悠久の丘で
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Compensation for gentleness
今でも時折夢に見る。
―――黒いオレが初めてフラレた所。
*
『テッキィーはねェ』
彼は困ったように眉を中心に寄せて、腕を胸の前で組んだ。彼の所属を表すコートと十字架がこれほどまでに憎く思ったこともないくらい。胸がたぎるような怒りを、無機質なそれに感じる。
彼は申し訳なさそうな顔で――ごめんな、と言った。
『優しすぎるんだよな、ティキは』
それが理由だ、とでも言うように、大きな溜め息をつく。
彼は本当に申し訳なさそうに言った。それでなくても彼のその顔は、嫌いなのに。自分がそうさせている、という事実にくじけそうだった。
黒と白はいりまじれない。
知っていた、のに。
知っていたのに、侵してしまった。
だから、優しい彼はこんなに悲しそうな顔をしている。きっと、多分、断る言葉を捜しているのだ。
どういえば、自分が1番傷つかないで済むのか、それだけを考えて。
「…クリス、ごめん」
そんな簡単な言葉もいえないくらいに真剣で、いつもなら冗談だといえたのに、そのときだけは言えなくて。
オレは彼の隣を手に入れたくて、今も醜く足掻く。
*
「ティキぽん」
やたらとかわいらしい名前で呼ばれた。相手はオレよりも背の低い、エクソシスト。
「…クリス、それはやめてくれって」
「だって、ロードがそう呼んでるじゃん。ノアにはよく逢ってる割に、俺、千年伯爵にはあんまり会わないからさ。彼はどうだか知らないけど、ロード、甘やかされてる感じだから、どうせそう呼ばれてるんだろ?」
ぐっと、息が詰まった。
決して否定できるところではない。否定したら、ロードにもっと恥ずかしい名前をつけられそうだった。
「…だからってよ、お前に呼ばれたくないんだって」
「どうして。可愛くていいじゃんか、その名前」
「そう言うならな…?」
背の高いシルクハットを軽めに押さえた。今日はゴーレムは使わない。
違う。
使えない、の間違いだ。
どうしてもクリスには能力が使えない。それは、彼の持っているらしいイノセンスの力のせいなのか…。
「せめてその噴出しそうな顔をどうにかしてからにしてくれ」
「ん、ごめん。無理そうだわ」
まったく考えずに、即答でやけにはっきり言われた。手まで上げられて言われれば、少しは凹みたくなる。
「…なぁ、ティキ」
「ん?」
どうせクリスには能力が使えないから片方だけ手袋をはずして。
一応整えてある髪をかき上げた。シルクハットは右手。
エクソシスト相手に本来ならこんなに話していないのだけれども。でもこちらの能力で相手を殺せないのなら、戦闘する意味がわからない。
そして、厄介なことにコイツは『白い』オレも知ってる。
あそこで「あ、ティッキーだ」なんて呼ばれた時にゃ、周りの連中に事情を説明するのが大変だった。
なまじ、男らしくない、きれいな顔をしているから。
「ノアはやっぱり伯爵についていくんだよな」
「…どうした、急に」
白い、でも銀色の髪が風に煽られて、風は路地裏を抜けていった。彼の髪はイノセンスを使用すると美しい闇色に変わる。その色も、燃えるような両眼に映えて美しい。
戦闘をしているときの彼は、本当にきれいだ。
ただ、オレ自身は、その髪と共に踊ったことなんてないけれど。専らAKUMAと踊っているところしか見れないけれど。
手を伸ばせば触れられるくらいに近い。
こんなに近くにいて、ふと見知らぬものが見ればただ単に恋人同士の逢瀬にしか見えない距離を保っているのは、お互いに攻撃を加えない、と鎖を渡してあるからだ。…もっともクリスに関して言えば、彼の攻撃は間違いなくオレに届き身を削る。そんな約束をしたのは、偏にオレのためだろう。
『2人で逢ったときは、お互いに攻撃しない。戦闘を持ち込まない』
もうずいぶんと前のことで、どちらが先に言い出したのかなんて、忘れてしまった。
「戦争は嫌だな」
「もう何百年も前からじゃないか」
「でも、俺の世界に戦争が入ってきたのは10年位前だ」
若いけどまっすぐな目。
若いから、まっすぐな目。
そんな視線がすごく痛い。
欲求に逆らえなくて、彼の髪を一筋掬った。
「10年前から数えたって、尋常でない数の命が落とされてる」
「…戦争だから」
「だから」
クリスは強いのにもろい。もろいから強い。硝子の剣みたいだ。
