悠久の丘で
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名前を呼んで


「―――礼二郎」

 名を、呼ばれることが好きだった。
「なんだ、十七夜月」
 名を呼ぶ時の奴の顔はとても嬉しそうで楽しそうで、見ているこっちまで嬉しくて楽しくなって、僕の躁病は半ば彼のせいだったようなものだ。
「中禅寺――…秋彦が来られましたよ。お会いになられますか?」
 なのにお前は慇懃な口調をいくら云っても変えてくれなかった。

 僕はそんなモノ、お前に求めていた訳じゃ、ないのに。
 僕はただ和寅とは違って友人として、お前を傍に置いておきたいだけだったのに。

 なのに何故か奴は離れていく。
 近くにいるのに僕からは遠くて、京極堂や関のほうが僕より十七夜月に近づいていく。
「お会いになるかだって?」
「えェ、そう申し上げましたが」
 クスリと笑って、今ではもう長くなってしまった髪が、傷ついた右目を隠した。益田の様に長い前髪と後髪。だがその伸ばした理由を誰よりも的確に、且、身に染み付くほど知っていたからその傷を見る度に僕はなにも云えなくなる。

 ――――十七夜月はそう、とは云わないがその傷は――…、
 その傷、は、

「…レイ?」
「―――…、なんだ」
「なんだ、じゃァあるまいよ。秋彦が待っているよ、あの男にしては珍しく、ね。レイは行ってやらんのか?」
 彼を、気に入っていたじゃないか、と繋がった言葉に僕は他所を向き、そして…苦りきった声色で旧制高校時代から繋がる友人――果たして真の意味での友人かと疑問も残り、僕なら彼は、彼以外にも高校より繋がる知己は友人に含まないと云っただろう――を通すように告げた。
 友人は1人いればいい。誰の事を指しているのか賢く勘のいい十七夜月ならわかっているだろうと1つ2つ文句を云った。

「神樣」

 すると十七夜月は破顔ってそう僕を呼ぶのだ。
 伸びた髪は顔を動かした時にさらり流れ、それまで隠していた右目を露にする。ほどけばもう背の中ほどまで伸びた髪。まだ僕らが若くて、まだこの邦が戦争なんてものに巻き込まれ――と、云うのも自らを原因としたものだから我等国民は何も云えず煮湯を呑まされただけだったが――遠い異国にも行った、行けた年頃には、まだこんなに長くはなかった。十七夜月の細い絹のような髪はこんなに長くなくて――忌忌しいことにあの中禅寺とさして変わらぬ――襟足で髪の毛先が跳ねる程度の長さだった。

 そのときは伸ばす理由がなかったからだろうか。――――今は、違うけれども。

「十七夜月」
 呼んでその腕をとった。掴んで僕の前から離れてしまわないようにその指に絡めて逃れられないようにした。
「十七夜月」
「…レイ?」
 不思議そうな十七夜月の顔がやがて緩み1歩分離れたその立ち位置を近づいて消してくれた。近くなった体温に目を細めて腕を伸ばす。十七夜月だけは、奴の記憶だけは僕には見えなかった。ほかの誰でも見たくないのに流れ込んでくるというのに、彼の記憶だけは――…、

僕は誰でもなく十七夜月の記憶が見えないことを、何よりも深く僕以外の神に感謝したのだ。

「僕から離れるな」
「レイが云うなら離れようなんて思うまいよ」
 子供にでもするように髪に指を絡めて梳く。久しぶりに抱きしめた十七夜月の身体は細く、喧嘩が達者な僕が力を込めてしまえば折れるとも思われたがそれでもきつく力を入れる。抱きしめて顔を寄せた邪魔なシャツ越しの肌でさえ僕には恋しかった。
「レイ」
「なんだ?」
「そろそろ秋彦が怪訝に思っている頃ではないのか」
「知るか、あんな奴」
 そう云うと十七夜月は、
「奴もそう云っていたよ」
 と笑った。似た者同士だな、と心外なことを平然と云い十七夜月の暖かい手は髪を柔らかく梳く。
「レイの髪は綺麗だな」
「そうか」
「…ああ。柔らかくて触り心地が何より良い」
 十七夜月自ら抱きよせ椅子に座っている僕を立ったままの十七夜月が抱き込むから僕は自然と十七夜月の胸に抱かれることになる。常なら立った時背の高い僕が抱き込むから、このような構図も珍しいわけだ。
「十七夜月もそうだろう」
「僕? 僕は違う。僕の髪はどちらかと云えば硬いほうじゃないか」
「真直ぐだから硬いほうが綺麗じゃないか」
 何を当たり前なことを、と云えば十七夜月は呆けたように眼を大きくして、それから笑った。
「本当にレイは神樣みたいだね」
「当たり前だ。僕は神だから」
 そう云うと又もや十七夜月は笑って、僕は嬉しくなって躁病だと、そう、云われるのだろう。

