悠久の丘で
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姑息な手を使ってでも、手に入れたいモノ

 親が死んだ。AKUMAに果敢にも向かって行って、だ。
 俺だったら、殺せたのに。
 血の海の中で、俺は初めて戦う、という事を知った。

 人に頼る事なんて、大嫌いだった。いつだって、裏切ってくれるから。


  *


 走った。
 前から来る”えくそしすと”も”ふぁいんだー”も避けることなく走る。
 そして、今朝出てきたばかりの部屋のドアを荒々しく開け放った。
「クロス・マリアン!!」
 部屋の主は紅い髪を後ろにくくって、ベッドに転がっていた。
 上げられたばかりのマグロのようで見苦しい、と思いもしたが、そんなことは構わずベッドの脇まで行った。

 リナリーはいない。

 その事実がいくらか頭に上った血を下げてくれる。そして、足の先から冷やしていく。
「…ぁ?」
「リナリーにやけどさせたのは敢えて不問に処す」
 手っ取り早い餌をぶら下げた。
 コイツだったらわかっているはずだ。
 たとえ、リナリーの不注意からきたやけどであっても、俺が人を殴るのを躊躇わない事なんて。
 やっとマグロが体を起こした。
「…なんだ、やけどの事を不問にするなら用はないはずだろう」
「そうも言ってられない」
 唇をかんだ。団服の前を押さえる。

 人に頼るなんて、嫌いだ。
 だって。

「俺に”にんむ”が入った」
「…もうか!?」
「別に上は俺のことなんて殺戮人形程度にしか見てないんだろうからな、このくらいで次の”にんむ”ってのは良くある事だ」
「だが、いくらなんでも早すぎるだろう! …ここを発つのはいつだ」
「明日…の、早朝」
 クロスの顔が怒りになのか、歪む。
「…まだ帰ってきてから大して経ってない」
「そうか? もう、4日だ」
 4日なんて早くて長くて、怪我を癒すには十分ではないけれど、上は次の”にんむ”を持ってくる。それでも4日開いたことが凄い。
 いつもなら、3日か2日だ。

 だからリナリーとちっとも一緒に居られない。

「俺がここに来た理由、わかったか」
「チビを守れって、事か」
「いや」
 半ば自嘲気味に微笑んだ。


「俺が死んだ後の面倒を見てくれ」
 不自然にクリスの息は上がっていた。


  *

「いいかい、クリス」
 何度来ても吐き気がする。この――…室長の部屋は。
 目の前にいる男は、いつもこう、気に障る笑い方をしている。
 おそらくは俺も一緒だから、何も言いはしないけれども。
「今回君に行って貰うのはここだ」
 渡されていた、資料に視線を落とす。俺にはよく分からない言葉も書いてあるが、大体の行き先だけは分かった。
「…ドイツの、チューリンゲン州?」
「そう」
 室長の口調はなんだか楽しそうだった。

 気持ち悪い。

「今回はね、ヴァルトブルク城に行ってもらう。一部では…歌う城、なんて呼ばれているが」
「なんで、そこなんだよ。アイゼナハの郊外もいいとこじゃねぇか」
「歌うらしい」
「何が」
 おや、と、男は興味深げに眉を片方あげて見せた。
「いつも嫌なくらいに鋭いクリスにしては、珍しい」
 余計なことまで言う。
「城が、だよ」
「…城? 馬鹿も休み休みに言え」
「いや、実際に風とかではなく、城が、歌っているらしい」
 ほら、と付け足された。
「あそこ、歌合戦が多かったからねぇ」
「…ばかばかしい」
「ま、室長としてもあそこには送りたくなかったんだけど。探索班自体を」
「じゃぁなんで送った」
「うるさかったんだよ」
 こいつは嫌いだ。
「ヴァチカンが」

 いちいち話しているときの視線が熱を持っていることも、いやに体に絡み付いてくることも、全部。
 親しげに話しかけてきて、体に触られるのも嫌いだ。

 ちなみに言うなら、この部屋に来るたびに焚かれている甘ったるい香の臭いも嫌いだ。
「何で俺なんだ」
「僕も君を外に出すのは忍びないんだよ?」
 嘘を吐け、と内心毒づいた。
「クリスはこんなに綺麗で、しなやかで、僕好みだしねェ」
 頬に触れられ、無理やり上を向かされる。
「でも、いくらたってもクリスは僕に許してくれないんだよね」
「俺が何を許すのか、それ自体知らん」
「そうやってすぐに、話を変えちゃおうとする。そんなに僕は…クリスにとって危険な存在かい?」

 危険な存在?

