど、すぐに言葉を紡いだ。その表情に、変化はない。

「私たち、一緒にいる必要ないなって思ったの」

それは本当だった。彼の一番はバレーボールだ。それを否定する気はない。けれど、彼はそもそも私に興味が無い。彼は私の誕生日を知らない。聞かれもしなかった。私は彼の誕生日をお祝いしようとした。けれど部活が忙しいからと当日はお祝いできなかったし、後日渡したプレゼントも使っている様子はない。普段使いしやすいように、スポーツタオルセットを送ったのに。奮発して良い物を送ったつもりだ。オプションで彼のイニシャルの刺繍も入れた。お店の人に「喜んでもらえるといいですね」と言われて、舞い上がっていた。それなのに。そのタオルを使っているところを一度たりとも見たことがない。
明らかな事実として、彼は私のことを好きではないのだと思う。

「……他に好きな人出来たの?」

これを否定しなければ、私は傷つかずに彼と離れられる、そう思った。私が黙っていると、彼はすぐに言葉を続けた。なんだか、それが義務であるみたいに。

「俺は、春原さんのこと好きだよ」
「……それは違うよ」
「違うって何」
「赤葦くん、多分勘違いしてる。一年も恋人って関係だったから、情が湧いてるだけ」
「……そんな、」

そんなことない、と言いたいのだろう。でも無理がある。きっと彼は、私のことを女避けくらいにしか思ってない。

「私があげたタオル、使ってくれないね」
「え?」
「今バッグから見えてるタオル、それ使ってるのよく見るけど、ファンの子から貰ったやつでしょ」
「……いや、」
「知ってるよ。貰ってるところ見てたから」

多分、私のクラスの子があげてたやつだ。彼女は、私が彼と付き合っていることを知っていて差し入れていた。そして、彼がそれを使ってくれている、と嬉しそうに言っているのを聞いた。多分、私に聞こえるように言っていたんだと思う。

「春原さん、」
「わたし、赤葦くんが分からないの」

あまり表情のない彼だけど、なんと言おうか悩んでるんだろうな、というのはわかる程度に表情には出ていた。

「……ごめん」

やっと彼が紡ぎ出した言葉はそれだった。それは、何に対しての謝罪なの。

「……この一年、ありがとう」
「待って」
「バレー、頑張ってね」
「ねえ、」
「赤葦くんならきっとすぐレギュラーになれるよ」
「春原さん、」
「……じゃあね」

その場から立ち去った私を、彼が追いかけてくることはなかった。それが、私たちの全てだと思った。










「ねえねえ栞!」
「……何ー」

昼休み、ポケーっとしながらいちごオレに刺したストローをくわえていると、友達から突然かけられた。なんだか嫌な予感しかしない。

「週末の男バレの試合一緒に、」
「やだ」
「断るの早いよ〜!」

そう言いながら私の肩をガクガクと揺さぶる彼女は木兎先輩のファンだ。

「もう今年しか木兎さんの試合見れなくなるかもしれないんだよ〜」
「……ま、先輩三年生だからね」
「近くで見れるの最後の年だから出来るだけ通いたい!」
「そんなに好きなら一人で行きなって」

彼女は一年の時から木兎先輩のファンのようで梟谷の試合には結構な頻度で通っていた。だから、私たちは会場で知り合い今のような関係になった。けれど、彼と別れてからは私は試合を見に行かなくなったし、彼女とも少し疎遠になっていた。けれど学年が上がり同じクラスになったことで、またこうしてよく話すようになった。