 僕には何故十七夜月が笑うのか、視えない。
 記憶が視えない唯一の人間だから、僕は十七夜月が手放せなくなるのだ。
 ―――そして魅かれていくことを理解する。

「レイ」
 僕は名を呼ばれる度に感謝する。
「秋彦を迎えに行ってくるよ」
 十七夜月の綺麗な唇が、そう、紡ぐから。
「十七夜月…ッ」
「なんだい、神樣」
 そう云って十七夜月は余裕綽綽と笑う。だから僕も笑う。
「早く帰って来い」
「…本当に」
 貴方は我儘な神樣だね、と十七夜月はわずかに返した頸でそう云って応接室を後ろ手に手を振り乍ら出て行った。



「…………」
『本当に、神樣みたいだね』

 祈りを奉げられなくなった神は神とは云えず、只落ちぶれていくのを待っているだけ。だけれども祈りが唯の1つでも在るのなら、即ち僕は神でなければなるまい。

 十七夜月が、居る限りは、
「僕は神だ」
 過去の約束を守るために、そんな大昔のことを憶えて縋っているなんて知れたら失望されるだろうか。今の僕には何よりそれが恐い。


 ―――…小さな子だった。
 1つしか離れていないというのにその躰は榎木津の腕にすっぽり入る程で、その子どもは啼いていた。理由が判らない成りにも宥めようと語りかける榎木津を無視して子どもは啼く。吃逆をあげて横隔膜の必要以上の痙攣に苦しくなった子どもは終に堰込み、だが啼き止もうとはしない。

―――否、出来なかったのであろう。

「どうしたんだ」
 子は苦手だった。自分と一回りも変わらぬ年頃であったが榎木津は思った。何を云いたいのかさっぱり要領を得ず、仕舞いには啼くことを目的と摺り違えてしまう子ども。
 小さくてすっぽり腕に入ってしまうくせに頑固で、小さな生命の為に綺麗な泪を流せる子ども。
「…ち、ち上ッ…死…」
「十七夜月」
 云っていることが全く要領を得なかった。頭に手を乗せて痛くないように出来るだけ優しくできるように梳いて身体を抱き寄せた。
「十七夜月、何があった? お前の父君は今この邦には…」
 ―――いないだろう。そう云って良いものなのか、少し悩んで結局榎木津は云えなかった。小さいながらもこの邦の置かれている状況を――不幸にも――知っていたからだろうか。

その時のことを榎木津は事細かくは思い出せなかった。取敢えず憶えているのは十七夜月が啼いていたことだけ。

「…死んじゃッた…の」
 大事そうに、だがぎこちなく小さな掌に入れた白文鳥は眠っているように柔らかそうな羽毛から覘くクルクルとした紅い目は閉じられていた。翼の付根に違和感を覚えたのは何故だろうか―榎木津には判らなかった。

 もとはと云えば榎木津元子爵が爪哇からの土産で連れ帰ってきた文鳥である。動物好きな兄はその時亀に嵌っていて――今とて然したる進化は認められないが――、榎木津自身、父からの生きた土産物に興味が湧かなかった為十七夜月が育てることになったのである。
 その日以来十七夜月と寝食を――文字通り――共にするようになった羽根切りの処置を終えた文鳥は外で自由に飛び回る雀や燕に比べ幾らも不恰好ではあったが、十七夜月の手に肩にとまり小首を傾げるような仕草をするその鳥を嫌悪の視線で視たことは1度もない。

