悠久の丘で
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彼を紡いだ詩を、

 あの日、僕は此処より離れた辺境の地で無残に刻まれた歴史の爪痕を視た。
 爪痕は何よりも残酷に残されたモノを削った。
 彼は、まるで何グラムかが抜け落ちてしまったかのように、何も見ることのない瞳で空を映していた。


  *


「―――…酷い臭いだ、な」
 其処には臭気が立ち込める。思わず袖で鼻を押さえてしまうほど、酷かった。
 そして其処には何もなかった。

 唯、朽ちて焼けた柱が残るくらい。

 酷い臭いだ。服どころか腑にまでに沁み付きそうなほど濃く、負を凝縮させた臭い。
「…確かに、これは酷い……」
「―――…こんな辺境で何があったのかね」
 こんなになるまで襲われる理由もなかろうに、と呟いた声が聞こえた。確かにここには何か滅ぼさねばならない理由はない。


 慎ましく、誠実に、決して叛かぬ場所であったはずだった。
 何かある訳でもない、慎ましい場所であったはずだ。
 まさか、こんな風にその運命を終わらせるなど考えられない程度には、そうであった。


 だが、目の前に広がる光景が夢だとは思えない。臭いも、感触も、声も。すべて自らの感覚に訴えかけてくる。
「―――人が、残っていると思うか、じまんぐ」
「もし、残っていたら壊れているでしょうな」
 何とは言わないが、それが意味する事を的確に理解していた。そして、聞いていながら自分でもひどいことを聞いたものだと思っていた。
 命が残っている事は実に喜ばしいことではあるが、この中で、生きているというのなら精神にどれだけのダメージを負ったというのだ。

 精神を自らで壊してしまうくらいのダメージである可能性もある。

 焼け朽ちた家と、折り重なるようにして死んでいる人間。元が人間であると誰かが指摘しなければ人間かすらもわからない。
 もしも、この中で生きていたのなら…、それは―――…
「―――だが、居るやも知れませんからね。探してはみましょう」
「ああ、頼む」

 炭の臭い。
 焼け焦げ炭化したそれは、元の張りのある姿ではない。焼け崩れてしまった、だがかろうじて元の形をシルエットとして残している其れに触れる。
「―――どうして、こんな事になってしまった…?」
 焦げ朽ちた其れは当然返事など返さず、ただ自らの重みに耐え切れずにさらさらと風に流れてしまう。ヒトは脆いのだと、こんなところで意識してしまう。
 踏み荒された足跡は幾つもあって、当たりには抵抗したのであろう踏みにじられた草の跡も残っていた。折れた剣や軍馬の跡。重く土を抉るような足並は軍馬特有のものであるから、そうして襲われたのであろう。

 だが、納得が行かない。
 何度も言うが、この村に襲われるような要因は何一つとしてなかった。
 何を目的にこの村を荒らしたのかがわからない。

「戦時中ならまだしも、今はもう―――」
 自分が国王となってから、この国で争いごとはまだない。そしてこの村は辺境ではあるが僻地ではない。決して国境に近いわけでもなく、首都と国境から半分半分の距離を保っている。
 この村を襲うと言う明確な目的が無い限り、この村を襲う意味が無い。

「この村に何があった…?」
 襲うに足りる理由が、何か、

「陛下!」
「じまんぐ…?」
 突然大きな声が聞こえたからびくりとして彼の姿を探したら、随分先に彼を見つけた。
「何か見つけたのか!」
 声を張り上げると、遠くからでも彼が頷いたのがわかった。


  *


「――――――…しまった、眠れん」
 夜の闇が身体を包みこむ頃、クリスは起き出してしまった。

 枕が変わっても寝れる。
 蒲団が変わっても然り。
 環境が変わったくらいで寝れなくなるほど軟でもない。

「……う、レヴォ…じま…」
 きゅっと枕の端を掴んで寝返りを打った。
 困ったことに寝れない。明日からは授業をしなければいけないと云うのに。
 少し考えてみた。
 あまり徹夜は出来る性質ではない。恐らく出来て1日が限界。だが、今日寝れなかったものが明日寝れるとは思わない。
 何より、寝れない理由はよく自分で分かっているのだ。

 人の気配がないと眠れない。
 もっと言うと、人の体温がないと寝れない。
 ―――かつて、人の気配があると寝れなかった時の反動か、今は驚くほどヒトの気配に敏感だ。
 本当に、寝れないのだ。

 上手くすれば部屋を壁1枚で隔てたくらいなら寝れるとも思っていたが、それはどうやら自分を買いかぶりすぎた。これじゃ眠れない。睡眠薬だって何度も試したけれど、全く効かなかった。身体に負担をかけるほど強い薬ですら眠れず、逆に目が冴えてしまうので正直打つ手がない。
 ―――かといって、同じ部屋で寝てもらうような真似は間違っても出来ない。

「―――…そう言えば、あいつ、遊びに来るって言ってたっけ…?」
 それだけが望みだ。そうすれば眠れるかもしれない。
 どれだけ疲れていても、限界がきていても、決して身体は休眠を受け入れてくれない。
「そうすれば、眠れるかもしれない…」
 それまでの我慢だ。
 ぎゅっと枕を握る。目を瞑って決して眠りへは誘ってくれない闇を恨んで。


『―――クリス…?』
 だがその時、声が聞こえた。女性の声。その声に顔を上げる。
 1人だけ、この声に聞き覚えがあった。
「―――…クロ、ニカ…?」
『御機嫌よう、クリス』
 にこりと微笑むのは紛れもない<書の意志の総体>。
 美しい黒髪を背に流し、静かに燃える緋色の瞳。色素の薄い肌が浮き上がるように見えて、もう1度<書の意志の総体>は微笑んだ。
「どうしてクロニカがこんな処に…?」
 確か、城に置いてきたはずだ。何処にいても危険なのは変わらないが、かつてこの<書の意志の総体>を狙って襲ってきた輩が居たように、城ならばせめて護られるかと置いてきたのに。

『眠れない。そうでしょう、クリス?』
 歌うような<書の意志の総体>。
「―――…それ、は…」
『だから私は来たの。貴方のモノだから』
「だけど、クロニカにとって外は危ないってあれだけ…ッ」
『それはせめて1人で眠れる仔が言うべきではなくて?』
 ドレスの裾をひらめかせ<書の意志の総体>が頬に手を添えた。手はひんやりとしていて、冷たかった。
「―――ごめ、ん…」

『さぁ、クリス。つまらない昔話でも宜しければ、お話ししてさしあげましょう―――…』

 繰り返し繰り返し髪を梳く冷たい手。次第に人の気配とも取れる<書の意思の総体>の気配によって気付けば意識は混沌に抱かれていた。




『―――…よかった、私でも気配があって。…愛しいムシュー、瑕を負ってまで私を護ってくれた貴方を、私が放っておけるとでも思って?』
 くすりと笑って<書の意思の総体>は繰り返しクリスの前髪を撫でた。
『おやすみなさい、クリス―――…』

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