戦っているときのクリスはあんなにきれいなのに、クリスはそれを嫌がる。綺麗で、きらきらしていて、あんな瞳になら殺されてもいいと思ってしまうような。
そんな耐え難い欲求を、彼は嫌う。
彼は、すでに人間の域を出てしまっている我等家族すら、救いたいのだと。
救う、なんて大それたことはできないけど、と苦笑して、軽く笑うようにして、だが痛そうに微笑んだ。
「だから、戦争って嫌いなんだよ」
冷たい路地裏。イノセンスに、AKUMAに関係のない人間には知られることのない戦争。誰も知らないうちに、一般には関係のないところで、多くの人が死んでいく戦争。
優しい嘘の、目隠しの中の、戦争。
冷たい路地裏に腰を下ろして、背の高い壁に腰を落ち着けて、足をぶらぶらとさせる。長い黒の、銀の装飾がたくさんついたコートが風にゆっくりと揺れた。
「『白い』ときのティキはわかりやすい優しさだよな」
「…なんですか急に」
何か飲み物でも飲んでいたら間違い泣く噴出していた。
いきなり言われて、恐らくは紅くなった顔を彼の方へと向けて。
「なんでも?」
そう言って笑う彼の表情はオレが大好きなもの。彼の笑顔はいい。
見ていて安心させてくれる。
敵、だけれども。
それに、はにかむようにして微笑んでいる自分が気持ち悪い、と思った。『黒い』オレはエクソシストの敵なのに。
なのに、彼の笑顔だけで、こんなに安心している。
いつ、自分が彼の仲間を殺しているかも分からないのに。
いつ、彼を殺さなければならないか、わからないのに。
大したマゾヒスト精神だ。
「…あー、そうですか。…つか、何だよ、マジでいきなり」
「ティキは『黒い』時でも優しいのは知ってるんだけどさ」
クリスは含んだ物言いをする。先が読めなければ答えを言ってくれるまで彼のいたずらな笑みを見る事になる。だけど、途中で分かれば。
「…惚れちゃった? オレに」
普段、オンナノコに言うなら抵抗なんてないのに。
なのに、クリスに言うときは緊張する。
「うふふ」
彼は笑った。笑って、声も少し高めで、背も低くて腰も細い彼は、オンナノコみたいだ。髪も長くて、今は銀だけれどもやっぱり、紅い瞳が映える。
「寝言は寝てから言うもんだぜ?」
投げたボールを即座に叩き落されても、やっぱり、欲しい。
この綺麗なエクソシストを。
エクソシストじゃなくても良いが、この綺麗なイキモノを。
腹に毒を含むようなものだとは分かっていても。
やはりオレは
「…じゃぁ、寝てたってことにしてくれ」
曖昧に微笑んで、そういって、髪に口付けた。
いつからこんなに臆病になったのだ、と、内の自分が言うが、こればっかりはどうしようもない。
どうしようもないのだ。
「だから、優しいって言うんだよ。ティキ」
その続きはなんて言っているのか分からなかった。
「…何?」
その続きが聞けなかったことにいたく不安を覚えて聞くが、はぐらかされた。
「なんでもないよ、なんでも」
誤魔化すように彼は笑って、そのまま続きは言ってくれなかった。
「ティッキーはそのままが良いな。…このまま何も変わらなくて、戦争だけが終われば」
子供のような理想だ。
結局はこのままであれる事なんかなくて、どちらかが壊滅して。
オレが死ぬか、クリスが死ぬか。
銀色のゴーレムが鳴いた。
「…っ、キャットニーズ!」
愛らしい見た目に反してかなり可愛くない声で鳴くそれの頭を撫でてやり、頭の上に移動して尻尾でぺしぺし叩かれて、クリスは何がしたいのか分かったようだ。
「…あぁ、もう、そんな時間か」
「じゃぁオレはそろそろ戻るかな」
「うん、俺も戻らなきゃなんねェみたい」
塀の上に腰を置くクリスに手を伸ばして抱き上げて降ろしてやる時に、額にキスした。
「じゃ。クリス、死ぬなよ?」
言った台詞に驚いたようで、額を押さえていたがやがて納得したらしくニィ、と笑った。
「オッケー、了解。ティキこそ死ぬなよ」
やっぱり、笑った顔が1番好きだ。
*
もし君と戦場であって。
約束なんて、鎖なんて引き千切らなきゃいけないなら。
『絶対に生きてくれ。そんで…』
いなくなってしまうのなんて、辛すぎるから。
そんな事になってしまったら、神を呪ってしまうから。
だから
『殺してくれ』
《戦争なんて、ティキが生きていくには辛すぎる環境だ》
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