「よォ」

向こうから歩いてくる人影に見覚えがあった。細身の体に少し猫背でかったるそうな歩き方。私はあの隣をよく歩いていた。それももう遠い記憶だ。そんなこと、とうの昔のことで、もう終わったことのはず。

「ひ、らこたいちょう…?」
「おう、久しぶりやな」

正面で立ち止まった彼に、幻覚でも見てるんじゃないかと思った。変わっているのは彼の髪型だけ。

「本物…?」
「おう、お前の平子隊長やぞ」

彼だ。相変わらずの彼に、勝手に顔が微笑んでしまう。

「…生きてらしたんですね」
「おん」
「良かった…」

それは私の心からの言葉だった。百年会わなくても彼は彼のままだった。

「悪かったな、心配かけて」
「いえ…、その羽織……」

彼は本当に変わっていなかった。今も何故か、五番隊の羽織を着ている。

「おう、似合うとるやろ」
「……はい」

その羽織は、百年前を思い出すのに十分すぎるもので。

「なあ、名前」

彼のその声に私の脳は危険信号を出した。私は今、ここにいてはいけない。

「あの、すみません。私、その、この書類を急ぎで届けないといけないんです。失礼します」
「お、おう」

私はその場を足速に立ち去り、振り返りもしなかった。

私は馬鹿だ。
彼を、待てなかった。









「名前の様子がおかしい?」

拳西が眉をひそめ、そう言った。

「そやねん、なんか素っ気なくてな」

付き合うとったんやぞ俺ら、と言う真子に拳西は面倒くさそうな顔をした。

「もう他に男がいるんだろ」
「ああ!?なんやと拳西!」

拳西はそんな真子にため息をついた。

「百年だぞ」
「うっ」
「ま、他に男が出来ても仕方ないよ」
「ローズ!さっきから黙って聞いてると思えばなんやねん!」
「本当に名前に男がいたらどうするんだ」
「そんなもん!……ええっと…そやな……」
「何も考えてなかったんだな」
「まあ、兎に角。きちんと二人で話をしなよ」
「……おう」

もし、現在名前に男がいるとしても、百年待てなかった彼女を責めることは誰も出来ないと三人ともわかっていた。








「お疲れさん」

帰路を歩いていると、繁華街に差し掛かったところで平子隊長に出くわした。

「平子、隊長…。お疲れ様です」
「なァ、今ええか?」
「……はい」

二人で私の家の方向に向かって歩き出した。

「元気にしとったか」
「はい、おかげさまで…」
「昇級したんやってな」
「はい、五席になりました」
「おー、すごいやん」
「ありがとう、ございます」

普通の会話だった。このままなら、乗り切れる。そう思った。

「なァ」
「はい」
「今、恋人おるんか」

彼のその言葉に喉がひゅ、と鳴った。正解の答えが分からない。事実としては、“はい”だ。でも、それを彼に伝えるのは心苦しい。

「えっ、…えっと、その」
「おるんやな」
「……… はい」
「さよか」

一瞬、彼の雰囲気が変わった気がした。そう思って横を歩く彼に視線を向ければ、先程と特に変わった様子はない。私は足を止め、深く頭を下げた。

「すみません、私っ、」

私は彼を待てなかったのだ。そもそも彼が生きているということさえ、否定して生きてきたというのに。彼の気持ちは、想像もできなかった。

「あー、ええねんええねん」

そう言いながら、ポケットに手を入れた。猫背が際立つ。

「でもっ…」
「ええ奴やねんやろ」

そう言って微笑んだ彼の顔は、百年前に私が毎日見ていたものだった。

「優しい奴か」
「…はい」
「今、楽しいか」
「…はい」
「今、……お前は幸せか」
「……っ、はい」
「それが何よりや」

私には分かる。彼が今、自分の感情を堪えてるということが。だって百年前、ずっと隣に居たのだから。

「あの、隊…」
「お、そろそろお前ん家着くなァ」
「えっ」

話に夢中になっていて気が付かなかったが、次の角を曲がれば私の家に着いてしまう。

「じゃ、お疲れさん」

そう言って立ち去った彼が見えなくなるまで私は頭を下げ続けた。









「どうかした?」

この百年沢山聞いてきた彼の優しい声が耳に届く。

「え?あ、ごめん。ぼーっとしてた」
「最近多いね、名前」
「え?」
「ぼーっとしてること。仕事中もデート中も」

そう言いながら私の手を握る彼に、口角だけ上げた。四番隊の彼は霊術院からの付き合いで、同期の中でも仲が良かった。平子隊長とのことも知っていたし、あの事件の後私を一番に支えてくれたのは彼だった。そこから私たちが付き合い始めるまで、時間はかからなかった。

「なんかぼーっと考えちゃうんだよね」
「平子隊長のこと?」

さも当たり前かのようにそう言った彼の言葉に、目を丸くする。

「流石に俺も知ってるよ。復隊したって聞いた」

四番隊の彼の耳にも入っているということは、正式発表前だが周知の事実なのだろう。

「会えたんだね」
「…うん」
「良かったね」

あの事件の後、私はとてもじゃないが人前に出られる状況じゃなかった。人に当たり、ものに当たり、そんな姿を知っている彼だからこそ、そう言ってくれたのだと思う。けれど、私と彼は付き合っている。過去の男との再会は彼にとってはいいことではないだろう。

