悠久の丘で
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生贄の選出
俺が生まれた理由は決まっている。
この世界を救えるかもしれない、生贄のために生まれたようなものだ。
―――まァ、別に良いか。
俺はまだ自由だ。
高い位置。初号機の背後からあのプールを見下ろすような格好。
拘束されし天使。それの目の前に位置し、半分壊れたようなサード。そしてレイ。
俺はゲンドウの半歩後ろに位置して、白衣のポケットに手を突っ込んだままため息をついていた。
なにもそんな風に壊すような物言いをしなくても。
なにもそんな風にひびを広げるようなことをしなくても。
どうせ遠くない未来、サードは壊れてしまうのに、そんなに早く壊す理由が俺にはわからなかった。ましてや、親であるはずなのに。
「――――――いや、親、だからか」
小さく呟けば強くミサトの視線を感じた。
そちらについ、と視線を移動させればゲンドウの背にさえぎられて見えなかった、レイの姿。サードがうつむいてこぶしを握っていることは知っていたから別段珍しいことではないけれど。
だけど、耳が何故かずっと異常な音を拾っている。
なんだろう、これは―――…これは、
「おい、ゲンドウ」
「なんだ、十七夜月」
「変な音がするぜ、多分これは……」
「―――…音?」
「あぁ、さっきからずっとしてて気にはなっていたんだが…、どうやらここが見つかったようだな、サキエルだ」
あまり、時間がないだろう。
知能は高い、力は並以上で化け物並。経験するようだし、ここが見つかるのも時間の問題だろう。おそらくサキエルは、己を攻撃したモノが何処にいるのか、あるのか、探しているはずだ。
次の、攻撃を受けないように。
「おい、ミサト。あんまり時間がないぞ、サキエルはおそらくこの真上だ」
「なんですって…!?」
「おそらく次攻撃されたら上から都市が降ってくるだろうな。N2爆弾で地表を削っちまったから尚更だ」
そしてその都市が落下してくるのはこのNERV本部の真上。
その大規模が地下にあるからといって、油断は出来ない。
むしろ、サキエルに見つかる、ということを視野に入れておかないと大どんでん返しが待っていそうなエンディング。
「まずいな…。この地下には…」
ターミナルドグマには。
しかし、レイの様子も先ほどの戦いのせいで尋常ではない。常ならばまだしも、手負いの状態で乗せても、大した成果は期待できない。
だからこそ、ゲンドウは息子を呼んだのだ。
唯ちゃんが、必死に守る息子を。
人造人間とは、エヴァンゲリオンとは、そういうものだから。
彼が決断すれば、それはこの星の未来を変えることになるだろう。
彼が乗れば、唯ちゃんがサードを守る。そうすれば―――…この世界は存続する。
彼が乗らなければ、この世界は消滅する。
俺は人知れず詰めていた息を吐き出した。
俺にはどっちでもよかった。
俺が生きて、その先の未来、必ず自由でいられなくなる日が来る。今はまだこうして形ばかりの拘束だけれども、それが、重い鎖を引きずるモノに変わる。
どうせ、俺は生贄として此処にいる。
俺の未来が変わることなんてない。なら、どちらでも。
「シンジ君、あなたが乗るか乗らないかなんて、私が言えることじゃないわ」
「ミサト…っ!」
「だけど、乗らない人間は此処にいらない」
「ミサト!」
強く強く名前を呼んだ。
「………十七夜月、何?」
忙しいの、みたいな目で見られる。赤木に至ってはさっきからずっと俺を睨みすぎだ。
「サードに一言言わせろ」
「…は? 今どう云う時か…」
「分かってる。だが、言わせないなら俺はEVAの起動にいっさい力は貸さない。ノータッチだからな」
それが何を意味するのか。
起動に掛かる時間があれば、間違いなくサキエルが此処を見つけ出してターミナルドグマまで侵入を果たす。
それを知っていて、脅した。
赤木の最速ですら俺には及ばない。EVAを起動しなければここで死ぬのに、俺は此処で1番強いカードを切った。
それでもいいのか、と言えば、ミサトは黙るしかなくて。
「なぁ、サード」
サードが顔を上げる。その眼は暗かった。同じ年のはずなのに暗くて、その瞳を憂えた。
「俺は特務機関NERVの技術開発部局長、石動十七夜月だ」
特に、何かを言いたかったわけではない。
だけど、もう少し、あと少しだけ時間をあげたかった。
俺のように選んできたのでもなく、レイのように納得したわけでもなく。
只、悪戯のように連れてこられた彼に、幾ばくかの時間を。
「俺はね、碇シンジ。お前を歓迎する。それはEVAの専属パイロットとしてでもなく、ゲンドウの息子だからというわけでもなく、お前自身を、お前として、歓迎する」
碇の顔が、だんだんと光を持つ。
「碇シンジ、俺はお前を級友のように歓迎しよう。理不尽に巻き込まれた仲間としてではなく、友として歓迎しよう」
こいつに、きっと足りなかったものは。
