悠久の丘で
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負けられない奴
VOCALOIDが何を1番怖がるって、ちゃんと知ってるか、マスター。
ねぇ、ちゃんと理解して。俺らには―――俺には、あんた以外マスターなんていらないんだから。
*
「ンでマスター?」
「うん?」
兄さんを帰した後で歌の打ち合わせなんて言っていたけど、実際今俺は歌を歌っていない。ただマスターにぎゅうっと抱きしめられている。
マスターはすごくあったかい。体温がちゃんとあって、肌を押すとかろうじてその下を流れる血液が脈打つのがわかる。暖かい。すごく、それだけの事が酷く羨ましくて嬉しい。
俺は事実歌を歌うためだけにマスターの所に来た。
それだけのはずでマスターも購入したはず。
「なんで俺は抱きしめられてるわけ」
「此処が寒くて、だけどパソには丁度良い温度なんだよ。だからお前で暖をとる、と」
「意味分かんないから…」
こんな風に返されると脱力する。自分の我儘だって知ってるのに、俺だけを見て欲しくなる。
―――勿論、兄さんは可愛いし美人だしそれに比べて俺はいろんな所が劣るけれども。
「―――…マスター、いやらしい事、するよ」
俺の肩に埋めたマスターの頭。触っていると、もっといろんな所が触って欲しい。そして触りたい。
「…良いじゃねェか、少しくらいくっついてたってさー」
ぷぅと頬を膨らませる。止めてくれよマスター。可愛いなんて思うから、止めて。それでもゆっくりと抱きしめていた身体を離してくれた。可愛いって思うだろ。マスターがいっつも兄さんにしてるようなこと、したくなるだろ。
だから止めて。マスターが嫌がる事は、出来るだけしたくないんだから。
「ったく、せっかくさっき消したカイトの写真、見せてやろうと思ったのに」
「え、それは見たい! 消したって言ってたのは嘘だったのかよ」
「嘘ではないさ。ちゃんと、デジカメに入ってた分は消した。だけど俺がその前にバックアップ取らずにいるなんてありえないだろ」
そう言って自慢げな顔をしているマスター。可愛いって、思ってていいの、かな…?
「ちゃんとバックアップ取ってから消したんだ、メイコが必要らしいし」
そう言って、パソコンをいじるマスターにくっついて後ろから覗きこむ。見ている間に手早い動作で「KAITO」と名付けられたフォルダをクリックする。
「―――…マスター、いつの間にそんな名前のフォルダ作ったんだよ…」
「写真が多くなってきたからな、ちゃんと分けておこうと思って」
そんなに兄さん隠し撮りされてたのか、なんてちょっと思う。
だけど、1枚も撮られてない俺よりは、ずっと兄さんのが恵まれてる。本当に兄さんが羨ましいよ。マスターに大事にされて。
「へェ――…ンで、さっきの兄さんは?」
決して、俺はいないの? なんて聞かない。そんなことしたら、俺が凹む。もしかしたら歌なんか歌えなくなっちゃうかもしれない。
そしたら、俺はお払い箱だ。きっと元は同じソフトでもリンだったら歌えるだろうけど。
「これこれ。可愛いよなー」
マスターの嬉しそうな声。クリックして出された画像には確かに可愛い兄さん。
「これで全員分の寝顔はそろったし、次は何にしようかなー」
ああくそ、本当に羨ましい。こんな風に撮ってもらったことだってないのに。
「―――…うーん、これはメイコ…か、ミクか? あいつらどっちがどっちの担当だかよくわからないんだよな…」
マスターがぶつぶつ言ってる。そして、CDをパソコンに突っ込んだ。パソコンに色々表示される新しいウィンドウが何を言ってるのか俺にはよくわからない。
「これは保存…っと、OK。後で渡してやるかー」
うん、と伸びをしたマスターが急にこっちをみるから、少し変な顔をされてしまった。
「…………レン…? どうした、おやつか?」
「…なっ、兄さんじゃないんだから違うよ、失礼だな」
「だって、なんか今の状況にそぐわない顔してたぞお前」
マスターは、鋭いところが嫌だ。
ねぇ、こっちを見ないで。
そしたら俺、きっと壊れる。…壊れちゃうンだ、マスター。
いつだか、メイちゃんが言ってた。
俺たちVOCALOIDは目から水が出たら壊れてる証拠なんだって。そしたら、全部マスターとの思い出も捨ててもう1回暗くて狭い箱に入って、何ヶ月も検査されて、それで―――、ようやく、マスターの所に戻ってこれるかもしれない。いや、戻って来れない方が多いって。
だって、歌えないVOCALOIDに存在価値なんてない。
