悠久の丘で
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全部、全部


「悪い、今日先に寝るな」
 船に着くなり少し申し訳なさそうに眉を下げたクリスに許可を出して、元気が無さそうな姿を見送る。
「…おい、ペンギン」
 船内に消えていくクリスの背中から視線を逸らさず、じっと見つめながらクルーを呼べば進み出た。その視線もクリスの背中へと注がれ、ややあって此方を見る。
「調べて欲しい事がある」
 幾つか小さく口にすればペンギンは是、と言う。
 うんと伸びをした。詰まった背骨が音を立てて伸びた気がした。


  *


 クリス、クリスと呼ぶ声を思い出す。
 最後に会ったのは何時だったか、もうずっと前だった気もしたし、最近であったような気もした。時期は覚えていないが、確か枯れ果てた砂の国に向かうアイツと合流した記憶がある。
 それからは白ひげの船へ行く事があっても、アイツの姿だけは見なかった。
 「今は探してるもんがあるからクリスとは会えなくなっちまうけど」と少し寂しそうに告げた横顔を思い浮かべると、今日スモーカーから聞いた事がぐるぐる頭を回る。

 マリンフォード
 処刑
 2日後

 あの時、アイツはなんと言ったのだっけ?
「―――…このままじゃ、全部居なくなっちまう」
 自分の中の、まだ残っているアイツが。
 両手で掬い上げた砂のように、手と手の隙間からさらさら流れて消えてしまう。
 ベッドの上で脚を抱え丸くなる。毛布を深く被って、真っ暗になって。それでもどうしても思い出せない。
 思い出せるのは、アイツがどうやって俺の名前を呼んでいたのか。
 どうやって笑っていたのか。
「そんなの嫌だ」
 まるで、もうアイツが居なくなってしまったような。
 寝返りを打ってもぞもぞ動く。
 耳を打つ声はいつだって柔らかかった。
 クリス、クリス、と呼びながら、何時だって嬉しそうに笑っていた。後を着いて回って、それを見たシャンクスやジュラキュール、スモーカー、挙句の果てに奴の愛する親父殿にまで雛鳥のようだと言われた。
 海王類にちょっかいを出して溺れたり、飯を食いながら寝てマルコに怒られた。
 その度に俺の所へ来て、へへ、と笑って。
 髪をくしゃくしゃ撫でてやると、少し硬い芯のある髪が揺れた。ほぼ一緒の高さで、笑って細まる黒の意思の強そうな目が好きだった。
 共に寝転がると俺の銀とアイツの黒が混ざる。
 俺にはない色だったからそれが凄く嬉しくて、よくアイツと昼寝をした。アイツにくっつくと暖かくて、それと同時に年下の癖に俺よりもしっかり付いた筋肉にムッとして、毎度「細くて抱き締め易くて良いじゃねーか」と言うアイツに負ける。
 そうしてカラリと笑うから、甘んじていた。
 弟のようだ、と言えば、熱に浮かされたような目で、俺に「誰にも殺されるな」と言う。「クリスを殺すのは俺が良い」なんて拗ねたように唇を尖らせる。
 俺が困るのを知っていて頬や耳に唇を触れさせる。
 少しずつ移動させて、時折甘く噛んでそこで囁く。
 それがくすぐったくて仕方なくて、逃げてもアイツは笑う。「可愛いな」と言ってにっと口角を上げて笑う。
 可愛くない、と言ったら、本気で頭を心配された記憶があるが、何度思い返しても、頭を心配されるべきはアイツの方だと思う。
 決して俺ではない筈だ。
 それでも、その後白ひげの船でありながらシャンクスとジュラキュールまでを交えた大討論会になった事は懐かしい。俺はさっさと寝てしまったからマルコがその日は隣で寝てくれたけれど、次の日食堂へ行ったら屍のようになりながらも満足そうな顔をした死体が3つあった。それを見たマルコが取り敢えず1番若い死体を蹴り起こした事は覚えている。

