悠久の丘で
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喪失――再会

「…大丈夫だから、な? 一樹」
 そう言って彼は何故だか淋しそうに微笑んで。
「俺が止めてくる。…っつっても、決定するのは涼宮だし、そうさせるのはキョンだけどさ」
 だから、と言った。

 ―――嗚呼、なんで今体に力が入らないんだろう。入ればそんな顔をさせているところになんて、行かせやしないのに。

「だから一樹は待ってろ、な? それに…長門はともかく朝比奈は…泣いてそうだしな、得意だろう? 慰めててやってくれ」
 それは誰のためですか、と問う。僕はどんなに足手まといになったところで彼から離れたくなかったのだから、自然といえば至極不自然でその不自然さが自然だった。
「俺の為」
 十七夜月は即答した。そして笑む。
「俺が嫌だから、泣いてる人間しかいないような世界なんて、いらないだろ?」
「そうでしょうか」
「そうさ。俺は一樹とキョンが笑ってれば十分だけど、お前たちも笑ってられる状況じゃない」
 だから俺は行ってくるよ。
 そう言って笑む十七夜月の顔が満足に見えない。
 十七夜月の触れる頬が熱い。何故だろう―――?
「…もう。泣くなって、一樹」
 目元を細い指が拭う。

 ―――泣いてる?

「泣くほど淋しいわけ?」
 呆れたように言って、十七夜月は繰り返し髪をなでる。
「大丈夫よ、俺。俺は強いし…後悔なんて絶対にしないから」
 存じ上げていますとも。下手すると骨くらい簡単に折りますものね、セクハラ野郎には。
 だけれども最後の言葉には引っ掛かりを覚えた。

「…十七夜月」
「何?」
「戻って、来ますよね」
「―――うん」
「待ってますから」
「――――…うん」

 そういう時十七夜月は本当に淋しそうで泣き出してしまいそうで、でも、それでも笑う。
「…じゃ、古泉。俺行ってくるわ」
 彼は僕の額に唇を落として、今度は綺麗に笑って離れていった。
 なんのおかげか決して自分1人の力では入ることも触れる事も出来なかった閉鎖空間に十七夜月は入っていく。

 とうとう最後まで絶対に戻ってくる、とは云わなかった。
 最後の最後で僕を名ではなく名字で呼んだ。

 それが、とても嫌な感じで―――彼がいなくなってしまうような感じで、


 唐突に、
 唐突に、


 怖くなった。





 ―――そして後日。
「ハロー!」
 やたらと明るい顔で顔を合わせた十七夜月を見て、言いたいことが沢山沢山あって、つい、過呼吸になりかけた。
「…大丈夫か、一樹」
「…ッ、貴方のせいです!」
「あ―――…昨日のこと?」
 途端にバツの悪そうな顔で頭を掻くから、うっかり可愛いと思ってしまうのだ。
「とにかく…ッ、説明してもらえますよね?」
「ン、俺は昨日この世界から消えました。コレで良い…?」
「そんなことはわかってます! 何でそうなったのかを教えてください…ッ」

 何でそうなったのか、
 自分は、
 この世界から彼の存在すべてが消え失せた事を本能で悟ったとき、

 心の底から―――


「…ぁ、言ってなかったっけ。そうか、機関のほうも知らなかったって事か」
「―――機関?」
 それの何が関係あるのだと、怒鳴りそうになった。自分が昨日感じ、今朝まで続いてつい先ほど解消されたあの不安を、恐怖を、この人は、
「俺の事、普通の一般人だと思ってるんだろ、一樹」
 どういうこと、でしょうか。
「俺、本当は限りなく涼宮側だって事、上から聞いてないな? それとも上も気付かなかったのかな」
 上? 上層部の、事
「一樹には知られたくなかったんだけどなァ…、長門…長門だったら知ってるんじゃないか」
 長門、長門有希は知っている?
 僕の眉が無意識のうちに中心に寄ったらしい。十七夜月はゲッと顔を歪めるとあたりを幾度か手早く見渡して、そして、僕を抱きしめた。
「お前は知らないみたいだけど俺は―――…、俺は」