 ――…流石の榎木津でも罪無き文鳥に嫉妬を憶えた事がないとは、宣うことはできなかったが。

「死ん、だ…?」
 ただ眠っているように見えた。
「幹麿様…ッ、が、」
 吃逆を上げる子の言い分が榎木津には凡その所、判った。
 確かにこの文鳥は子爵からの土産物であったのだ。それを幾ら貰ったのだとは云え、子の父と子爵の立場が本人達からしてみれば親友のようだったとは云え使用人――彼の短髪を風に流しからりと破顔う凡そ人に仕えられる人間ではなかった――の子が、とそう云うことなのだろうか。
 ならば子爵も折にふれ文鳥を可愛がっていたことも原因の1つかも知れない。
「それに…」
「それに?」
 子が小さく言葉を付け加えた。子特有の大きめな眼から幾筋も流れ落ちた泪が和装に幾つも大きな染みを作る。
「…父様が、この子を俺の代わりだと思って、」
 ここでより大きな吃逆に言葉が呑込まれた。榎木津はその小さく震える背を撫でて少しでも体温を移してやろうと考える。子は何時から其処に居たのか手の先は勿論、顔や腕まで冷たくなってしまっていた。顔は熱くもないと云うのに真っ赤で流れた塩辛い水が頬を固まらせ塩の結晶を浮かせていた。それをやや乱暴に袖で拭ってやり固まった塩を舐めて溶かしてやりながら背を撫でる。
「…代わりだと思って。この子が元気なら俺も元、気だからッて…」
 榎木津は子の掌の中で眠った文鳥を見た。頸の骨が折れているとか、翼の根元から血が滲んでいるだとかそう云った外見的な負傷は何処にも見当たらないこの文鳥の生命が――しかもつい先日、昨日までは十七夜月の肩にとまり囀っていたのである――糸でも切れたように無くなってしまったと云う事実をなかなか理解できないでいた。只眠っているだけの様に見える。
「十七夜月」
 だけれども幼い彼が唯一はっきりと知っていたことと云えば子の父が、この文鳥のようによもや子を置いて死に逝くなど出来ないと云うことだけであった。

「死にはしないだろう、あの人が」
 死ねる訳がないのだ。

「お前の父君は帰ってくる。僕が云うんだぞ、信じないのか?」
 子の暗く沈んだ色合の眼が少し、上向きの風を見せた。それを見たから榎木津も小さい頭でどう語れば子が啼き止むのかを必死に考え廻らぬ舌でそれを形にする。
「あの人が死ぬと云うのならこの邦はとうに終わっている!」
「―――…わからない」
 わからないよ、と子の口が繰り返した。触れる肩は又もや上下しだしぽろぽろと泪が落ちた。
 嗚呼―――…、と榎木津は呻いた。仮令ばこんな時和寅ならもっと上手く宥められるのだろうか。

兄なら?
―――…父なら? もっと上手く。

 自分が何も出来ない子どものようで、そんな自分――子を啼き止ませられない――が大嫌いだった。大嫌いになった。
 だって僕は十七夜月の笑った顔が大好きでだから僕はいつもつられて笑ってしまって嫌なものが視える時でも隣で寂しそうな顔や哀しそうな顔や僕に変わって表情を作ってくれる十七夜月がいて。
だって、だって、だって――…

「十七夜月十七夜月」
 再三吃逆を上げる十七夜月の目が此方を向いて。榎木津は初めて神に成ると云った。
「僕は神になるから絶対に死なせやしないから」
 十七夜月、十七夜月、十七夜月―――…

