悠久の丘で
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帰郷
…何してんだよ、あんた此処で! 本当に、本当に、なんでソレを言えなかったのか、本当に悔やむ。
見覚えのある懐かしい場所。人にはそんな場所が1つくらいあるものだと、私は藍州に帰ってくるたびに心洗われるような思いで水辺に映る街並みを見て嘆息をこぼす。
それは今回の急な帰省でも同じことで、今回は秀麗殿へのお土産もあって、暇そうだった絳攸も連れて、藍州へと足を踏み入れた。
そして向かった玉龍、湖海城。
その扉を開け、誰に会うよりも先に、何故かとても見知った顔を見た――――――…。
「…邑榛……?」
「よう、楸瑛。遅かったな、お前は」
「何、邑榛だと!?」
後ろから名前を聞いて急に明るくなった絳攸が声を上げる。
「おやおや、絳攸まで。2人旅か、邪魔されたくなくて怒ってるんだろう」
本から視線をこちらへと移した邑榛は、おやつ代わりなのか恐らく玉華が作ったであろうふわふわの卵焼きを串にさしている。
もうかなり長居している証と見て良いだろう。
それに何故急に絳攸との2人旅が出てくるんだ? 決して、そう云うわけではないとお伝えしたい。大体私と絳攸でお忍びで2人旅なんかして誰が嬉しいんだ。
ちゃんと貴陽を出立する時に秀麗殿にお土産は何がいいか、聞いてきたさ!
そして、それよりも先に聞かせて欲しい事がある。何でお前がここにいる?
如何に長期休暇をもらったからとは云え、如何に兄上たちから熱烈な招待を受けたからとは云え、如何に龍連が毎夜迷惑を考えずにこの時期の藍州の魅力を語りに行ったからとは云え、なぜこの時期にここに。
「あー…邑榛、兄上たちは…」
聞ければいいのだが、結局は聞けない。そんな怖いことできない。
なので仕方なくため息をついて、解いた髪を片方の方に流し、着流しだった服を直すことにする。
絳攸は、といえば先ほどから何がなんだか、と頻りに周囲への視線を惜しまない。
口にしては言わないが、かなり構造が複雑なので迷ったらつれて帰れないぞ、絳攸。
「雪たち? さっき会って、お前を見たかもって言ったらわくわくしながら着替えに行ったぞ」
そういう邑榛はのんびりと気を抜いて読書に耽っている。並び積まれた本を見て、私は目を見開いてしまった。記憶が確かなら、全て九彩江にある藍本家にあったはずのモノだ。
―――何故ここに?
「―――…1つ聞いても良いだろうか、邑榛」
「なに?」
1つだけな、と悪戯に笑って。
「その本は誰が下ろして来たんだ、兄上か…?」
山のようになった本。問えば邑榛はけろりとして此方を見て、さらりと言った。
「いや…? 自分で下ろして来たよ。本家まで、結構道簡単だから」
簡単なわけあるか、と心の底から叫びたい。……だが今叫んだら間違いなく兄上にタコ殴りにされる。なのでその衝動をどうにかこぶしを硬く硬く握ってやり過ごした。
―――――まさかまさかとは思っていたが。
…やはり、邑榛は人ではなかったのだ。
彼処へは本家筋の者以外、半月以上もかかって辿り着く場所だというのに。分家の十三姫ですら早い方だったと云うのに。最悪の場合たどり着けずに永遠さまよい続けて死ぬ場所なのに。
あの、九彩江に入って、無事に帰ってこれるのは本家血筋以外なら間違いなく邑榛以外にいないだろう、なんて冷静な頭で考えてしまって恐ろしくなった。
邑榛が帰ってこなかったら朝廷はどうなる事やら…。怖くてその先が想像できない。
「お前は―――…、行けない場所とかはないのか…?」
頭を抱える。
「うん…? 基本的には…、ないかな? でも絳攸には負けるね」
そして、あっさり頷かれてはどうしよう。あそこは王を試す場所とも言われているのに。
あれだ、邑榛は人間じゃないんだ。きっとそうだ。
そして、なんの冗談かけらけらと笑う。
「だって、絳攸は何処で習ったのか特殊な歩き方するから…、順調に家のお墓に来られちゃうしさぁ。小さい頃迷って怖い思いをしたから、歩き方、直してあげた筈なのに」
すごいよなー、お墓、あんまり見て良いものじゃないからある一定の法則にしたがって歩かないと正面の門につかないようになってるのに。
そう言って、邑榛は開いていた本に栞を挟み閉じて、絳攸に笑みかける。
「小さい絳攸さー、黎深に付いて来たのはいいんだけど、暇になっちゃったって言うから屋敷の中なら何処に行っても良いよって言ったらさ、よりによって、お墓に行っちゃうんだもん。びっくりするよね」
「なっ…、俺だってびっくりしたわ!」
「うん、みんなで絳攸がいないーいないーって捜索しちゃったもん」
