悠久の丘で
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2匹のこねこ

 親が死んだ。AKUMAに果敢にも向かって行って、だ。
 俺だったら、殺せたのに。
 血の海の中で、俺は初めて戦う、という事を知った。


  *


「うるせぇっ! 俺に触んな!」
 腕が真っ赤。
「抵抗するな! 君のイノセンスは酷使されて体がボロボロな事くらいわかるだろう!」
 けっ、と、行儀は悪かったが廊下に唾を吐いた。精一杯、相手にかかるようにして、唾を吐き捨てる。
 吐いた唾は喉の辺りに残っていたらしい血で紅かった。
 頭が痛い。
 この場所で年齢を大きな声出言う気にはならないが、それでも10代にだってなってない。そんな小さな子供を酷使して、イノセンスの酷使だとか言いやがった。

 てめェらは何様だ。酷使されたのは俺だっての。

 ここの人間は、特に白衣を着た人間は、人間を人間と思っちゃいないらしい。俺だけなら、と溜息すら出る。

 俺だけならまだ許せる。
 俺だけなら。

 体が小さい事を長所として、白衣の人間を振り切った。流石に1人で”にんむ”とか言うのに連れて行かれるわけじゃないけど、1人は戦えねェ、戦える奴は2人くらいが限度だった。俺入れて。
 最近は外に行かされることが多くて、ろくにアイツと話してない。
 まだアイツは小さいんだから、と、大して歳も変わらないのにその部屋へと急いだ。
 黒い、胸に十字架が付いた服は重い。
 重い上に長いから、ようやく1メートルくらいになった俺の身長じゃ長すぎだ。裾踏んづけて、こけそうになったのも1回や2回じゃない。

 アイツの部屋に着くと一応、ノックした。


  *


 コンコン、と軽めな音がして、返事をする。
「はい、います」
 もしかしたら”かがくはん”の人かもしれない。身を固くしてドアの外を見ていたが、細く開いたドアから見えたのが銀色の髪だったから、そんな緊張も解けた。
「クリス! ”にんむ”、終わったの?」
 唯一の、歳の近い”えくそしすと”。
 私と、同じ…に近い力を持つひと。
「リナリー、ただいま」
「おかえり!」
 照れくさそうに頬をかいて入ってくるクリスに抱きついた。短い、でも触ってもつんつんしない髪が頬に触れる。
 生きてる人間っぽかった。

 私の言う事を聞いて、笑ってくれるひと。

 大人のひとは私をお兄ちゃんから引き離して、ここにつれてきた。
 お父さんだって、お母さんだっていなくなったのに、今度はお兄ちゃんまで。
 ここでクリスを見つけるまで、私は必要最低限のことしか喋れなかった。
 クリスは、”にんむ”が終わってから、次に行くまでずっと私のトコにいてくれる。私が唯一、喋れるひとだ。
「クリス、すっごい怪我だよ。大丈夫じゃないよ、救急箱で、たりる?」
 銀色の髪に少し、紅いものがまじってる、気がする。
 クリスがいつもより冷たい。
「…大丈夫だ。俺の心配はすんな?」
 大丈夫なわけ、ないじゃない、と思う。
 だって、いつもは暖かいクリスが、冷たい。
 でも、きゅうって腕に入る力は強い。
 離さないようにって思ってるみたいに、強い。
「クリス、心配だよ。ね、だれか呼ぼう?」
「やだ」
 子供みたいに即答された。
「だって、アイツら遠慮ないんだ。きっとまた”にんむ”とかってのに行かされる。リナリーと一緒にいられない」
 クリスは優しい。私の事情を聞いたとき、このひとは真っ赤になって怒ってくれた。
 怒ったまま、”かがくはん”のひとの所に殴りこみに行ったのは問題かもしれないけど、クリスは私の話を聞いてくれた。

 聞いて、泣いてくれた。

 それからずっと、ここにいる時には、一緒にいてくれる。
 でも、私が外に出れないからクリスにたくさん”にんむ”がいってるみたいだ。
 そして、クリスがいなくなってから”かがくはん”のひとが来る。
『シンクロ率がどうしてこんなに低いんだ』といって、いらだたしそうにこっちを見る。
 そして、必ず最後に言われる。

