百一年ぶりに見た、恋人の後ろ姿。
その隣には、自分の知らない男がいた。
男は死覇装を身に纏い、友人や仕事仲間と呼ぶには近すぎる距離で彼女の隣を歩く。仲良さそうに話すその姿は、知らないひとのようだ。
彼女の手が、男の肩に触れる。後ろ姿しか見えなかったが、少し見えた彼女の横顔は、とても幸せそうだった。
隊首室で書類にひたすら判子を押す。手しか動かさないその仕事も隊長の仕事だ。窓からは暖かい日差しが差し込み、眠気を誘う。しかし、平子の頭の中は鉛に占拠されたかのように鈍く、重く、質の悪い頭痛に悩まされているかのようにだるかった。
「ハァ…………」
重い溜息が勝手に出てくる。先日見た彼女の姿が頭から離れない。彼女の隣には、自分ではない男がいる。それに、そろそろ護廷十三隊全体に三人の隊長の復隊が周知されるだろう。彼女にも知られてしまう。全く想定していなかった訳では無いが、彼女なら待ってくれているはずだ、と思っていた。戻ってきたと知った彼女は、どうするだろうか。そんなことを考えていると、ドタドタと誰かが走ってくる音が聞こえてきた。雛森は隊首室を出ていったばかりで、来客の予定もない。
しかし、音が近づいてくるにつれ、強くなっていく懐かしい霊圧に、平子は嬉しくも心苦しくも感じていた。
「真子!」
バタン、という大きな音とともに彼女が部屋に飛び込んできた。
「っ、真子!」
名前は勢いよく部屋の奥まで進み、椅子に座ったままの平子に飛びついた。そして顔を上げた彼女の顔は涙で濡れていた。
「どうして戻ってきたのに会いに来ないの!」
「名前……」
「さっき、三人が復隊したって聞いて飛んできたの」
「…泣くなや」
「ずっと、…ずっと待ってたんだからね」
そう言って自分の胸に顔を埋める名前の肩を掴み、引き離した。
「……真子?」
「そないなこと言わんでええねん」
「……?」
「俺はお前が今幸せならそれでええ」
「…何を言ってるの?」
彼女の幸せを考えたら、長く離れていた自分とは関わらない方がいいと考えていた。それが例え、建前だとしても。
「お前を置いていったことは謝るしかない。すまんかった」
「…色々あったんでしょ」
「ああ、でも俺はお前のこと、この百年忘れたことは無かってん。せやけど、今のお前には今の幸せがあるやろ。それを俺が邪魔する権利はない」
「うん…?」
「わざわざ会いに来てくれてありがとうな」
「…っぷ、あははは!」
「名前?」
「真子、どうしたのそんな真面目な顔して…ふふ、真子が何を考えてるのか私にはわからないけど、私は真子にまたこうして会えて、ほんっとうに嬉しいんだからね?」
平子は自分の気持ちを抑えながら彼女の幸せを優先しようとしたが、当の本人は自分との再会を純粋に喜んでくれているようで混乱した。今の彼女を支えているのは、自分ではない。その事実に、胸が締めつけられる。
「それにね、真子に会わせたかった人がいるの」
「合わせたかった人……?」
笑顔でそういう彼女に、嫌な予感がした。それは、先日見かけた彼女の“今の”恋人ではないのか。百年も彼女の前から姿を消した自分への罰だ、と思った。
「そう!ちょっと呼んでくるね」
そう言って背を向けた彼女を引き留めた。
「ちょ、名前待てや……っ」
「え?でももう多分扉の前にいるよ?」
「はあ!?」
「はいってきていいよー!」
彼女がそう大きな声で言うと、申し訳なさげに扉がゆっくりと少しだけ開いた。
「真子、紹介するね……って何してるの。早く入ってきて……もう、何隠れてるの!ほら」
そう言いながら彼女は扉の向こうへ手を伸ばし、何かを引っ張り寄せた。ちら、と見えた死覇装の袖が平子の予想の的中を物語っていた。
「ちょ、っと。ここ隊首室だよ?俺が入るのやばいって…!」
やはり、以前彼女の隣を歩いていた男だった。随分と若いが、背は高く優しそうな男だった。
「真子、……驚かないでね」
「……おん」
「紹介します、私の息子、です」
「……は、初めまして、平子隊長」
そう言って頭を下げた男を見つめた。
「……え?むす、こ?」
突然のことに頭が追いつかない。自分が知っている彼女も、自分のいない百年を過ごしてきたのだ。息子がいても何もおかしくはない。
「そう、私と真子の」
「へえ、お前と俺、……の!?」
「うん」
平然と答える彼女に平子はその息子と呼ばれる男を見つめるしかなかった。
「真子がいなくなってすぐお腹にいるのがわかってね、何とかここまで育てたよ。今年、八番隊に配属されたの」
立派に育ったでしょ?という彼女に開いた口が塞がらない。
「ほら母さん、絶対急過ぎたよ…!ここは一旦帰ろう」
「えー、でも折角会えたのに……」
「でも俺、そろそろ演習の時間だしさ」
頭も気持ちも追いつかず、立ち尽くすしかできなかったが、二人の会話は進んでいく。
「そっか、気をつけて戻ってね」
「うん、……平子隊長」
「え、ああ、なんや」
「母が突然申し訳ありません。自分は隊に戻るので、失礼します」
「…おう」
息子、とされる男は深くお辞儀をして出ていった。その後ろ姿を、彼女は愛おしそうに見つめていた。
「あの子も“父親”に戸惑ってるの」
「…………」
「……真子」
「…おっ、おう」
「ごめんね、勝手に産んで」
そういう彼女は自分の手元に視線を落とし、その背中は百年前より小さく見えた。
「でもね、私、真子との子どもを諦めるなんて出来なかったの。貴方以外と、結婚することも考えられなかったし」
「名前」
「もう別にね、認知してほしいとかそんなのはないの!ただ、あの子にも真子にも、お互いのこと知って、欲しくて」
言葉尻が小さくなる。そんな彼女を正面から抱きしめた。
「真子?」
「……ありがとうな」
「…っ、真子…!」
「めちゃめちゃ驚いたけど、めちゃめちゃ嬉しかってん」
「ふふ、それなら私の百年はもう報われたよ」
「待たせてすまんかったなァ」
「ほんとだよ」
目に涙を浮かべながら、そう笑う名前は百年前と何も変わらない。
「真子…、帰ってきてくれて、ありがとう」
はじめての再会
「これからも宜しくね、お父さん」
「その呼び方は、もう少し待ってくれへんか…?」