短編 | ナノ



萎れる前に手放さなくては

※浮気/「やがて消えゆく温度について」の少し前の話


「好きって言ってよ」

周りから見えてる景色と内情は実はあべこべなことが多い。放課後の教室に夕日が差す。照らされた彼女の顔は表情が読めない。悲しんでいるのか、はたまた俺を責めているのか。声色だけで判断するならば何となく怒りがある気がする。もしくは両方なのかも知れない。でもそれをどうにか出来るほどの技量も気持ちも今の俺には持ち合わせが無い。

「何でそんなに冷たいの?」

見た目だけで取り繕った俺達は、実の所、もう決壊寸前のダムの如く呆れた惨状だ。肩に掛けた鞄を降ろして、彼女を抱き留めた。自分に対してこういう時、呆れを感じる。心は無くとも人間とは行動に移せるものか。急場で作ったハリボテのような簡易的で何の意味も成さない。応急処置だ。一見、解決しているように見えるかもしれないが何の根本解決にもなっていない。要するにこの行動は無価値だ。

「誰が冷たいねん。今もこうして傍におるやろ」

取り決められたルールに沿って行動するだけ、そこに愛はない。自覚しているのに何も変えられないのは2人の責任である。当時、頬に染めて俺に言い寄る彼女に、俺もこんな子なら愛せるのでは?と淡い期待を持ってしまった。そこから間違えた。間違えた所から正せば良かったのだろうが、押し通すという事を選んでしまった。また間違えた。そこから俺は別の覚悟を決める。

「もっと愛してよ」
「好きやから傍におる。安心し」
「本当?」

ここで、嘘であれ本当であれ、本当じゃない、と言う奴は居ないだろう。何故、答えようのない質問をするのか。理解し難い行動に、より気が滅入る。それでも淡い期待を彼女に押し付けてしまった責任が俺にはあった。責任をとるような、そんな懺悔にも近い気持ちで俺は肯定するかのように彼女にキスをした。

「……好き」

そう言って彼女は俺に抱きつく。一体この関係に何の生産性があるのだろうか。こうして俺達は無駄にも思える時間を過ごす。彼女はそれを理解しているのか。ただ後先を考えず、今が良ければそれで良いのか。答えの出ない思考を張り巡らせる。相変わらず結論は出ない。そして帰路につく。



今日は美術の授業だった。面倒な移動教室も憂鬱な心を抱えた俺にとっては幾分かはまだ気分転換になる。あの教室はいつも放課後に彼女と待ち合わせをしているせいか、何故か何時居ても自分の中で心の詰まるような場所になってしまった。
絵を描く時に限らず、芸術系の授業の時は自分の心をひけらかすかのような気持ちになる。自分がどんな人間なのか、改めて形にして周りに見える様に表現する。そんなのは承認欲求を満たしたい人間がすればいい。自分がどんな人間かを十分に理解してる自分からすれば、どれだけそれを表したところで芸術と呼べるような大層なものが産み出される気配はさらさらない。嫌いだ。わざわざ内に秘めているモノを外に出すことは必要なのか。それでも単位がある以上、形式的にでもあれ学徒でいる限りやることはやらねばならない。諦めと共に不意に足の位置を変えた。トン、と向かいの苗字へ当たる。堪忍、と声を出し損ねたまま顔を見た。少し頬を赤らめて顔を背ける苗字が居た。その姿に、また1つの淡い期待を抱いてしまった。この子なら、そんないじらしく俺を見つめるこの子なら俺も好きになれるかもしれない、と。
人並みに恋に憧れ、自分には無理な事だと悟った俺だったのに。自分を愛せない俺でも、誰も愛せない俺でも、誰かに愛されて、誰かを愛してみたい、といつも胸に密かに願っていた。愚かなことだった。
その授業中、俺はずっと心在らずで絵を描く傍ら、苗字を見つめていた。時に頭を悩ませつつも、真面目に目の前の課題へ取り組む子を愛しいとさえ思った。

授業が終わってクラスメイト達がどんどん自教室へ帰っていく中で引き留めたのは俺だ。苗字は少し不信そうにしながらも返事をした。当たり前だ。俺と苗字はただクラスが同じ、数回挨拶くらいの会話をした程度の仲だったから。

「授業中、堪忍な。足当たってもうて」
「いや……別に大丈夫だけど……」

嫌われている訳では無さそうだけれど、何とも歯切れの悪そうな苗字だった。警戒しているのだろうか。余りこちらを見ようとしない。そんな様子に、すこしの悪戯心と好奇心を胸にキスをしてみた。ひどく驚いたような顔をしながら背ける。純粋に愛しいと思った。今、自分に彼女がいなければこの子を抱き締めていたのかも知れない。ただ今の俺にはそれは出来ない。する資格がない。それでも今、この子に縋ることで自分は心の平穏を保とうとしていた。資格を語るならそもそもキスをした段階で俺にそんな資格はない。利用している。そんな狡猾な自分に嫌気がさす。鼻で笑った。

「皆には内緒やで」

そう言って俺は先に出た。廊下で一呼吸置く。美術室から物音はしない。暫く出てる気配はなさそうだった。
一人で自教室に戻る。その足取りがいつもより軽いのは気の所為ではないだろう。承認欲求を満たしたいのは俺も例に漏れず、か。後先を考えていないのも彼女に限らず俺自身もだった。人の犠牲を糧に自分が楽になろうなんて最低だ。その最低さを認めて俺は前に進むしかないのだろう。




こちらのサイト様よりお題拝借しました。ありがとうございました。


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