 俺の記憶の中のアイツは笑ってる。
 笑ってる。
 笑ってる。

「まだ、時間は…」
 ある、だろうか。笑うアイツとまた話す為に。
 雛鳥のように俺の後を着いて来るアイツを。
「2日後」
 口に出す。
 そうしないと、アイツから貰ったビブルカードがもう半分もないなんて、焦げて今にも消えそうなんて、いらない事を考えてしまう。
 マリンフォードとは何処なんだろうか。
 もぞもぞベッドから這い出し、ローの本を漁らせて貰う。地図くらいはあるだろう。幾ら偉大なる航路だとは言え、ログポースしか信用に値しないとは言え、海図はある筈だ。
 船長室は広くて、丸い窓のお陰で月明かりが差し込んでいた。
「―――…あった、コレだな」
 ローは医者だからだろうか。
 本棚の1番下。すっかり埃を被ったをひっぱり出せば、埃が舞って思わず口を押さえた。
 目次から偉大なる航路前半の海図をまとめた物らしい事がわかる。
 問題の場所は、すぐに見付かった。
「…マリンフォード………近い、のか?」
 普段海図を見ながら島から島を移動している訳ではないから実際の距離はよくわからなかったが、コレでスモーカーが今日、会いに来た訳がわかった。
「近い。…近い」
 外に居る、アイツらにお願いしたら間に合うだろうか。大きいの達に頑張って貰えればまだ間に合うかもしれない。

 俺が行ってどうなるかなんて、全くわからない。
 俺が行ってもどうにもならない、なんて、予想としては1番正しいだろう。
 ―――それでも。

「逆だったら、お前はどうするかな」
 一気に心が軽くなった気がした。
 スモーカーのお陰で、幸い、まだアイツは俺の手の届くこの世界に居る。
 まだ、生きてる。
 まだ、届く。


  *


「………成程」
 ぱらぱらペンギンに集めさせた情報をページを繰って把握していく。
 白猟が、今、来た訳も。
 クリスの表情の理由も。
 これからアイツがどうしようとしているかだって。
 全てコレを見ればわかった。把握は出来た。
「あの時あんなもんで追っ手が切れたのはコレが理由か」
 情報収集を怠けていた訳ではないが、この情報がこんなに身近に感じることなどないと思っていた。
 溜息を吐いて、脚を組む。
「そのようですね。日付を見るとまさにあの日、全国へ発表されたとなっている」
 テーブルに寄りかかるペンギンを見上げれば頬杖を着いた。
「アイツは、行くと思うか」
 問いかけながら目を閉じ自分でも考える。クリスなら海軍の膝下であるマリンフォードへ、火拳の為に行くだろうか。
「―――…船長、自分で答えが出てんのに聞かないで下さい」
 呆れたように腕を組み言い放つペンギンを一睨み。手にある情報を机に投げ出すとペンギンは几帳面にそれを集め、テーブルに置いた。
「そうだな」
 クリスは行くだろう。きっとアイツは、自分の懐に1度でも入った奴を何処までも愛する。
 それが、この短い間で分かる程クリスは真っ直ぐだった。
「マリンフォードか」
「あと2日」
 間に合うか、と問えばペンギンは苦笑した。
「微妙な所だな。処刑が何時からなのか…。ただ、白ひげはクルーに手を出されて黙っている奴じゃないから、ギリギリ間に合うかもしれない」
「どうとも言い難いか」
「正義の門が問題だな。うちは潜水艦だからどうか分からんが…」
 そう言えばそんな問題もあったのだと思い出す。幾ら一般人や海賊に縁がないからと言って、あんな複雑な海流なんか作り出すもんじゃない。本当に面倒くさい。
「深くまで潜って、広場で上昇か。どうだろうな」
 あまり多くはないとは言え、潜れるタイプの船を操る海賊もいる。確か、件の白ひげの船がそんな事も出来る、と聞いた事があった気がした。
「どの道、間に合わなかったら処刑されるだけだしな」
 うちとしては、それでも良い。

