悠久の丘で
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誠実でありたい


 それは事情を知らない人間から見たら、酷く違和感を感じ、数瞬後には恐怖を抱く光景であった。
「おい、クリス」
「アイアイ、船長」
 甲板の上から見下ろすと少々肝が冷える。
 確かに最初、人間屋の奴が言っていた。『海王類を意のままに操る術を持つ』、と。
 しかし、細いクリスが小型から中型、大型の海王類に囲まれる姿はつい武器を取るには十分だ。
 咄嗟に刀を掴んで構え、そして気付く。
 アレらは決してクリスには危害を加えない生き物なのだと。
 クリスは陸に居る時だけでも、と云うように海王類の近くに居ようとする。最近は日課だった窓から空を見上げる事は止め、暇な時間は海間際まで降り、じゃれるように集まる海王類の背を撫でてやっている。
 それを面白くないと思っていても、悲しいかな、能力者。
 海から嫌われたこの身では、溺れかねないので下にも降りられない。
 だからこうして甲板から下を覗き見る。
「そろそろ上がって来い。冷える」
「あ…、うん。………あのさ、ロー」
「なんだ?」
 クリスにしては豪く歯切れの悪い声だった。そんな声は今まで1度も聞いた事がない。下に落とした視線がふとクリスの手に握られた白い紙を捉える。
「あのさ、明日1人で街に行ってきても良いか? その、手紙が届いて…古い友人が、会いたいって」
 少し困ったような声だった。
 名前を告げられ、そう言えば先日シャチから名前を聞いた、と思い出す。
「―――戻ってくるのか?」
「へ?」
 驚いたようなクリスの表情。それにもう1度問う。
「此処に、戻ってくるのか?」
 きょと、としたクリスの表情が少し面白かった。
 独占欲で潰れそうになる心を必死に立て直す。
 クリスの首輪は俺の所有印と共に、戒めでもある。自由に動き笑うクリスでなくてはつまらないから、手折られたクリスなんか、そんなものに全く興味はないから、クリスをモノとして見た世界貴族や天竜人なんかと一緒にならないように。
「勿論」
「なら良い。明日だな? 危ないから日が暮れるまでには戻って来い」
「ありがとう、ロー」
 夕陽に照らされたクリスの顔がホッとしたように見えた。

 かくして、我々ハートの海賊団クルーは、朝早くから船長の我儘でクリスを尾行することになったのだ。


  *


 普段何処に居るとも知れない旧知の友。
 友と思っているのは俺だけかもしれないが、それでも自由にこの広い海を渡る権利を持ったアイツに会おうと思ったら、手紙なんていう古典的な手法でもとらない限り捕まらない。
「…ったく、こんな所に居るとはな」
 偉大なる航路すら自由に参戦、離脱が出来るアイツにとって、凪の帯もあってないようなもの。
 先日豪く自慢げに鷹の目がやってきて、「クリスに会った」とだけ告げ満足そうに帰っていきやがった。
 その時言っていた場所が、なんの偶然かマリンフォードに近かったから先にクリスに会いに行く事にした。たしぎには「クリス君ですか」なんて言われたが、無視。
 言い訳にしかならないが、ポートガスの餓鬼にやや一方的に懐かれているクリスに今回の召集の事を告げなければ、今後、クリスに会う事さえ許されないような気がした。既に新聞で全世界にポートガスの公開処刑は伝わっている。クリスに今告げてどうなるとも思えなかったが、それでもアイツの大事な奴は札付きやら海賊やらが多い。
 一部俺みたいな海軍や、W7の職長のような一般人もいるが、それでも海を自由に渡るクリスは海賊にやたらと愛される。
「クリス…」
 元気だろうか?
 何時もと変わらず迎えてくれるだろうか。そんな甘い事を考える。
 待ち合わせ場所として指定した40番Gに着くと、相変わらずの人集り。つい舌打ちをした。
「…っち」
 知らず知らず咥えた葉巻を強く噛む。煙が1度口腔を満たして、それから外へと深く吐き出す。
「あの野郎、また端から寄せ付けてやがる」
 決してクリスのせいではないが、そう苦く呟いてしまうのは悔しいからだろうか。アレも寄っていく好奇の目で見る人間を嫌うから多少なりとも機嫌が悪い事だろう。
 容姿が整う、という事も人によっては困った事。せめてクリス以外の誰ぞやにくっつけてやれば良いスキルだと思う。
 主に男で構成された人集りはクリスと会う際とうに見慣れたもので、掻き分けて行くとぽっかり空いた中心部に少し不機嫌そうなクリスが居た。
「クリス」
 声を掛けるとやや虚ろだった目に意志が灯る。そして確かな意志を持って此方を見た時には普段のクリスになっていた。
「スモーカー」
 嬉しそうに語尾が上がる声を愛しく感じる。
「遅くなって悪かったな」
「いや? 来てくれてありがとう。遠路遥々ようこそ、シャボンディ諸島へ」
 目の前に置いてあった空のカップを退かしてにっこりと笑うクリスに自然と機嫌が良くなる自分に気付く。
 コイツに、殺したい、と言ったのは気の迷いでもなんでもなかったと思う。
 殺しても死なないような奴ではあるが、それでも此処は新世界間際。いつ何処で死んでもおかしくはない。
 会えて良かった、と思う反面クリスの血を欲しい、と思う自分を自覚する。
 最期くらい。普段頻繁に会えない分、最期くらい俺の腕の中で。
「たしぎは? 今回一緒じゃないのか?」
 自由に動き回るクリスと頻繁に会えない、という点では海賊を羨ましいと思う。
 海軍ではそう会える訳ではない。

