ベルベットハンマーは琥珀 ※悲恋 店内に入った時、顔をあげれば苗字さんが居た。俺もそうだが彼女は心底驚いたような顔をして俺を見つめる。最初に口を開いたのは俺だ。 「こんなところで会うとは随分奇遇ですね」 「貴方こそ。こういうところには来ない人かと思ってました」 ここはバーだ。殺し屋と恐れられた過去もある俺さえ上京してから海が恋しくなることもある。海を思い出せば海で元気に遊ぶまだ幼いままの君達も思い出す。もう10年は帰っていない。自分らしくもないと自身も思うが感傷的な気持ちになった時には一人で飲むのが一番だと気付いたのは上京してから4年経った頃。 「まぁ人それぞれですよね。余計なこと言いました、すみません」 苗字さんは会社の同僚に当たる方で俺の一年先輩だがお世辞にも仕事の出来る人とは言えないタイプだ。しかし、真面目ではある。真面目だけが取り柄、と会社で良く言われるほどの彼女が一人でバーに来るということ自体、俺には驚きだった。 「いえ、別に構いません。隣、失礼しても?」 「あぁ、はい。とうぞ」 何となく、気まずく思った。彼女が無言だからだろうか。きっとお互いそう思ってるのだろう。苗字さんは鼻の付け根を右手の人差し指で上下に撫でていた。何となく見覚えがある。 「……もしかして、普段眼鏡掛けてるんですか?」 「あ、はぁ。よく分かりますね」 「俺も、眼鏡外しててもたまにしてしまいますよ。それね」 そう言って彼女の落ちた眼鏡を上げる仕草を指差せば少し恥ずかしそうに頬を染めた。不覚にも動揺してしまったのは内緒ですよ。 「木手さんは確か地方出身ですよね」 「ええ、沖縄です」 「沖縄か、綺麗で良いですよね」 少し懐かしそうに話す彼女は楽しそうだった。しかし俺が、行ったことがあるようですね、と返事をすると、昔一度だけですよ、と苦い顔をしてしまった。 それから二時間ほど軽く談笑した後彼女はバーテンダーにベルベットハンマーを2つ頼んだ。 「割りと飲むんですね」 「貴方こそ」 「ベルベットハンマーみたいなお酒は俺が苗字さんに奢るものだと思っていましたが」 「レディキラーだからかな」 「ええ」 「知ってたんだ。さては使ったことあるな」 「ありませんよ。今日初めて使いたいと思いましたけどね」 酒で饒舌になったせいか言うはずのないことを口から滑らせてしまった。苗字さんは少し俯いたまま動かない。何を言うでもなく俺も空いたグラスをつついていればベルベットハンマーが2つ運ばれてきた。 「木手さん」 「はい」 「駄目なんですよね」 何がですか、と聞こうとして彼女の方を向いた。ベルベットハンマーの琥珀が彼女の口に流し込まれる。少しの感情を同時に飲み込むかのように少し苦そうに眉をひそめる。ベルベットハンマーは度数は強いが甘口だ。俺の知らない誰が居るのだろうか。 (企画へ提出) [BACK] ×
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