 そう、―――クリスさえ居なければ。

「アイツは泣くだろうな」
 ふ、と笑い混じりに告げるペンギンが憎たらしい。そんな事は分かってる。分かりきっているから、こうして関わった事もないような海賊の為頭を突き合わせているのだ。
「泣くクリスには勝てねェ」
 苦い顔を作って見せてるとペンギンに鼻で笑われた。
「―――何か文句があるか」
「いいえ、なにも」
 肩を竦めて笑うクルーを椅子に座って見上げじっと見つめると降参でもするように手を上げる。
「いや、ただクリスは凄いなって」
 知りもしない海賊を助けるために我々の命まで賭ける事を、あっさり船長に判断させた。
 そう言われて気付いた。
 クリスが船を降りて1人で行くのだと考えもしなかった。行かないでくれれば良いのにとは思っても、クリスだけを降ろすなんて考えもしなかった。
 それ程手放したくなかった、と言う事だろうか。
「ま、俺もクリスは好きなんで、降ろすって言われても困りますが」
 へらりと笑ったペンギンの表情からでは、本気か冗談か分かりかねた。
「…俺のもんに手ェ出すのか?」
 真意は全く読めない。ムッとしたように軽く睨み付けると笑った。
「いーえ。滅相もない」
 手をひらひらさせて頭の上へ上げたペンギンは、まだ睨み付ける俺を見て再度笑う。
「嫌ですね、船長。そんなにクリスを盗られるんじゃないかって心配ですか?」
 ふふん、と自信あり気に笑うペンギンが気に入らなかったから、脛を蹴ってやった。


  *


「―――…此処、で、お別れ、かな…」
 ローの匂いのする枕に顔を埋める。まだそれ程長い訳では無いけれど、既に馴染み深く安心出来る匂いを嗅ぐと、なんとなく鼻の奥がツンとした。
「…うん。ローに迷惑、掛けられないし……」
 スモーカーは勿論、化け物と呼ばれるレベルの海軍将校、全てが召集されていると考えた方が良いだろう。
「死ぬ所なんて見たくない」
 大好き。
 愛している、と言っても過言ではない。
 人間屋で何処に売られるとも分からなかったあの日。どうせ逃げ出せる自信があったから、それ程悲観視していた訳ではないけれど、あの日あそこで出会えて良かった。
 心の底から思う。
 シャンクスに再三誘われても、「どうしても一緒に居たい」とまでは思えなかった。

 あの変態は、俺が一緒に居たいと思った唯一の船長。

「………また、戻って来れたら、また会えたら」
 続く声は枕に吸収された。
 こんな事なかったから、どうすれば良いのか分からない。
 どうしたいのかも分からない。
 それでも、アイツがこの世界から消えてしまうなんて、嫌。
 でも、愛しいこの船を、巻き込んで良いとも思わない。
 枕をキツく抱き締める。

 こんな時にアイツが居てくれたら良いのに。


  *


 すっかり眠ったらしいクリスの髪を梳く。さらさらと指通りの良い、少し硬い髪。それを指に絡め掬い上げれば軽く唇を寄せる。
 丸まって寝るクリスを無理矢理此方を向かせて額にも唇で触れる。
「………泣いたのか?」
 目の周りに浮いた塩の結晶を見つける。目元を拭うように指で擦ってやっても紅くなるだけで、諦めて其処を舐めてやる。
 舌に触れる細かな塩の結晶。
「言え」
 クリスの味がする。
 クリスの匂いがする。
「お前が言うなら、何処にでも連れて行ってやるから」
 首輪にキスをして、首筋を舌でなぞる。
「―――それが世界の裏側でも」
 寝てまで火拳の事を考えているのだろうか。寄って皺を刻む眉根に唇を落とす。
「海軍の艦隊の真ん前でも」
 繰り返し髪を梳いてやる。
「連れて行ってやる」
 そうでもしないと、お前は俺から離れて行ってしまいそうだから。

「だから、俺に言え」
 全部、全部、叶えてやるから。


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