 そう、こんな時でなくては。

「アイツは刀探しに行った」
 それにくすくす笑うクリスは、変わらないな、と懐かしむように目を細めた。
「大分久しぶりだ」
 少し責めるような口調になってしまった。でもクリスはこの時だけは俺だけを見て、テーブルに肘を付き身を乗り出して笑む。
「そうだな。最近は良くこの辺りにいるぜ、ジュラキュールの家が近いから」
「…鷹の目か。この間会った」
 会って、自慢をするように笑われた。
「え、何で?」
「お前に会って来たと自慢された」
 言えば目を丸くする。
「良いだろって鼻で笑いやがった」
「そんなに良いことでもないだろ」
 どれだけ悔しかった事か。
 自分に掲げた正義のせいで上層部には煙たがられる一方だが、それでも我を押し通せる程偉い訳ではない。だからクリスばかりを追えない。
「お前、バカだな」
 自分の魅力を知らないと言うのか、無頓着と言うのかは分からない。
 それでも、お前を殺したいと笑顔で語る俺みたいな奴らはそれだけで悔しい。
 もし、許されるなら籠で鳴く金糸雀のように閉じ込めて、風切り羽根を手折って、手のひらで飼い殺す。
 だが本当にそれを許さないのはクリスではない。
 俺自身だ。
「俺は俺を知ってるんですー」
「俺らから見たお前を知らねェ」
 深く息を吸い込むと葉巻きの先端が赤く主張するように燃えた。
「お前を本当に殺してやりてェよ」
 言葉とは裏腹に表情が柔らかく、そして声が甘くなる事を自覚。
 ギャラリーの表情が反対に固くなっても、それを聞いたクリスの顔は幸せそうにとろける。
「やれるもんならやってみな」
 そう緩んだ表情を見る度に愛しいと感じる。そして、俺の言葉の真意を受け止めてくれるクリスだからこそ、何度でも言いたくなる。
 何度でも言って、そしてコイツの最期を腕に抱けたら、と夢想する。
「あぁ、当たり前だ」

 そしたら、他に何を望む?

