悠久の丘で
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皮剥きの間に進むこと


 起きた。ぼーっとして芯が痛む頭に、昨日堪えながら少し泣いた事を思い出した。
 少し視線を上げればロー。いつものように抱き締められ、奴の胸の中にいる。頭を抱くように緩く抱き締められ、後は密着していると言っても良いくらい。
「……ロー、あったけェ」
 その胸へ頬を寄せる。これが今日で終わってしまうと思うと途端に泣きたくなった。
 首筋に唇を寄せる。触れる肌が確実に唇を押し返す。ただそれだけの事が酷く耐え難かった。
 肌に触れさせた舌を押し付けるようにして吸うと赤く鬱血が出来る。
 それが、ローに与えられた唯一の証のような気がして少し嬉しくなった。
「へへ、俺のって証」
 付けたとしてもすぐ消えてしまうのは分かっている。それでもローが俺に渡したような首輪は奴にはない。
 だから、
「―――ロー、俺の事忘れないでな」
 懇願するようにもう1つ隣に残す。
「すっげー楽しかった」
 ローが買ってくれてから、今までを思い返す。バカみたいに楽しかったこの数日間。やっぱり俺はツイてる。
 ローの胸に唇を寄せて、1度強く抱きしめる。そうすると不思議と落ち着いた気がした。

「何が楽しかったって?」
 ぎくりとした。
「―――ロー…、起きてた、のか?」

 耳元に零れた吐息がくすぐったい。慌てて見上げた先には金に近い眼差し。俺の腰に回された腕は先程とは違いビクともしなくて焦る。
「あぁ。お前が可愛いことしてる間、ずっとな」
 にまりと唇の端を吊り上げ笑う。
「…は?」
「ぎゅって抱き付いて来て、此処にキスしてる時からずっと見てた」
 ひょいっと軽々俺を抱き上げ、胸の上へ乗せる。ローの身体を跨ぎ何をするのかと見ていたらそのまま頭を胸へ寄せられた。


