悠久の丘で
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意識の先

 ボクはエクソシストです。イノセンスに見初められて戦場に立つ資格を得ました。
 だけど、今は――――…、今は此処にいさせてください。

 ハートを持つこの少年を、戦場を知らずに育てたいのです。
彼が戦場に立たずにいられるならボクはどんな事でもしましょう。


  *


「…マスター?」
 打った背中が少し痛む。
 問かけた声に返ってくる答えはないようで、何も答えは返ってきていないのに押し付けられた背が痛い。
 だんッと強く打ったせいで呼吸がうまくできない。
 空の呼吸音がする。

「―――マス、ター」
 自分の手を一纏めにして上に跨る、男。

 そういえばこんな光景を教団では良く見たじゃないか。
 いつもとなんら変わらないじゃないか。
 腕が震える。

 背筋を這いあがる悪寒と、
 荒くなる呼吸音、



 ―――何を、ボクはそんなに怖がっているんだ?



「マスター」
 呼びかけにこたえない。
「クロス元帥」
 少しも動かなくて視線は未だに僕の両眼を射抜いたまま。
「クロス・マリアン」
 ―――漸く、少しだけ動いた。

 だがそれはボク自身にとって吉となるのかは全くの別問題だった。
「―――ッ、く…ぁ」

 小さく声が漏れる。
 まさかこの状態で喉仏を舌で押され舐められるなんて思わなかったから、気管を圧迫される苦しさと共に。
 舌がぬめりとして生暖かくてざらざらしている。
 お世辞にも気持ち良いなんて言えない。只でさえ喉仏を圧迫されたら苦しいのに、今は打った背と一纏めにされた腕までもがボクを苦しめる要因になる。
 舌打ちした。
 気付かずうちにあまりにも平和に慣れすぎていたらしい。

 こうして半ば正気を失ったような眼をして跨る男を振りほどけないほど。

 教団に居た時よりは確実に体が鈍った。
 AKUMAをいくら相手に出来ようが生きた人間を相手にする方が面倒臭い。

 教団にいたときにはこんな場面に陥ることも殆ど無かったのに。
 あったとしてもすぐに伸せるくらいには力もあったのに。

 本当に面倒くさい。
「―――…」
 すぅ、と息を吸った。マスターには悪いが眠ってもらおう。それが1番楽そうだ。
「『…深、淵に抱かれ、意識を奪…』っぐ」
「クリス…」
 喉に噛みつかれて続きが紡げなくなった。

 呼吸が続かない。
 口をあけて舌を出して、荒い呼吸が小刻みに漏れる。胸の上に置かれた手にも問題はあるのだろうが、それよりもボクは切実に、今此処で呼吸困難で死ぬなんて、なんて馬鹿げた死にかたなんだろう、と嫌に冴えた頭で思っていた。
 何が原因でこんなにもマスターは正気を失ったんだろうか?
 今までの経験上、こんなに正気を失う奴はいなかったのだけど。

 ましてやマスターは性格を別にすれば最高に位置する元帥だ。
 技能、力、知識。
 これに性格が入ればもっといいのに、と思うのは時折アレンに何かへンな事を教え込もうとしている時だ。


 そんなクロスが、
 正気を失っている―――…?


 これはおかしい気がする。
「クロ…スっ!」
 苦しい喉を使ってまで名を呼ぶ。今此処で「神の道化」が使えたらどれだけ楽だろう、なんて思って、だけどそんなことをすればきっとアレンの「道化」も騒ぎ出すだろう。
 極力それは避けたいことだった。
 故に必死に名前を呼ぶしかない。
「クロス、クロス―――…」

 ざらりとした舌。
 それが顎のラインを経て唇を強引に割る感触。

「んん…っ! ん、ん……ぅっ」
 死んでも口内に侵入させるか、と思っていた舌は、思ったよりも簡単に侵入を果たした。だって、奴が突起を指紋でざらざらの指で触れるから。
 あまりにも久しぶりで、アレンの柔らかな髪がくすぐるような感触ではない。官能を無理やり引き釣り出すようなその舐め方、触れ方に、一瞬、力が抜けてしまったのだ。
 クロスの指がくい、と顎を支えて、散々口内をいたぶり易いようにと少しの角度をつける。
 深く深く貪られて、息の根もとまってしまいそうなくらい性急な口付けに思わず眉を寄せる。
 なのに、上手い。
 的確に官能のツボを抑えているようで、段々正常に頭が働かなくなってきている。

 これは危ない、と思った。
 ましてや2階にはアレンがいる。

「―――…っ、」
「…っふ、ぅ」
 クロスが恨めしげな眼でこっちを見ていた。
「―――…なんだよ、馬鹿」
「お前はいつもそうやって舌を噛むのか」
 ぐい、と何度か口元を拭う。気持ち悪いとか、そう言うことはほとんどなかったけど、―――…そりゃ最初は気持ち悪かったけど、これ以上ああしていたら、きっとボクが流されていた。
「あんたが何時まで経っても変なことしてるからだろ」
「身体を売ってくるんじゃなかったのか?」
「金をたっぷり落としてくれる人の所にな」
 警戒する。捲り上げられた服を直して、身体を起こそうとしたら奴の手がまたもや服の中に入ってきた。
「―――ッ、クロス!」
「そうやって名を呼ばれる方がいいな」
「てめ…っ、正気か、アホ!」
 逃れようにもこの助平野郎の手は腰を捕まえていて、後退も出来ない。かと思えば前進すればこのアホの腕の中に大人しく収まるということで、


「抵抗されると意地でも抱いて善がらせたくなる」
 そう言って、舌で唇を舐める。


 ボクはその時、間違いなく絶句した。
 なんだ、このアホ、と思った。
 性格を除けば最高の元帥? そんなの嘘だ。そんな事を思っていた数十分前の自分の肩を揺らして考え改めさせたい。
 これは明らかに肉食獣の目だ。
 なんでこんな人間をあそこまで信じられたんだろうか。本当に気になる。
 自分の過去、久しぶりの大失態だ。

 こいつはこんなに危険なのに。
 早く逃げた方が良いと思うのに、頭の真ん中に芯があるとすればそれはこいつのせいで痺れているのかもよくわからない状況に陥れられているのだ。
 早く逃げるべきである。
「この…変態っ」
「褒め言葉か?」
 一向に構ってくれない。こいつが人並みの神経を持っていれば良いと思ったのは実に初めてのことだ。
 腕に捕らえれた腰はまだ開放してもらえなくて、

「クリス―――…」

 そんな風にどこか甘さを感じた声から逃れるように首をふって、だけど突起を指で弄られると弱い。ただでさえ、過敏なのだからやめて欲しいのに、喉から変な細い声が漏れるだけで、ちっともやめてくれない。
「可愛いぞ」
 耳元でささやく。
 ささやかないで欲しい、と思うのはボクだけなのだろうか。
 どちらにせよ、身体は正直に反応を示す。
 ソレを見て、クロス・マリアン元帥はにぃ、と笑った。
 その瞬間を見てしまったボlクは、本当に後悔した。
 クロスの唇が音をつむごうと静かに持ち上がる。
 ボクはそれが何を言おうとしているのか、おおよそ知っていた。


「クリス」
 名前を呼ばれてからだがびくりと過剰反応する。
「楽にしてやろうか」
 そういって、最初と同じように天井を元帥の紅い神越しに見るようになって、初めて危機感らしい危機感を持った。

 ―――――――――やばい、頭の隅で警鐘が段々大きくなっていく。

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