 嘲笑が浮かんだ。何を寝ぼけてやがる。
 危険な存在ってのは、クロスのような奴の事を言うんだ。
 てめェなんか、危険視する価値もねェ。

「クリスの髪は綺麗だよ。髪も、唇も、眼も、手も、脚も、背も、どこもかしこも」
 だけれども虫唾が走る。
「綺麗なクリスは、きっと全部が綺麗だ」
 こいつは可笑しい。
「クリスはどうしてくれないのかな?」
「…何を」
 近寄ってくる男から間合いを取るように、ソファから立ち上がり後ず去る。
「何を? 分かってるだろう、クリス」
 身長さが、あまりにもありすぎたのか。


「…どけ」
「やだよ、せっかくなんだ」


 男の息が首筋にかかる。
 床に押し倒され、体の両脇に男の腕が生えている。
 その様子に鋭く舌打ちしてため息をつくと実力行使に移った。
「『どけ』」
 男の体がわずかに離れる。イノセンスの民間人への発動は極力抑えるつもりだったが、そんなことも言ってられなくなった。
 言いたくなくなった。
 だが、男の体はそれ以上戻らず、自分の意思で尚、肌を寄せてくる。
「…残念だったねェ。僕だって毎回お預け食らってたら学習するよ」
 再度鋭く舌打ちする。
 下がこんな場所じゃぁ、日ごろのAKUMAで鍛えた逃げ方も出来やしない。

 下を突き抜いていいのなら、いつでも出来るのだが。

「…てめェそれ以上動いてみろ」
「どうするのかな、クリスは。僕に懐いても良いんじゃない? クロス・マリアンには…懐いたみたいじゃないか」
「な…っ! 懐いてねェ!!」
 男の目つきが危なくなった。
「まぁ良いか」
 首筋を舐められた。
「…ぁっ」
「これでクリスは僕のものになるんだもんね」
 舐められた肌がぴりぴりする。
「…っやめ、ろ…ッ」
「あの悪名高いクロスにはまだ奪われてないんだろ? あの男のことだから、奪ったら所有印でもつけるだろうからね」
 両手を束ねられた。それを床に縫い付けられる。
「てめッ! 冗談が過ぎる!!」
「冗談? その言葉が面白い冗談だね」
 首を傾げられた。押し倒されたときに背に書類を引いて、現実逃避か書類を心配した。
「僕はさァ」
 男の声が遠い。
 頭が痛くて、甘ったるい臭いに息が詰まりそうになる。体を這い回る手は気持ち悪くて、どうしようもなくて、吐き出したくなった。
「クリスの事、大好きなんだよ。こんなに…」
 ビッと、何かが破ける音がして、急に肌寒くなった。
「こんなに小さなクリスを犯したいくらいに好きなのに」
 黒い団服が脱がされる。肩の辺りで止まって、落ちはしないけれども絡まる。腕を捕らえられているのだから当たり前だ。
「クリスに僕の挿れたら、きっと壊れちゃうよねェ」
 くつくつと笑う。
 団服の下のTシャツに手を突っ込まれた。肌にじっとりと触れ、気持ち悪い。

 なのに、カラダが何故かはねる。

「…ぁッ」
「ほら、クリスも気持ちよくなりたいでしょ」
 肌の上を舌が這う。
 耳につくような音が部屋に響いたから、きっとTシャツも破かれた。
 ピチャピチャという、耳を犯すような音に目を背けたくて、ギュッと瞑った。
 だが頭の中はいやに冴えている。
「男もさァ、ココ」
 舌先で胸を弄られる。
「性感帯なんだってさ。クリスみたいに小さくても性感帯なんだね」
 なぶるように、押しつぶすように、弄られる。
「だって、勃ってきてるもんね」
「…っ、ぐ」

 人を殺さないように、イノセンスを使う事は難しい。


「『今時分、総ての生命活動以外を停止せよ』」


 止まった男の動きを鼻で笑って蹴り倒す。
「馬鹿か、てめェは」
 破かれたTシャツを仕方なしにそのままにして、団服をとりあえず羽織る。
「俺の能力はな」
 蹴り転がした相手の心音は、死なない程度に、仮死状態にある程度には鼓動している。
「長い言葉の方が威力が上がるんだよ」
 男をそのままにして、書類を手に持ち部屋を出た。


  *

「…お前、どうしてそんなに甘ったるい匂い、させてる?」
 部屋に入ってきてから、どうにも呼吸がおかしい。団服を握り締めている所も。

 そして、何より鼻につくのは甘ったるい匂いだ。

「…室長に、呼ばれてた」
「あそこはそんな香、焚いてないぞ」
「いつもあそこは甘ったるい香ばっかりだ」
 クリスの目が、苛立たしげに細まる。
「おい、クリス」
 もう一嗅ぎして気付く。

「…これ、即効性の媚薬だぞ…?」

 ベッドから体を起こして言って、体に触れた。
「…ッん、ふ、ゥ」
「お前…」
 唇を噛むクリスを驚きと共に見つめる。

 そういえば、今の室長。

「…お前、いつも焚かれてるといったか?」
「…言った、あいつの部屋はいつも臭い」

 いやにクリスの事になると冷静じゃなかった。

 コレは媚薬。
 即効性で、性質の悪い事に効果が長続きする。


 効果を消すには。


「なァ…」
「どうした」
「…カラダが元に戻らない」


 脳内まで犯した香を、ヤって、消すしかない。

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