「一人だと感動を共有する人がいないじゃん」

木兎さんのかっこよさを語るにはバレーの知識が必要でしょ?栞ならバレーのルール知ってるし、という彼女はまるで恋する乙女だ。

「……ねえ、本当に好きじゃないの?」
「好きってそれチューしたいとかそういうやつ?」
「うん」
「それはないわ」

そう真顔で言ってのける彼女は、少し遠い目をしていた。

「私は木兎さんのプレーが好きなの。本っ当にバレーをしてる時“だけ”はかっこいい」
「それ以外は?」
「お馬鹿さんって感じ」

逆にそこまで言えてしまう彼女に若干の賞賛を送りながらも私は再度お断りをした。

「木兎先輩愛はわかったけど、私は行かないよ」
「……まだ好きなくせに」

彼女は私が彼を振った理由を知っている。当時から相談していたから。

「やめてよ」
「いいじゃん、見に行くの付き合ってよ」
「やだ」

頑なな私に彼女はため息をついた。

「……あんなに応援してたのに。レギュラーになった赤葦くん、見なくていいの?」

ドキ、とした。確かに一年前は彼がレギュラーになれるよう応援していた。応援と言っても練習を見に行ったり、トス練習に付き合ったり、その程度だったけれど。

「それは、…当時付き合ってたからであって……今は関係ない」
「本当に頑固だなー」
「うるさい」
「じゃあ一試合だけ!」
「やだ」
「一セットだけ!」
「……それ私行く意味ある?」
「ある!」

こうなったら向こうに諦めてもらうしかない。

「……スタバの新作」
「いいよ!奢る!」
「一番大きいサイズ」
「……わかった」
「チョコチップ追加で果肉増量」
「…………わかった」
「それを三回」
「………………わかった」
「ほんとに?お小遣いやばいとか言ってなかった?」
「これも木兎さんのかっこよさを語るため……!」

そんなに見に行きたいのか。本当に三回も奢ってもらう気はないけれど、ここまで来ると彼女の熱意に根負けした、というのが事実だった。

「……分かったよ」
「え?」
「試合、ついて行ってあげる」

本当に!?と言いながら私の肩を前後に揺らすのをやめて欲しい。

「後で詳細送るね!」
「はいはい」

練習試合は対音駒らしい。去年も見に行ったな、と思いながら半年前に思いを馳せた。


「わたし、赤葦くんが分からないの」
「……ごめん」


あの時の彼の顔は、今でも覚えてる。その時感じたことは、私が彼にこんな顔をさせたんだという罪悪感と、もうその顔を見たくないというわがままだった。やめやめ。こんなこと考えても、仕方がないのだから。









「ねえねえ!!見て見て!!」
「……見えてるよ」

バシバシと私の肩を叩く彼女にそう答える。そう、見えてる。アップをしている木兎先輩ならこの体育館の中にいれば誰からでも見える。
出来るだけ音駒の方を見ている私は、彼女に声をかけられなければ梟谷の方を見ないようにしていた。

「ねえ見て!!スパイク練始まる!」
「うん、そうだ、…ね」

思わず梟谷の練習に目を向ければ、赤葦くんが目に入った。それはそうだ、木兎先輩にトスを上げるのは彼なのだから。

「あかーしー!!」
「……はい」

本当に、レギュラーになれたんだなあ、と少し口が緩む。横でニヤニヤしている友人を肘で突いた。痛い、と聞こえたが知らぬふりだ。

「ねえねえ、声かけなくていいの?」
「…………は?」
「試合終わった後に、さ」

それは赤葦くんに、ということなのだろう。それは、ありえないよ。

「まだ試合始まってもないのに何言ってるの。それに、そんなことはしません」
「ふーーん」

何か言いたそうな彼女に今度はこちらから声をかける。こっちもからかってやろう、そう思った。

「あんたこそいいの?」
「なにが?」
「愛しの木兎先輩に声かけなくて」
「……そうだね!」

へ、という私の声と彼女が立ち上がったのは同時だった。

「ぼくとさーーーん!!!」

彼女の元気のいい声が体育館に響いた。観客席のここにスポットライトが当たったみたいにみんながこちらを見ている。勿論、呼ばれた本人はすぐにこちらを見て笑顔を向けてきた。

「あ!いつもの子だ!!!」
「今日も頑張ってくださーい!!」
「もちろん!ヘイヘイヘーイ!今日もやるぞー!!」

そう言って練習に戻る木兎先輩を満足そうに見た友人を横目に、私は動けなかった。
彼が、こちらを見ていたから。真っ直ぐに私を見つめる彼は、まるで幽霊でも見るみたいな目をしていて、目を逸らしかけた。

