悠久の丘で
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そして物語は紡がれ始めた


 俺が生まれた理由は決まっている。
 この世界を救えるかもしれない、生贄のために生まれたようなものだ。
 ―――まァ、別に良いか。
 俺はまだ自由だ。






「十七夜月?」
「どうした」
 パソコンの前に陣取って今までのデータを洗いざらい記憶していた俺の背後に立って腕を組んだのは赤木だった。
「今日はサード・チルドレンが来るらしいわ」
「……ふぅん? で、誰が迎えに行った?」
 今日は嫌な予感がするぞ、と言えば赤木は途端顔を顰めた。
「……………十七夜月の予感は良く当たるから不吉ね…」
「あァ、ちゃんとあいつらに定位置につかせて置けよ。―――…今日は、恐らく来る」
 NERV本部のオペレーターとなるべく育てられた3人を思い浮かべながら呟けば、パソコンからエラーメッセージが出た。ピー、という単調な音の繰り返しに溜息をついて、赤木の持っていたマグカップを無言で要求するとすぐに分かってくれたらしい。
 赤木は俺にマグカップを渡し(元々俺が頼んだものだ)、マギ端末の前に進み、エラーメッセージを取り除いてくれる。手際よく1つずつ解消されていくエラーメッセージを赤木の後ろ5歩ほど離れたところで見ていた俺は、マグカップに口をつけた。
 …だが、口内にすぐさま広がった苦味に吐き出しそうになる液体を必死の思い出飲み下して喉を押さえ、平気な顔でパソコンのエラーメッセージを解除している赤木に文句を言った。

「―――――――…ッ! リツコ! てめ、コーヒーにしただろ!」
「あら、何か文句でも? いつまで立ってもココアしか飲まない、なんていわれても此処で淹れるのは面倒くさいのよ」
「だからってブラックで無糖で淹れる事ねェだろ!? 俺苦いの大嫌いだって言ってるじゃないかよ!」

 近場のデスクにマグカップを叩き置く。中に並々と注がれたブラックコーヒーが揺れた。
「……赤木、飴。無いとは言わせないぞ、俺にこんな陰険臭いイジメするなんて、お前マジ信じられねェ! 俺の天才的な脳細胞が死滅したらどうしてくれるんだよ!」
 まだ口内が苦い。
 うェ、と舌を出せば赤木が振り返った。
「いらない心配ね。……それにしても十七夜月が名前で呼ぶなんて珍しいじゃない。どれくらいぶりかしら?」
「お前のせいだ! 赤木、バーカ。ミサトが帰ってきたら言いつけてやる」
 タン、とエンターキーを押す。すべてのエラーメッセージを解除し終えた赤木はくすくすと笑った。
「十七夜月、そうしていた方が年齢相応に見えるわね」
「うるせ、バカリツコ」
 白衣の袖で口を拭った。
 赤木は珍しい事に楽しそうに笑って、白衣の中から飴を取り出して俺に渡し、自分はパソコンの前からどく。
「……これ、何の飴?」
「リンゴ味。今日はそれしか持ってないわ、他の味が欲しいならマヤか日向君か青葉君にもらって」
「…………………ミサトの名前が出てこねェってことは、ミサトが迎えにいったんだな」
 味を聞き苦味で吐きそうな口内に飴を放り込んで、そのあふれ出す甘さに心底ホッとした。
 口の中でカランカランと舐めて動かすと水分を搾り取られて口の中が少し乾いてくる。でも、苦味は段々と解消され、俺の口にはひとまず平穏が戻ってくる。

 ホッと、一息ついて溜息までついてから、もう1度パソコンの前へと移動した。
「…それにしても十七夜月、どうして急にマギにアクセスしたいなんていったの?」
「感じるから。やけに変なトコから視線を感じる。最近になって多くてなー…」
 ここの全監視カメラはマギによって制御されている。それ故に監視カメラの位置を調べていたのだが特別不審な点を見つけられなかった。
 うっすらと不審くさい点を深く確認しようとしたらエラーが出た。

「…俺に内緒でマギに何させてるのかねー? 俺がハッキングできないとでも思ってるのか?」

 変に隠されるとついつい追求したくなってしまう。
「リツコ、なんか知ってる?」
「…いえ、知らないわ」
 一瞬間があった。

 なるほどね、赤木が関わってるなら俺がハッキング出来なくても別に良いな。どうせすぐにバレるし、予想もつくし。

「………どうせ、ゲンドウのことだろ」
 小さく呟き、画面越しに赤木の顔をうかがうと、その言葉は聞かれていないようだった。
「赤木、俺のココア淹れ直してきて。俺、淹れ直ししないなら仕事しないから」
「ちょ…十七夜月? だって今日は下手をすればEVAの始動テストも…」
「精々俺なしで頑張って」
 キーボードに指を添える。
 もう、何年も前から親しみ、何故かこうしてNERVで働くようになった俺は他所を向いていても話をしていても、何をしていようがブラインドタッチに誤算が生じることは無い。
 赤木は大きく溜息をつくと俺もマグカップを持ち上げて文句を言った。
「十七夜月、眠くなっても寝させてあげないから」
「おー、俺の脳は糖分をほっしているのさ」
 カフェインなんて目じゃないぜ、と言うと本格的に呆れたように赤木は背を向け、ドアを出て行った。