「…嫌じゃないの…?」
「嫌だよ」

はっきりとそう言った彼に驚き目を向ければ、こちらを見て微笑んでいた。

「でも、名前の幸せが俺の願いだから」
「でもそれは…!」
「それにさ、俺は平子隊長の隣を歩くお前に惚れたんだ」

そう言った彼の目に嘘はなくて、彼を裏切ってしまう自分がとても強欲で、不遜で、我儘で、不義理な人間に思えた。それでも、そんな私に彼は優しく手を伸ばした。

「……ごめんなさい」
「いいんだ、俺はこの百年幸せな思いをさせてもらったから」

頬に触れる彼の手はとても温かく、離れ難かった。

「本当に、ごめ、」
「もう謝らなくていいから。それに、俺が無理矢理付き合ってって頼み込んだんだし」
「無理矢理なんて…!」
「平子隊長のことを忘れられないって言ったお前にそれでもいいから付き合ってくれって俺が言ったこと忘れた?」
「それは……そうだけど、でもっ」
「そこは謝るんじゃなくてさ、ね?」

彼の手に私の涙が伝うのが分かった。彼の決意も優しさも、私は受け入れなければならない。

「……ありがとう」
「それで良し。行っておいで」
「うん…」
「ほら、いつもみたいに笑って」
「…うん」
「やっぱり笑顔が一番だよ。…バイバイ」
「っ、…ばいばい」

私はそのまま彼の横を通り越して走り出した。






走って走って、五番隊の門が見えるところまで来た。彼の今の家を知らないし、彼が今隊舎にいるのかも分からないけれど。でも走らずにはいられなかった。途中で昔のことを思い出した。

「ここ、近道やねん」

頭の中のその声に導かれるように、隊舎と反対側にある路地に入った。昔教えてもらった五番隊への近道。間違っていなければすぐに着くはず。細い路地に体を捻りながら走る。早く、早く彼に会いたい。路地の先が明るくなった。あそこを抜ければ着く。そう思って最後の力を振り絞り、光に向かって走り抜けた。その先に見えたのは、百年前と変わらない綺麗な金色だった。

「ひ、ひらこ、たいちょう!!!!」
「わっ、」

突然門の前で名前を呼ばれた彼は、驚いてこちらに振り返った。彼の目がみるみる丸くなっていく。ああ、その顔、可能なら写真に収めて見せてあげたいくらい。

「おま、どないしてん!」

汗だくで路地を抜けてきたから服は裾や至る所が汚れているし、顔も半泣きだ。

「はっ、はあっ、あの、はあっ、ひら、ひらこた」
「待て待て、ゆっくりでええから」
「す、すみませ、あの、ハアッ、わた、わたし」

息が続かず言葉が出てこない私に相変わらず彼は優しい。

「そんな急がんでも、俺はどっかに行ったりせえへ…」
「あの!」
「お、おう」

突然大きな声を出した私に彼は驚いた。そんな彼に私は質問をする。

「隊長は今、…恋人、はいますか」
「は?…いや、おらんけど…」
「私、平子隊長のことが好きなんですけど、その、お付き合いしてもらえませんか!」

字の如くポカンとしている平子隊長が目に入った。開いた口を閉じずにぱくぱくと動かし、何かを言おうとしているようだが言葉が出ないのだろう。

「また、私と、以前のようにお付き合いしてもらえませんか」
「……お、おう…」

なんとか紡ぎ出した彼の言葉が私の耳に届いた。でも、彼の表情は読めない。

「……本当、ですか」
「何言うてんねん、当たり前やろ」
「でも私っ、」
「待ってられへんかったから、か?」

その的確な言葉に喉の奥が痛い。

「ええって。百年ほっといたの俺やしな。でも付き合うてる奴おるんやろ」
「は、はい。でもその、ちゃんとしてきたので」

彼とはきちんとお別れしてきた。そう伝えた。

「……お前はそれでよかったんか?」
「え?」
「今が幸せや言うてたやん」
「…あの、まあ、はい」
「お前割り切った性格しとるしなァ」
「うっ…」
「俺は百年間お前のこと思っとったんになァ」
「ううっ…」
「……なーんて、な」

少しおちゃらけたいつもの表情で彼は私に微笑んだ。

「こうして戻ってきてくれたってことは、思うてくれてたんやろ、俺のこと」
「…はい」
「寂しかったやろ」
「っ、…はい」
「ずっと、好きでおってくれてたんやろ」
「……っ、はい!」

だば、っと目元から溢れる涙を泣くな泣くなとゴシゴシと拭う彼の手はびっくりするほど温かかった。そして、少し震えている気がした。

「もう勝手にどっかに行ったりせえへんから」
「……はい」
「こっち戻ってきて良かったわ」

そう笑う彼の姿を見て、私は百年前の私に言いたいことが出来た。

「隊長」
「ん?」

私は目の前にあるその唇に、ちゅ、と音を立てキスをした。


移りゆく時の中で
わたしたちはまた、出逢えるよ


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