「ふふ、すっげー熱烈な告白」
 他の誰に伝わっていなくても、コイツにだけ伝わっていたら、もう、それだけで良い。
「スモーカーも意外と情熱的だよな」
「お前にだけだ」
 そう言って、10人中9人が分かるであろう所の、残りの1人なのだと知っている。
「へぇ?」
 結わずに背に流されていた髪が首筋を通って落ちる。
 この銀色が、何処か俺と似た色合いで好きだ。手の伸ばして指を入れて、少し硬いそれに唇で触れたい。


  *


「……船長、あそこ。クリスと居るの、白猟だな、ありゃ」


  *


「…それで、スモーカーは此処に何をしに来たんだ?」
「てめェに会いに来た」
 ついで、だとはいえ本当の事だ。嘘ではない。
「嘘だね。スモーカーはそんな子じゃないだろう?」
 大体本部准将がそんなに暇な訳ない、と肩を竦めて言うクリスに、会うまでに散々悩んだ事がまだ脳裏をよぎって、言わないでいられたらどんなに良いか、と思った。

「―――クリス」
「うん」

 だけど、クリスの視界に映される価値のある男でいたい。他の誰が視界から消えても、俺だけは。
 咥えた葉巻を灰皿に押し付ける。
「俺はこれから2日後、マリンフォードへ召集されている」
 きょと、と見上げてくるクリスはこの後、どんな目で俺を見てくるのか。それが少し不安になった。
「…マリンフォード」

「そこでポートガスの公開処刑が決まった」

 これを、殺してやりたいくらい好きなコイツに言わねばならない自分を少し憐れむ。でも、俺は俺の為にクリスにそれを告げた。詰る口調や軽蔑した目くらい、愛しいコイツから与えられるものだから耐えようと思った。

「―――スモーカー」
 海賊ではないコイツが、もう雛鳥のように後を付け回すポートガスを見ることなど、もう出来ないのだから。
「それ、俺に教えてくれて、お前は大丈夫なのか?」
 詰る視線すらご褒美! と言い切るポートガスのようにはなれない。

 指揮官が迷っていたら下は不安になる、と言い切ったクリス。
 そう言われてから迷わぬように自分の正義を貫いた。
 これも、自分の正義。
「…は?」
「だから! 教えてくれるのは凄く嬉しい。でも、それは言って良い事なのか」
「あぁ。全国に知れ渡ってる」
 そう返したらクリスは詰めていた息を吐き出した。ぐてんとテーブルに伸びたクリスは腕を下に突っ伏す。
「良かった…」
「あ?」
「エースが大変で良くは全くないんだけど、それでも優しいスモーカーがそれを俺に教えた事で罰されないで良かった」
 身体を伏せたまま顔だけ此方を見る。
 その目に恨みはこれっぽっちも見えない。それに呆れた。
「―――クリス、お前俺を何だと」
「すっごく優しいスモーカー」
 じっと見上げる金に怯んでしまいそうになる。優しいのはお前だ、なんて、言えなくなる。

 俺は優しくない。
 ただ、他の誰でもなく、何でもなく、クリスに誠実でありたい、と思うだけ。


  *


「あ、船長。白猟の奴帰ったみたいですよ」
「そうか」
「クリスも帰るみたいです」
「行くぞ」
 朝から船長に振り回されクリスを尾行した。
 朝早くはないが、海王類とじゃれたり、白猟が来るまでややイライラしながらこのカフェテリアでのんびりケーキを摘みながら待っていたり。
 因みに声を掛けて来た男共は、ケーキに夢中で気付かなかったり、ぼーっと遠くを見ていて気付かなかったり、同じくイライラしていた船長にバレないように排除されたりした。
「クリスと合流します?」
 あれから程なくして席を立った白猟を見送った時点ではクリスは普通だった。でも、目の前から白猟が消えてからテーブルに突っ伏していたから白猟との話で何かあったのかも知れない。
 バレやすいから、と近くに居られなかった為、何を話していたのかすら詳しくはわからなかった。
「……そうだな」
 クリスから予め誰と会うのか聞いていた船長は、それでもクリスを白猟に会わせた。それが無言の信頼なのだろう、暗い表情のクリスを見る目が何処か心配そうに細まった。

 新世界へ押しやろうとでもいう風が、一際強く吹いて、帽子を押さえた。
 普段浮かべられた笑顔など掻き消えて、殺したい程興味を持ったアイツが、1つ大きな結論を出そうとしていたなんて、ちっとも知らなかった。


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