『クリスが死ぬ前に使えるようになるといいなぁ』

 それがいやで検査に呼ばれる前に逃げようとしたら捕まって、いつもよりも長く部屋に入れられた。
「クリス、死んじゃうよ…っ」
「それでもリナリーがいるほうがいい」
 ぎゅうって力が込められる。ちょっと痛かったけど、我慢だ。きっとクリスの方が痛い。
「やだよ、クリス死んじゃいやだ。外行って、”かがくはん”じゃないひとに来てもらう。それなら良いでしょ?」
 白衣を着たひと以外なら、白い重そうな服を着たひとか、黒い服をきたひとになる。
 黒い服をきたひとは私たちと同じ、”えくそしすと”だ。
「…いい、リナリー、また捕まる」
「大丈夫だよ、すぐに来てもらうから! ”かがくはん”のひとになんて、みつからないようにするから」
 無理だって、分かってたけど。
「だから、クリス放して? 私、すぐに帰ってくるから」
 でも、そうとでも言わなきゃクリスは酷い怪我をそのまま治そうとする。
 見た感じ血だって足りてないみたいだ。だって、顔が青いもの。
 クリス、熱の時だって、誰にも言ってくれないんだもの。私にだって言ってくれない。
 来ないときに見に行くと、たいていが酷い怪我か熱で動けないときだ。

 クリスの、手の力が緩んだ。

「…クリス?」
 放して、とは言ったけれどこんなに素直に放してくれるなんて思ってなかった。だから不思議で聞き返すけど、クリスは返事をしてくれなかった。
 返事の変わりに、おかしいくらいに荒い呼吸音。
「クリス!」
 厚手のコートなんて着てるからだ。額に触って、苛立たしげに唇をかんで、クリスをベッドまで引きずっていく。
 厚手の服なんて着てるから、いつもより高い体温に気付かなかった。
 これは平熱なんかよりはるかに高いのに!
 ベッドの上に引きずってから、シーツの上に転がすと布団をかけた。
 クリスはあらい息を繰り返す。ちょっと考えてから、コートのボタンだけははずしておいた。
 そして、ドアに走る。
 振り返って、一応言っておいた。
「クリス、ひと呼んでくるからね! ここから出ちゃ駄目だからね!」


  *


 急いで走った。
 クリスが死んじゃう。
 こけそうになりながらも走った。そしたら角を曲がった所で誰かとぶつかった。
 走っていた反動でこける。
「…あぁ? 大丈夫か、チビ」
 声がかけられて、視線を上げたら目に入ったのは黒い色と真っ赤。
「お願い!」
 黒いひとなら大丈夫だ。誰だかわからなかったけどすがりついた。
「あぁ?」
 真っ直ぐに相手を見た、と思う。でも、実際にはクリスが死んじゃいそうなことを思い出して涙が出て、言葉すら上手く出てこない。
「クリス…っ、死んじゃうの…!」
「死ぬ?」
 コクリコクリと何度も頷く。相手はしゃがみ込んだ。頭に大きな手が乗っかる。
「チビ助、落ち着いてしゃべれ。誰が死にそうなんだ? そいつは何処にいる」
 紅い髪が、肩に付くか付かないかくらいに長め。肩にいる゛ごーれむ゛は教団
でよく見る形でも色でもなかった。
 丸い体にふさふさの尻尾。羽根は大きくて、口があるみたいだった。

 このひとならクリスを助けてくれる?

「…私の部屋。クリスを助けて…ッ」
 そんなのよくわからない。だって初めて見たひとだ。でも、黒いひと。私たちと同じ゛えくそしすと゛。
 男のひとは立ち上がった。立ち上がって、面倒くさそうに髪をかきあげた。

 クリスは大人しく寝ていてくれているだろうか?

 寝ていたら相当危険だ。クリスは多少ならすぐに動いてしまう。
 ――私を、探してくれる。
「行くぞ、チビ助」
 横に長い帽子を軽く押さえた。そして言う。
「死にそう、なんだろ。そいつがいる部屋まで、行けるな」
 え、という顔で呆けていた私の頭をもう1度くしゃり、として、言った。
 私は頷いた。

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