なんで

そう彼の口が動いた気がした。

「あかーし!!トス!早く!!」
「っ、はい」

何事も無かったように外された視線に胸が鈍く痛む。

「……どうだった?目、合ってたみたいだけど!」
「……別に」

私の反応に彼女は少し驚いたようだった。

「……ごめん」
「なんで謝るの」
「余計なことしたかな、って」
「……そんなことないよ」
「栞」
「ありがとね」

自分を振った女が、半年後試合を見に来るなんていい気はしないだろう。応援席でも「赤葦くんかっこいい」という声は私にも耳にも届いている。元々彼には密かに思いを寄せる生徒が多かったのに、レギュラー入りをしてさらに増えたように感じる。既に、新しい恋人がいるかもしれない。
でもそんなの、今の私には関係のないことで。私がそれを気にする権利もない。
ピーッと笛の高い音で思考が途切れた。

「さ!木兎先輩の活躍見なきゃ!後で感想聞かせてね!」
「はいはい、わかってるよ」

そう言って試合に目を向けた。その日の梟谷は絶好調なようで、どんどん得点を重ねていく。その度に、隣で彼女が騒ぐ。

「ねえねえ!凄いよ!やっぱりかっこいい!」
「うん、……そうだね」

彼女に同意をしながら、私は赤葦くんしか見ていなかった。得点を決めているのは木兎先輩なのに、私の目には彼しか映らなかった。応援していた彼が、コートに立ってセッターとして試合に出ている。それは彼の努力の賜物だ。本当に凄い。頑張ってきたんだなあ、としみじみ思う。
なんだか親のような目線だな、と見ている自分に少し悲しくなった。もう、彼と同じ目線では応援できない。喜んであげられない。
ホイッスルの音で一セット目が終わったことに気づいた。ベンチでドリンクをごくごくと流し込んでいる木兎先輩を見て、隣でキャーキャーしている友人を横目にため息をつく。

「じゃ、私帰るから」
「えへへ、木兎さんかっこい……は!?」

じゃあね、とバッグを掴めばそのバッグをぎゅっと掴まれた。

「……ちょっと、何してるの」
「最後まで付き合って!」
「一セットだけって言ってたじゃん」
「栞〜」

はあ、とため息をついてコートを見下ろせば休憩している彼が目に入った。

え、と思わず声が出た。

彼の首に掛かっているのは、わたしが誕生日プレゼントにあげたタオルだった。

「……栞?」

どうして、今、そのタオルを使っているの。付き合ってる時は一度も使ってくれなかったのに。

「栞ってば」
「タオル……」
「え?タオル?」

私の視線の先を見て、彼女は察したのだろう。

「タオルって、赤葦くんの?」
「……うん」
「赤葦くん、最近試合の時はいつもあのタオルだよ」

嘘だ。

「嘘じゃないよ。試合の時、いつも見えてたから覚えてるもん」
「……そう、なんだ」

私は顔を上げられず、スカートの裾を膝の上で握りしめた。なんで。どうして。
そうこうしている内に、二セット目が始まってしまった。






「いやー、楽しかった!木兎さんかっこよかったし!今日は来てくれてありがと!じゃ、私は差し入れ渡しに行くから!」

そう言い残して嵐のように去っていった彼女を見送って、自販機のそばのベンチに座った。ふう、と深いため息をつく。
半年ぶりに見たバレーをしている彼に、私はまた恋をしてしまったようだ。
いや、正しくはずっと好きだった。けれど、彼の気持ちがわからなくて逃げた自分も理解して欲しい。あのまま彼の傍にいたとしても、私は多分彼を疑って嫌いになっていたかもしれない。そうなりたくなかった。床を靴が擦る音がする。それはこちらに向かっているようだったけど、自販機が目当ての人だろう。そう思って顔を伏せたまま、自分の靴を眺めていた。ふ、と影がかかった。私のつま先から30センチくらい離れたところにスニーカーが見える。

「……春原さん」

その声に、心臓が止まるかと思った。顔をあげれば、そこには赤葦くんがいた。

「今日、見に来てくれたんだ」

別れてから初めて喋ったのに、赤葦くんは冷静だった。

「……うん」
「誘われて?」
「…そう、木兎先輩が見たいって言われて」
「……そっか」

これ以上私たちの話が進むわけもなく、沈黙が続いた。その沈黙に耐えられなくなった私から声をかけた。

「……あの、」
「うん?」
「いいの?」
「なにが?」
「いつもならこの時間、ファンの人たちから差し入れとか、その、色々あるでしょ」
「いいんだ」
「……そう」
「俺は、春原さんとの時間の方が大事だから」

