短編 | ナノ



出来そこないの感傷

自分でも何故だろうとたまに思う。先日人から勧められて買った恋愛小説を読み終わったので軽く瞑想に耽る。昔から自己主張の強い方では無かった為か、その内本当の自分が何か分からなくなってきた。自分とはこういう人間だという表現は出来る。ただそれは客観的な事項を並べただけだ。そうではなくて、もっと単純なもの。俺は何がしたいんだろうか。

ガラガラ、と教室の扉が開く音がした。ふと顔を向けると苗字がそこに居た。静かな放課後の教室に、廊下から誰が居るかなんて分からなかったのだろう。実際自分以外は誰も居なかった。人が居ることに驚いたのだろう、随分と目を丸くさせていた。別に誰の物でもなく、寧ろ皆の物と言うべき教室なのだから弁明する必要も無かったのだろうけど何となく虫の居所が悪かった。だから丁度読み終わった本を少し右手で掲げてみた。動作の意味を理解したのか、苗字はふわりと表情を変えて自身の席へ向かいながら口を開ける。


「邪魔しちゃってごめんね。忘れ物取りに帰っただけ」
「いや、丁度読み終わったところやから気にせんでええよ」
「ありがとう。優しいね」


机の中を探って忘れ物とやらを探す苗字はちっともこっちを見ない。適当に言ってるだけなんだろう。それなのに何故こんなにも1つの言葉が心に引っ掛かるのか。人を故意に傷付けようとすることは確かにない。けれど逆に故意に親切にした覚えもない。それなのに自分は“優しい”のだろうか。そんなことを考えて、ふと苗字の方を向くと目が合った。忘れ物は見つかったのだろうか。そんな疑問に応えるかのように、苗字は恐らく目当ての教材を右手で少し掲げた。そして、それを机の上に置くと何故か近付いてくる。


「どないしたん?」


質問には答えずににこやかな表情で前の席に後ろ向きに座った。そして持っていた小説を指差して、また話し出した。


「どうだった?この本」
「よくある話やな、としか」


俺の質問には答えへんのに自分は質問してくるんか、とは思ったがわざわざそう言うのも面倒なので苗字の質問に答えたら彼女は今度は心から可笑しいというような様子で笑った。何がそんなに面白いんや。
本の内容は簡単だった。好きな人の為に自己犠牲の結果死ぬというような、よくある感動を狙った路線の恋愛小説。正直、読み手側を泣かせようとしているのが丸わかりで好きじゃない。


「忍足は冷たいよね」


突然そう言った。ほんまに突拍子もないことを言う。かと言って別に怒ったりだとか、そう言った気持ちも起きない。ただ、そうか、と呟いた。そうすると苗字はそれが余計に可笑しかったのか、また笑いだした。


「何が言いたいん?」
「忍足は人の為ってことが分からないんだよ。自分の為に生きてるから。だから人のために自己犠牲してるのが気に入らなくて感情移入出来ないんじゃない?」
「協調性はある方やと思うけどな」
「それは人の為じゃなくて、“自分の為に”人の為になることをしてるんでしょ?本質が違うよ」
「結構ズケズケ言うんやな自分」


ここまで言われても別に腹が立たない自分にも不思議に思えてきたところだった。もしかして苗字はただ単に俺のことが嫌いなだけなんじゃないだろうか。そう結論づけるにはわざわざ話しかけてくる辺りが不審だ。苗字は本当に何が一体そんなに面白いのか、さっきからずっと笑っている。結構ズケズケ言うんやな、と言ってからは腹を抱えるほど笑っている。変なキノコでも食べたんか。


「忍足は可愛いね」
「おおきに。格好良いは言われても可愛いは珍しいわ」
「自信家に見えて自分のこと好きじゃないんだね」


何だか癪に障った。普通のクラスメイトくらいの間柄なのに何故ここまで言ってくるのか。それでも顔に出せばまるで図星だと言っているようなものだから何も考えないようにした。そういうのは比較的得意だった。そうなんかも知れへんな、とだけ答えたら苗字は満足したのか席を立ち、本来の目的であった教材を片手に教室を出ようと扉へ向かった。どうしても気掛かりで思わず、ふと顔を向けると何故か苗字はこっちを見ていた。


「でも私、それがダメな事とか一言も言ってないんだけどな」


それだけ言って苗字は教室を出た。あれだけ図星を突かれて少し苛立っていた心が、まるで許されたような穏やかな気持ちに変わる。自分がどんな人間だとか、何がしたいとか、何の為に何をするだとか、今はまだ考えなくても構わない気がした。


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