 紡ぐ言葉が段々と弱くなる。僕はと言えば僕よりもキョン君よりも背の低い十七夜月に抱きしめられると正直身体が曲がって体勢的にきつい。


「俺、神の成りそこないなんだよ」
「……え?」


「俺は限りなく涼宮側って理由がソレだ。俺は涼宮みたいにはなれなかった―――言い方が悪いな、成らなかったけどまだ能力自体は多少残ってる」
 言うなればコレは某彼が頻繁に味わっている感覚だろうか。
「だからあの手の空間、閉鎖空間って呼んでるんだっけか―――世界創造の際にできる歪みにも入れる。俺も作れるから」
 作らないだけで、と十七夜月は付け足した。
「……作れる、ンですか」
「作れる。まァ…当分入りたくないだろ、あの空間には」
「仕事なら入らざるを得ないんですがね」
「―――…ま、そうだけどな。俺のことは仕事に入らないだろ?」
「…上層部からは、そんな事聞いてません」
「そうだろうとも。涼宮を張ってるくせに俺はノーマーク臭かったからな、何より一樹は顔に出やすいから俺を張ってるとは思えない」
 そう言われると何故だろうか、少し凹む。
「―――まァいいや。ンで俺が消滅してた理由だっけ? それは俺が能力を行使するために必要最低条件だから。俺は神のなりそこないだからさ、能力が使えるのは俺が死ぬほど望んだモノだけだ」
「―――…死ぬほど?」
 そう、と彼は頷いた。
 逆に僕の体温はどんどん下がっていく。

 ―――だから、あの時感じた違和感は、

「俺が今回願った事は3つ」
 十七夜月がなんでもない、というように身を離して指を3本立てた。
「『俺を一時あの世界に存在させる事』『もし此方の世界が消滅させられたならキョンと涼宮の記憶から此方の世界の記憶をすべて消去し、俺を消去する事』そんで―――…『もし、此方の世界とあちらの世界が別々の世界として確立した場合、俺の存在した証拠をすべて抹殺、俺を消去する事』」
 その中に、十七夜月自身が生き残るための願いは全く含まれていない。
「…まァ、俺がここに居るのは涼宮が望んでくれたから」
 儲けたな、と彼は良く感情が読めない表情で言った。僕はと云えば、十七夜月がここにいなかった可能性の大きさに絶句し、今更ながら、昨日よりもひどい眩暈と恐怖と喪失感を胸で育てていた。

 神が望まなければ、今此処に十七夜月はいなかった。

「ついさっきまで俺は多分、分子レベルまで分解されてたはずだから―――…間に合って良かったというべきなのか涼宮の事だから肉体まで作ってくれたのか…。どっちにしろ礼云わなきゃなァ」
「十七夜月」
「涼宮は俺の存在を臨んだ訳じゃなくて、只単純になぜ此処に秋川十七夜月という人間がいないのかを疑問に持った程度なんだ。―――やっぱりいまいち暗示の掛かりが甘いみたいだな。クラスの奴らには完璧に掛ってたのに、お前もキョンも朝比奈も長門も覚えてるんだからなァ…、やっぱり、涼宮のせいか」
「十七夜月」
 十七夜月は僕の声から逃れるように、一向に耳を貸さない。

「―――…なに、一樹」
「この―――…、大馬鹿者…」

 十七夜月が微笑むから、そんな至近距離で触れられることを教えるから、本当に言いたかったことの半分も云えずに僕は床に崩れ落ちた。それに付き合って十七夜月はしゃがみこんで頭を撫でる。

 体温が、在る。
 此処に、存在している。
 ―――それだけの事がこんなに嬉しい事なんて、初めて気がついた。

「一樹、ここで言うのはずるいんだって知ってるんだけどさ」
 十七夜月は苦笑して長い前髪を掻き上げて僕の額に唇を落とした。
「俺は自分の存在が消滅する事なんて大して気にしてなかったんだ。俺にとって絶対にこの世界にいて欲しかったのはお前とキョンだったから、俺は二の次だった。涼宮のいる現実世界に絶対に登場していて欲しいのは一樹とキョン―――その2人がいれば俺は別に必要ない。いなくたって、構わない」
 強い瞳が真っ直ぐに此方を見て、
「俺の中での価値は、俺自身より何より一樹とキョンが1番だから」
 と言った。
 やけにはっきりと言い切って、それで満足、と云う顔なんかしているから僕は弱弱しくその頬を叩いた。
「―――バカ、です」
 ぺちん、と小さな音がする。きっと、肉体的にはそんなに痛くなかったに違いない。

「どうして僕だって、彼だって、貴方がいなくなった世の中で笑って生きていけると思ったんですか」
 仮令記憶に残っていなくても、
 昨日と今日のように、
 笑うことなんて出来なくて、
 只只胸が重くて苦しくて、

 2度と思い出せない孔を抱えて笑む事も安心を得る事も出来ずに生きていくなんて―――、


「そんなの、辛すぎます」


 十七夜月は息を呑んだ。
 僕は仕返しのように周りを気にせず十七夜月の唇へと口付けて、寝不足も祟って紅く充血した目を擦った。
「あ―――…、ごめん」
 ソレは気付かなかった、とでも言うように目を見張る十七夜月の謝罪には一切言葉を返さず、僕は立ち上がりズボンの埃を払うと、
「おかえりなさい」
 と言った。
 十七夜月は先ほどよりももっと目を大きく開いて大きな瞳が落ちてしまいそうなくらい見開くと、次第に目を細まらせ、
「―――ただいま」
 と言った。

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