目を丸くした私に、彼が微笑んだ。そんな顔、見たことない。

「今日、すごく嬉しかった」
「え……」
「コートから春原さんが見えた時、夢かと思った」
「……」
「もう二度と前みたいな時間は来ないと思ってたから」
「そんな、」

そんな風に言わないで。私が勘違いをする前に、ここから立ち去って。

「折角の機会を逃したくないから、ちゃんと伝えたい」
「え……」
「俺は、今も春原さんが好きだよ」

その言葉に思わず赤葦くんの顔を見た。少し赤らんだ頬に、こちらを見つめる目。それに今の言葉。目元が温かくなった瞬間、目の前で赤葦くんが屈んだ。

「ごっ、ごめん……泣かせる気はなかったんだけど……」

珍しく慌てる赤葦くんに、初めて親近感を覚えた気がする。

「ちが、う、よ」
「……!」

泣いている私を見て一歩下がりかけた彼のジャージの裾を掴んだ。離れて欲しくなかった。

「わたしも、すき」

少し湿度が高いこの空間に、私の声が小さく響く。赤葦くんが床に膝をついたのがわかった。

「……本当に?」

ベンチに座る私を下から覗き込むようにしてそう聞いてきた赤葦くんは、少し緊張しているようだった。

「うん、別れた時も、別れてからも……好きだったよ」

目を丸くした赤葦くんに、私は言葉を続けた。

「不安、だったの。一年も付き合ってたはずなのに、なんの進展もない関係に。…名前で呼んでくれなかったし、私の誕生日も未だに知らないでしょう?私があげたプレゼントも全然使ってくれなかった」
「……うん」
「なのに、赤葦くんのこと好きな子は沢山いて、たまたま私に白羽の矢がたっただけで、赤葦くんは私のこと好きじゃないんだろうなって思ってた」

赤葦くんは一度口を開いて、閉じた。言葉を探してる、という表現が当てはまる様子だった。

「……情けない話になるけど、聞いてくれる?」

少ししてそう言った赤葦くんに頷いた。

「まず俺は、春原さんのことが好き。俺のバレーの話も嫌な顔せず聞いてくれるところとか、試合に出ない俺を一生懸命応援してくれる姿とか、すごく支えになってた。その反面、少しでも嫌われたくなくて無難に過ごそうとしてた。名前で呼ばなかったのも、そのせい。変化が怖かった。周りにからかわれて春原さんが嫌な思いとかしたらやだな、って」
「赤葦くん……」
「誕生日に関しては、俺の誕生日を春原さんが祝ってくれるまで気づかなかった、…って言うと最低だなって思うけど、…その、女の子の誕生日を一人で祝うことって今まで殆どなかったから、考えが至らなかった」
「うん……」
「それと、誕生日にもらったタオルを使わなかったのは、勿体なかったからで…」
「え?」
「タオルってやっぱり消耗品だから、汚したくなくて…イニシャルも入ってたし、その、部屋に飾ってた」

赤葦くんの知らない一面だった。なんでもそつなくこなす彼が、そんな風に思ってくれていたなんて知らなかった。

「……、ふふ」
「だよね、笑われると思った」
「ううん、嬉しかったの」
「飾っててもダメだなって思って、別れてからはずっと試合の時に使ってる」
「……そっか」
「うん」

彼は私のことをなんとも思ってなかったわけじゃないんだと、純粋に嬉しかった。

「本当にごめん」
「え?」
「俺が慣れてなくて、気を回せなくて、傷つけたこと、とか」
「ううん、私も赤葦くんが、その、…初めての彼氏でどうしていいか分からなくて、意固地になったところもあるし」
「…そう言ってくれると、助かる」

膝をついていた赤葦くんが立ち上がり、私の隣に腰を下ろした。そしてそのまま私の手を握った。久しぶりの彼の体温に全身が熱くなる。

「ねえ、俺たちやり直せるかな」
「……うん、私は頑張ってみたい」

そう言って微笑めば、彼は私の頬に手を添え涙を拭った。

「……栞」
「け、いじ」


不慣れを乗り越えろ
「…ぎこちないね」
「じゃあ苗字に戻す?」
「それはやだ」
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