「俺は、お前がここで初号機に乗らない、と言ってもお前を嫌ったりなんかしないよ」
むしろ、哀れだと感じよう。
こいつに足りなかったものは、場所だ。暖かい、安らげる場所。
「碇シンジ、お前の好きにして。俺は、サキエルになら殺されたいのかもしれない。――――――可愛いし」
その瞬間、ものすごい顔で、首を左右に振られた。
「ミサト、ゲンドウ、赤木…てめェら良い度胸してるな…。コウゾウを見習えよ、あいつ、まったく反応返さねェんだぞ」
それはそれで面白くないのだけど。
「いや…あの人は……」
「いや、あいつは…」
「う、うん」
三者三様な割には、やけに反応が似通っている所が笑いを誘う。
だけど、今はサードの決断の時だった。
さっきから、サキエルの攻撃の多様性に俺も舌を巻いていたし、そして、その攻撃のせいで天井都市が崩れ落ち始めたことも悟った。
もう、あまり時間は残されていないのだ。
「シンジ、帰るのならぐずぐずしていないでさっさと帰れ!」
ゲンドウが言い放った。
「……そしたら、俺が乗るぞ。流石にあの状態のレイに乗せるよりは俺のが良い」
「だめだ、十七夜月。お前は最後の切り札なのだから」
「ジョーカーの使う時期を見誤ったら、この戦いは負けるぜ。それに俺ならレイ用のシステムでも乗れる。持てる力の70%は出せる」
「駄目だ」
「ゲンドウ…!」
このわからずや、とその頬を叩こうとした時だった。
「わかったよ」
声はとてもとても小さかった。
「乗れば良いんだろ?」
その腕にレイを抱いて。
「なら、僕が乗る」
碇シンジは驚くくらいまっすぐな目でこちらを見ていた。
「碇シンジ…」
「シンジ君…」
ミサトも何か言おうとして、だが、赤木の声にさえぎられる。
「よく言ったわ、シンジ君。こっちに来て。簡単な操作を説明するわ」
赤木に促されてそちらに歩いていく時、シンジの目は間違いなく父を、そして俺を捕らえた。
ゲンドウは後ろからでもわかるくらい、笑っていた。
「ゲンドウ」
「なんだ、十七夜月。早くシステムを起動させろ」
「ゲンドウ、俺は言っておくよ。多分唯ちゃんは戻ってこない。いくら、そっくりな碇シンジを差し出しても」
言ってから、インカムで呼ぶマヤや日向、青葉の声に応えて俺は白衣を翻した。
「そんなこと、やってみなければわからないさ」
そんな声が、聞こえた気がするけれども振り返らなかった。
碇シンジが自分で決めたことだ。
彼がやるというのなら、俺はその手伝いをしてやらなければ。
それが、俺が彼にしてやれることだ。
「冷却終了!! ケイジ内すべてドッキング位置」
「オケ」
カタカタと冷静にマギを操作していく。
「パイロット……、エントリープラグ内、コックピット位置に着きました!」
「了解」
「了解! エントリープラグ注入!」
さぁ、唯ちゃん。起きる時間だ。
「プラグ固定終了。第一次接続開始!」
マヤのオペレーションを聞きながら、俺はおそらくは聞こえるであろう碇シンジに話しかけた。
「聞こえるか、碇シンジ」
『……何?』
「今からエントリープラグを注水する。慌てんなよ」
言うと同時にすでに注水が始まっているのだろう。
向こう側から焦ったような声が聞こえた。
「あー…、なんだ? 安心しろ、肺がLCLで満たされれば直接酸素を取り込んでくれる」
『うわぁ…っ』
「我慢しなさい! すぐに慣れるわ」
叱咤したミサトを尻目に、確かに最初で急にあれじゃ驚くし死に掛けるだろ、と俺は冷静に考えた。
作った俺ですらエントリープラグは嫌いだ。
「主電源接続、全回路動力伝達、起動スタート!」
だが、インターフェイス・ヘッドセットだけあってもエントリープラグなしでプラグスーツなしでシンクロしろなんて、普通は無理だ。つか、無理。ありえない。だから、碇シンジには我慢してもらうことにする。
「A10神経接続異常なし、初期コンタクトすべて問題なし、双方向回線開きます!」
EVAが人造人間たる理由は、そのシステムに大半があるといっても良いだろう。人間が愛情を抱くときに使うとされるA10神経を介した神経接続によるコントロールシステムを採用、それ故に原則1つのEVAに専属パイロットが付く訳だが、どういう訳か、時折その常識を覆す子供も現れる。
ちなみにいうのなら、俺はどの機体ともシンクロ率を上げられる。
故の異例中の異例、NERVのジョーカーとして鎖でつながれているわけだ。
嘲笑が浮かぶ。
「すごいわ…、シンクロ誤差0.3%以内よ」
赤木の声を聞いて正気に戻った。
「いけるな」
「ええ、いけるわ」
いけない理由なんてどこにもありはしないのだけど。
赤木はミサトを確認した。
ミサトは俺を見たから俺は頷いてやった。
「エヴァンゲリオン初号機、発進準備!!」
おはよう、息子を守って。唯ちゃん、あんたにしかできないんだから。
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