  *


「…ロー、重くないか?」
 俺の身体に乗り上げ(そうさせたのは俺だ)、身体を引き寄せたから胸から腰までクリスが触れる。クリスが元々寝る時半裸族だから触れる肌から体温が伝わって温い。それを抱き締めて、片方の手で頬を撫でる。
「あぁ、重くねェ。ンで? 何が楽しかったんだ」
 分かってる。コイツならどうするかくらい。それが嫌なのは俺の都合だ。
「何が忘れないって?」
 今此処で手放したら、もう2度と戻って来ないだろう。でもそんなのは嫌だ。折角手に入れたのに。
「…えっと、あの」
 しどろもどろになるクリスをじっと見る。
「あの、スモーカーに会って、言われたんだ。エースが処刑されるって」
 目を伏せて何かを堪えるように告げる。これが俺達でもこんな顔をするのだろうか。して欲しいと切実に思う。
 そうしたら、全世界に嘲笑われながら死に行くのも、そう悪くはない。
「でも、エースはまだ手が届く所にいる。届くのに伸ばす手を引っ込めるなんて、俺には出来ない」
 繰り返し話を促すように髪を梳いてやる。
「アイツが俺を迎えに来ないなら、俺が行かなくちゃ。それが何処だって」
 唇を噛み締めながら言う姿に笑みを深める。
 やはりコイツは俺が欲しかったクリスだ。
 だから、と続ける口に指を突っ込む。
「…っ」
 噛んで傷付いた場所を撫でてから中で逃げる舌を追う。
「言え」
 薄く笑っている事を自覚。クリスが何を、と言う目で見上げて来る事すら気持ち良い。
「言え。お前が言うならなんだって叶えてやる」
 目を細めて笑う。クリスの目が大きく見開かれて、その後やはり堪えるように首を横に振る。
「お前が欲しいモンはなんだ?」
「俺…」
 クリスの口内から引き抜いた指を舐める。
「何が欲しい。俺ならお前にくれてやれる」
 クリスの目に、薄く水が盛り上がる。それを舐めて堪能して唇を舐める。
「お前が欲しいモンはそんなに簡単に諦められるもんなのか」
 額にキスをする。
「…ダメだ。お前には頼めない」
「何故」
 滑らかな肌を撫でて感触を楽しみ、まだ言おうとしないクリスを見る。
「俺はお前らの無事も欲しいんだ」
 泣く1歩手前で必死に堪えるクリスが愛しい。ダメと言いながら抱き締めてくる強さに目を細める。
「スモーカーだけじゃない、本部の海兵は当然全国の将校も集まってる。数も地の利もある。お前が強いのは知ってるけど、大将だっている。俺はお前らが好きだから絶対に巻き込まないって決めたんだ」
 そんな事言っても、全く説得力がないと思うのは俺だけだろうか。嫌だと言う痕付けをして、嬉しくも無さそうな声で楽しかったと言うクリス。
 寂しいと言って泣くクリスを、どうして手放せるのか。
 元より手放してやるつもりなんてこれっぽっちもないから、良いのだが。
「それで終わりか?」
「―――…ロー達は新世界に行くんだろ? 今なら海軍の手も空いてないから邪魔されずに行ける」
「終わりか?」
 恨めしそうに見上げてくる顔が愛らしい。
 泣いたせいか目元が少し赤い。そこに唇を落とす。
「ローもペンギンもシャチもベポも好きだ」
「一緒に居れば良い」
「……エースは、今独りだ」
「一緒に行ってやる」
「危ない」
「お前よりはマシだ」
 あやすように背を撫でてやって、クリスの匂いを堪能。ちゅ、と軽く耳に口付ける。
 本当は耳に舌を入れ込んで、舐めて啜って堪能したい。そんな事をすればクリスが上から逃げてしまうからしないが、夢ではある。
「戦えないお前が生きて帰れると思うか、クリス。俺が欲しいのはお前の死体じゃないんだぞ」
 欲しくないと言ったら嘘になるが、死体なんぞより生きてる方がよっぽど良い。この温い体温や柔らかい身体を堪能出来るのは俺だけで良い。海軍の奴らになんて、指1本すら触らせたくない。
「お前は俺のもんだ」
 瞼にキス。
「……ロー」
 溜め息混じりに呟きが落ちる。
「終わりなら言え」
 たった一言で良い。
 まだ拗ねたような顔のクリスを見て笑みが零れる。
 クリスが抵抗すればする程、愛されている事を自覚する。その抵抗こそが我が海賊団への愛の重さ。
 憎らしくも愛らしい。

 でも、大事なモノを手放せる強さなんて、俺には一生いらない。

「クリス」
「…やだ」
「クリス」
「俺1人だって行ける…! エースも居なくなっちゃうかもしれないのに、その上お前らも危険に晒すなんて嫌だ」
 口角が上がる。
「クリス」
「嫌」
「俺を欲しいと言え」
「―――いらない」
 そう言っても抱き締める腕の強さは変わらない。
「いらないのか」
 つい、苛めてしまう。いらないと言われ、かなりショックな筈なのに堪らなく嬉しい。
 現にこうして頷く為に泣きそうに顔を歪める姿が好きだ。
 背はデカいし身体も肉付きがちっとも良くないから硬い。一欠片だって異性には見えない。
 でも俺を死なせたくないと唇を噛んで堪える姿を好きだと思う。
 俺を見上げる切れ長の目が1度大きく見開いて、それからゆっくり是と首を振る様子をじっと見る。金色にいっぱい俺が映る。クリスの手は握り締め過ぎて真っ白になっていた。
「―――バカだな、お前は。誰がお前を離すか」
 最後まで1人で行くと言い通す意志の強さも好き。

 好きと言う言葉が如何に陳腐かを知る。

「ロー」
 低く威嚇するような声に笑う。
「そんな声出しても無駄だ。俺はお前を気に入ってるし、それは俺だけじゃない」
 ―――そう、憎らしい事に。
 笑っていたペンギンが実際腹の奥で何を考えているのかなんて分からない。俺には見えない所でクリスにべったりなシャチもだ。
「お前を船から下ろす気はさらさらねェ」
 硬い銀糸に指を通す。
「だから言え」
 それが、何処か懇願に聞こえた。