「……ゲンドウの事、ね。なーに悪巧みしてんのか知りたいトコだけど迂闊に手ェ出すと殺されそうだしなー。つか、SEELEのほうの仕業って訳…、面倒くせェなァ。SEELEの仕業なら監視カメラじゃねェから送り込まれたのは人だろうし、最悪の場合、補完計画の要の可能性もあるってことかね?」
 がしがしと頭をかいた。短い髪が指をすり抜けていき、白衣の上にいつの間にか跳んだらしいコーヒーの染みを見つけた。

「洗うの…シゲとかマコに頼んだらやってくれっかな……?」

 自分で洗うのは面倒くさかった。
 ましてや、何故かゲンドウやシゲル、マコトから白衣は沢山プレゼントされている。他には夏でも冷房が効いているNERVが故に風邪を引いた時に何故か皆して黒や白のモノトーンのタートルネック―――しかも袖は半分と、全く意味が分からない―――をプレゼントされているため着るものにも困らない。
 実を言えばNERVで働き始めて早何年、1回も自分で買った服を此処に着てきたことが無かった。

 1番最初、赤木に連れてこられたときは友人から贈られた服できたし、すぐさまゲンドウからは服が届き、シゲルやマコトに会ってからはシーズンごとに服が贈られてくる。おかげで、未だにNERVから支給される給料に、1回も手をつけていない。
 便利といえば便利なのだが―――…


 特にゲンドウから贈られてくる服は何か裏がありそうでとても怖い感じがする。
 だがそれでも着てしまうのが石動十七夜月だった。


「俺に対するまめまめしさを半分でも良いから息子にも分け与えてやれば良いってのによ」
 たんっと軽く決定キーを叩いてやれば動画が再生される。
 その中には碇ゲンドウその人の血を分けた息子が映っていた。
「…ふぅん、成績並、運動神経並、容姿は…大まけにまけて並上ってとこか。マルドゥック機関もゲンドウが握ってるとすれば当たり前の判断だろうな」
 シンジと云うらしい。真正面から映された映像を見たとき、つい、十七夜月は声を上げてしまった。

「うっわー、目が半分くらい死んでる! 同い年なんて思いたくないね!」

 思えば義務教育なんて何処かで習う前から頭の中に入っていたから、学校なんてものに行っていたのは小学校2年くらいまでだ。
 ―――そして赤木に見つかってからは俺はずっとこの第3新東京市に住んでいる。

 …最初はなんだったのだっけ。何故リツコとあったのだっけ。

 そうだ、大学だ。両親して頭が異常に良かった俺を邪魔に思って大学に売ったんだ。そこでリツコにあった。もうリツコは大学を卒業してNERVにいたけど。


 同い年、と云う響きが酷く懐かしい。
 俺はもう1度画面の中の碇シンジを覗き込んだ。



 ―――――――――同い年、というのは、とても心強いものなのだろうか。



「十七夜月!」
 その時警報が鳴った。それと同時にシゲルが走りこんでくる。
「……何があった?」

 嫌な予感、が見事に的中したようで。シゲルの表情はなんとも妙だった。
 興奮に顔が赤らんでいるのに、映像で目の当たりにしたのか顔色は悪い。

「早く中央作戦司令室に! 収集がかかった、使徒が現れたんだ!」
「……使徒? ちゃんと反応は青だっただろうな」
「当たり前だろ。そのくらいの判断はちゃんとしてるし、第3使徒、サキエル! 今は国連軍が戦っているが正直何時までもつか…」
「保たないっての。使徒相手に国連軍がどう足掻いたって使徒に新しい攻撃を覚えさせるだけだ。使徒ってのは俺ら人間が思ってるよりずっと頭が良いからな」
 そう言うとそれまで深々と座っていた椅子から立ち上がって伸びをした。
 チラリと見えてしまったらしい脇腹を、やけにシゲルが見ているからさりげなく隠しておいた。
「うし。行くぞ、シゲル」
 シゲルは「できれば行きたくない」なんて顔をしながらも付いてくる。
「さァて、俺にとっちゃ初めての使徒だからなー。可愛いのだと良いな」
 そう言って白衣を翻して。




 リツコには言わなかった。
 俺にはもう1つの予感がしていたことを。

 それは、碇シンジに対しての予感。
 予感と云うにはそれはあまりにも残酷で、外れることの無い確証があったのだから、それは予知と云うべきだったのかもしれない。



 碇シンジは間違いなく人ではいられなくなるだろう。



 俺は、初めて第3使徒が現れたと報告が入ったその瞬間、まだ逢いもせぬサード・チルドレンと、巻き込まれていくであろう自分自身に、深く溜息をついたのだった。

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