――――それくらいは俺だって知ってる。
そして壊れた俺らを治すより、俺を捨てて、新しい”レン”を買い直した方が早い。
マスターは1回だって俺らをアンインストールする、とか言ったことはないけど、本当は邪魔なのかもしれない。
歌えない VOCALOID は、
邪魔 な だけ ―――…
拳を握る。
「…ねェ、マスター」
「うん?」
マスターは優しく笑んでくれているけど、それが胸に痛い。
「…あ…の、さ」
「なんだよ、今日のお前はなんか変だな。どっか痛いか?」
胸が痛いんだよ、マスター。やっぱり、俺は壊れてるんだ。
「…………俺を、アンインストール、とか…す、る…?」
語尾が段々弱くなってしまう。前もちゃんと見えない。視界が歪んで、滲んで、目に手を当てて漸く気付いた。
――――――――ああ、俺は本当に壊れてたんだ。
「なんで?」
「俺は、壊れ、てる…しッ」
「え、どっか痛いのか?」
マスターが慌てたような顔をする。
「――――ああ、泣くなよ、何所が痛いのか言ってみ?」
優しく優しく頭を撫でてくれる。
「俺、おかしいから…ッ、メイちゃん、言って、目、水…っ」
「―――それじゃ言ってる事がわからんだろう…」
マスターは苦笑した。そして、俺の頭を本当に優しく優しく撫でてくれる。
「どこが壊れたと思うんだ、言ってみろレン」
「ぜ、ん…ぶ」
ああ、もうマスターに逢えないんだ。
あの暗い箱の中に戻って、何も無い、あの薄暗くて怖いトコへ。
こんなにも俺は好きなのに。
何をしててもマスターのことが。
「―――…そう言われてもなァ…、何所だか分からないからな…」
俺も流石にVOCALOIDは治せないぞ、と言ってマスターは困ったように腕を組む。
「…成玲に頼むか…? アイツだったら知ってそうだしな…」
俺の絶対主のマスター。
「マス、ター…」
「うん?」
マスターは今まさに携帯電話を取ったところで。
「俺の、事、捨てて」
嫌なんだ、俺は弱いから。マスターに嫌そうな顔をされて呆れたような顔をされて、それで捨てられるのだけは。
それくらいなら、どれほど悲しくたって、自分から捨ててくれと言った方が。
「馬鹿か? 嫌なこった」
マスターは即答した。
「お前は家の自慢の子の1人だぞ? なんで俺がそんなに簡単にお前を捨てなきゃならないんだ」
さも当たり前のように言い切って、耳に押し付けていた携帯電話に話し出す。
「…ん、成玲か? 家の可愛い子なんだけどさ、直せるか?」
ずっと一緒にいてくれるマスターだけど、それでも月に1回くらいは、外出することがある。その時に来る人が、成玲。
凄くマスターに触る人だ。
要注意人物だと俺は思って、兄さんもそれと同じような類の感想を抱いたらしい。
メイちゃんとミク姉、リンは何故かニヤニヤと笑っていたけど。
「―――お前、俺から代償を取るつもりか。…はぁ? 馬鹿じゃねェのかお前はいつも!」
マスターが顔を赤らめる。その散らし具合がなんだか可愛くて、ムッとする。
「お前、俺が会社行くの嫌な理由は8割くらいお前がセクハラしてくる事だってのを忘れるなよ!」
―――なんだか、会話を聞いていたら水も引っ込んだ。
それよりも何よりもマスターとの会話をやめて欲しくなる。
「…この十七夜月様のお陰でお前が副社長になったことを忘れんなよ!?」
マスターはなんとかって言う名前の会社のしゃちょーさんで。
メイちゃんがとても偉い人なんだといっていた。
そして成玲は部下。
メイちゃんが昔、成玲が家にマスターを迎えに来たときボソッと小さな声で「下克上って良いわよねェ」と怪しい笑いをしていたから、それ以来成玲を警戒するようになった。
その成玲が、家に来てしまうかもしれない。
「マスター」
「うん、どうした…?」
小さく呼びかけるとマスターが離す部分に手を当てて雑音が入らないようにしてくれた。
「なんかね、痛いの治った」
それよりも早く電話を切って欲しくて。
「治った? 苦しいところは?」
「なくなっちゃった。大丈夫みたい」
病気の、原因が分かった。
「そうか! 良かった良かった。じゃぁ成玲、そういうことだから」
電源ボタンを押して、無常にも切れた電話をマスターは早く片付ける。
そして俺の頭を撫でてくれた。
それで気分が良くなる。
だって、これは只単に「嫉妬」とか言うものだから。
マスターを誰かに取られたような。
それが分かった俺は、ニィ、と笑った。
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