 僕は、?に為るよ。死なせやしないから。
―――…だから、啼かないで。



「―――イ、レイ?」
「…うん?」
 誰かに呼ばれているような気がして面を上げたら目の前に十七夜月の顔を見つけた。
「―――…レイ、大丈夫?」
 瞳いっぱいに具合を窺うような表情を貼付けて十七夜月は僕を覗きこむ。僕は二三辺りを見渡した。見慣れた事務所の中に布を透かして陽が入込み、淡いパステルカラーの紋様を描いていた。幾ら辺りを見渡しても小さい榎木津と十七夜月は見当たらない。白昼夢でも見ていたかと頭を押さえた。
「…馬鹿書肆、僕に何の用事だ?」
「着くなり酷い歓迎ですね、榎さん」
「お前がよりによって今日、こんな時間に来るからだ。昨日なら濃い目の茶とカステラで迎えてやったのに」
 昨日ならバカオロカ――これは益田のことである――も、和寅もいたのだ。
 それに京極堂は―――昨日、ですかとよくわからないことを云って、だが結局は、昨日は用事があったのです、と云った。
「…用事? お前にもそんなものがあったのだな、いつも本ばかり読んでいるくせに」
「その本ですよ」
「…嗚呼―――、そう云うことか。それでお前はずっと読み漁っていたのだな? 千鶴さんにまで怒られて」
 明るいというのに昨日の京極堂の記憶が矢鱈はっきりと視えた。なにやら昨日彼は古書誌に埋もれて飯を喰うのも忘れ読み耽っていたらしい。記憶の中の彼の細君である千鶴子が呆れた様子で卯建の上がらぬ亭主を嗜めている様子が見えた。
 京極堂、と屋号で呼ばれる友人はムッとしたように違います、と訂正した。
「別に僕はあれに怒られてなんかありませんから」
「それじゃぁ…千鶴子さんも愛想を尽かすと云うものだよ、秋彦」
 意識がはっきりと戻ってきた榎木津をやや下から床に膝をついて見ていた十七夜月だったが、呆れたように京極堂を仰ぎ見た。さしもの京極堂でもその視線に多少はたじろいたようで弁明でもするように奴らしくもなく口をパクパクと金魚のようにさせていたがやがて、諦めたのか大きめの溜息をついて肩を落とした。
「…十七夜月」
「なんだい」
「…君は分かっていてそう云っているだろう。昔から私が君の言葉に弱かったことを覚えていて」
「そう云う訳ではないさ。只単に千鶴子さんがかわいそうだなァと、そう思ったまでだよ」
 十七夜月はくすくすと笑うと
「そうは思わないか、礼二郎」
と云った。
「思うね!」
 なので即答しておいた。
「京極堂、幾ら千鶴さんがお前には勿体無いくらいできた人でも何れ捨てられるぞ」
「…失礼ですね。僕はこれでも業界じゃあ愛妻家で通ってるんだ」
「何を云う、本莫迦。少なくとも君の近所で君は愛本家で通っていると云うのに」
 それを聞いて、十七夜月は小さく笑い出す。肩を震わせて、それを必死に抑えるようにして笑うのだが、抑えようとすれば変に悪目立ちすることも致し方ない。
「―――…十七夜月」
「十七夜月?」
 それを嗜めるように京極堂が声をかけ、もう片方は只単純に笑った十七夜月が珍しくて声をかけた。

 ああ、きっと、だから僕は躁病になってしまう。

 十七夜月が笑うと嬉しい。そんな単純な公式は何年たっても何十年たっても変わらなくて、なぜだか京極堂がせっかくの2人の時間を邪魔しに来たことも気にならなくなっていた。人はそんな単純なのだと何時だか馬鹿書肆も言っていたし、そうだと思い込まずとも馬鹿な猿を見ても良く分かる。

「十七夜月、好きだぞ」
「…は?」
 何を急に言い出した、と書肆が怪訝な顔をして、
「うん、知っている」
「おい」
 慣れたように答えた十七夜月に不信な目を向ける。
「十七夜月? 何かを血迷ったか」
「血迷ってなどいないさ。好きだといわれて、それを知っていればそう答えるのが道理じゃないか」
「そんな道理はないッ」
「―――…しかし、もう、月に1度は言われているからなァ」
 それがもうすでに10年を軽く超えてしまっているのだよ、と十七夜月が言って髪を困ったよう梳けば、京極堂は何か恨み言でもするみたいにじつと睨みつけてくる。
「何だ、京極堂」
 にぃと唇を吊り上げて笑う。
「羨ましいか」
「違います。馬鹿言わないでください」
 言葉が、少しばかり早口で。

「……そう、即答すると俺も困るのだが」

「…ぁッ、別に十七夜月のことがどうとか云うそういう訳では決してなくてだな」
「…くく、」
 本当に面白い。あの京極堂ですら十七夜月の前に出るとこうなって難しい頭が痛くなるような意味の分からないことは云わなくなる。
「…レイ?」
「いや、やっぱり十七夜月は僕の物だな。流石だ」
「―――…? ありがとう」
 首を傾げはしたが微笑んで礼を言った十七夜月に、僕はまた、うん、と頷いた。


 やはり僕は躁病であるらしい。
 そしてその原因は間違いなく十七夜月で。
「俺も俺の主が礼二郎で誇りだ」
 十七夜月に名を呼ばれるとたまらなく嬉しい。
 すでに諦めたような顔をして、京極堂はあさっての方向を向いていた。

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