  *


「なぁ、ペンギン」
「なんだ」
 食堂のテーブルにぐったり伸びたシャチが此方を見上げる。
「船長、上手くやってるかな」
「…さぁな」
「クリス、1人で行くなんて言わなきゃ良いな」
「あぁ」
「嫌になっちまったのかな」
 そればかりが気に掛かり、料理長に言われた皮むきがこれっぽっちも進んでいないシャチを見かねてナイフの柄で軽く小突く。
「さっさと終わらせろ」
「痛っ! ひでぇよ、ペンギン」
「終わったらお前、今日は暇だろうが。そんなに嫌なら泣きつきに行け」
 よりによって、俺の雑用担当は重なりに重なった。それが出来ない恨めしさも入っている八つ当たりにシャチは頭を押さえたまま此方を見る。
「……だって」
 イラっとした。
「見上げて来て可愛いのは選ばれた者だけだと知れ」
 ナイフの柄で再び殴る。
「ひでェ! 仕方ねェじゃんか、背、伸びないんだぞ!」
 もう手を動かさないシャチは無視。付き合いきれない。出来る事なら雑用をシャチに押し付けてクリスの顔を見に行きたいくらいなのに。
「なぁ、ペンギーン」
 仕事をしないシャチは無視して黙々手を動かす。蒸かした芋をこんなにいっぱい何にするのだろうか。大方コロッケだと思う。
「クリス、一緒に居て欲しいな」
「そうだな」
 ぽつりと呟いたシャチがナイフを動かしているのを確認。
 ナイフ使いにおいてはシャチの右に出る者はいない。
 綺麗な帯となって机を埋める芋の皮を見ながら、自分の分をせっせと剥く。
 人よりも数倍出来る仕事があるのだから(本来の使い方とは違っても)やれば良いと思う。料理長も、そう言えばシャチが当番の時に多く芋料理を出している気がする。
「まぁ、船長が今更クリスを離せるとも思えないけどな」
 シャチに負けないよう少し厚いながらも帯にしつつ、剥き終えた芋はボールの中へ。
「この間船長に用事があって部屋覗いたらさ」
「あぁ」
 先の言葉に予想がついて、また芋をボールへ。
「俺、流石に船長が羨ましくなった」
「―――…は?」
 俺の予想の斜め上をいったシャチの言葉。
 つい手を止めた俺に気付いてないのかシャチはハイペースでボールに芋を落としながら真面目に言う。
「いやー、毎日あぁやってクリス抱きかかえて寝れたら最高だと思う」
 ペンギンは思わねェの? と首を傾げる姿に帽子で視線を隠しながら苦く呟いた。
「…思う」


  *


「…ロー」
「断る」
「重いだろ」
「もっと肉を食え」
 何故だ、という目で見下ろす視線。
 半ば無理矢理クリスに欲しいと言わせた手法は聞かないで欲しい。あまりにも捨て身過ぎて、やっておきながら泣きたくなる。
 漸く欲しいと言っ(わされ)て、クリスは笑った。

「ロー、何時までこうしてるつもりだ?」
 それからずっと、クリスを膝に乗せている。
「俺はずっとでも良い。お前くらいなら移動の時も抱き上げてやれる」

 真面目な顔をして真面目な事を言ったのに、照れ屋なクリスに叩かれた。
「本気じゃないよな」
 本気だったが、クリスの2発目を避けるため無視した。
 細い腰だと思う。自分の腰を抱いた事などある人間は殆ど居ないと思うが、それにしても細いと思う。
 顔が見えるよう膝に、横に座るクリスの胸の位置に頭がくる。さわさわ触っても怒られないし、クリスからいい匂いがする。
 本当に良い位置。

「―――…ペンギン、怒ってねェかな」
「怒られたら謝れば良い」
「そりゃそうだけど…」
「取り敢えずコレからの行き先の確認をしなきゃなんねェ。すぐに顔を合わすぞ」
「うー」
 唸るクリスが俺の頭を抱くから、もう少しこのままで良いか、なんて思った。

 お前が此処にいるなら、もうそれで充分。他に何も望みはしない。


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