俺、家の中で迷子の捜索したの初めて。黎深もすっごい探したんだよ? そうやって悪戯っぽく付け足された言葉によって、親友の養父の、氷の長官と噂高い姿を思い浮かべて……瞬時に脳がそれを拒否した。
「――――――…無理だ、想像ができない」
「黎深は可愛い子だからね。絳攸も可愛いけどね」
―――――――――本当に、邑榛は偉大だと思う。あの尚書を捕まえて可愛い、なんて言えるのはきっとこの国中探したって邑榛くらいのものだ。
その時、ぺたりと小さな音がした。
「……おや、楸瑛もう帰ってきたのか」
「お。雪お帰り」
そして、この藍家当主にここまで好かれた官吏としても、最初で最後のはずだ。
確か邑榛ら悪夢の国試組と入れ替わるようにして「藍家当主」は現朝廷から藍姓官吏をすべて撤退させた。それでも邑榛がこの当主が当主となる前を知っているのは、ひとえに「藍雪那」の我儘だ。
私はそこにいなかったから、誰が先に言い始めたのかわからない。
だけれども、間違いなく「藍雪那」が望んだこと。そしてそれを叶えたのは邑榛だ。
「…兄上……」
「そっちのは、黎深の養い子だって?」
そっち、と言われたのは勿論絳攸のことで。それに邑榛はにこやかに答える。
「そうだよ。黎深に似て可愛い部分と、黎深に似なくて可愛い部分が鬩ぎ合ってる感じの可愛い子だね」
「それはまったく説明になってないな、邑榛」
兄上たちがくすくすと笑って、邑榛に群がる。本当に群がる、といった表現が正しくて、ひらひらした部屋着の袖を翻して邑榛の元にかたまり、3人が3人とも抱きしめている様子は滑稽なようで、実は案外綺麗に絵になる。
すっかり本が読める状況でもなくなってしまったため、邑榛は閉じた本を机へと手をのばして置いて、それぞれの兄上を愛しげに撫でる。
「――――――兄上、久しぶりに邑榛に会えて嬉しいのはわかりますが」
「なんだい?」
「楸瑛は毎日のように会えるくせに」
いっせいに邑榛に抱きついた兄上からの視線がすごく痛い。つい視線をそらしてしまう。
……本当に、邑榛が関わると急に幼くなる人間が多いな…。
「ずるいじゃないか」
「久しぶりに愛しい子が訪ねてきてくれたんだから少しくらいは許したらどうだ」
「まったく、雪の言うとおりだね」
すでに絳攸は何歩か引いている。正直、私1人にしないで欲しい。
そして、これが権力を紅家と二分していると言っても過言ではない藍家の当主かと思うと少し涙が出てくる。
なんだろう、ひどくデジャブを感じる…。
―――…あぁ、アレだ。貴陽でも邑榛を奪い合ってやれ王だやれ吏部尚書だ、そうと見えないだけでやれ戸部尚書だのが水面下の争いを繰り広げているからだ。
頭が痛い。
「兄上……」
お願いですから、これ以上身内の恥を露見しないでください…。
後ろにいた絳攸がすごい顔をしていた。ちらりと足元を確認したが、また下がってるんじゃないか、絳攸め…。
「それにしても…、雪も雪那も雪ちゃんもまったく顔が変わらないな。初めて会ったの、ずいぶん前なのに」
それまで黙って久しぶりであろう兄上たちに触れていた邑榛が、息を吐き出しながら感嘆するように言った。
「そう言う邑榛こそ、歳を取らないだろう?」
「私たちも歳を取りにくいらしいけどねェ」
「それに私たちは3人で雪那だからね」
兄上、まったく説明になってないですし、それじゃぁなんか妖怪みたいです。
だけれども、確実に今の邑榛の一言で機嫌がよくなった。
「その点、龍蓮は年取ったってか、大人っぽくなったよなー。初めて会った時はまだこんな子どもだったのに。この間からね、藍州が良い、藍州が良いってよく来てたんだぜ?」
夜、迷惑も考えずに笛を吹きながらお宅訪問していたことは知っていた。近隣住民ばかりでなく、そちらが帰宅ルートでないのにも拘らず某尚書に文句を言われたり、近隣住人からは邑榛が心配だ、という手紙が山のように着て劉輝の机を荒らしていた。
おかげで私は秀麗殿や劉輝、絳攸にまで変な顔をされた。変な顔、というよりは、変な身内を持ってる、みたいな顔をされた。ちなみに静蘭には鼻で笑われた。
……私のほうが偉いはずなのに。
絳攸からの、流石藍家、みたいな視線が少し癪に障る。紅家だってたいして変わらないじゃないか。邑榛の後見を買って出てみたり(本人に笑って拒否された)、邑榛の家に毎年大量の氷を送ってみたり(本人曰く消費しきれないので近所に配るそうだ)してるくせに。
お前の敬愛する養父も同類だ、と強く強く思う。
ちなみに劉輝には、同じ事したでしょう、と詰め寄りたくなる。
「おや、あの子にしては気が利くじゃないか」
「なー。今年はまだ藍州に来てなかったし、行ける予定も立ってなかったからよかったよ」
長期休暇も見込んで来てくれたし、と言えば流石は「藍龍蓮」だと言わざるを得ない。
いつ何処にいても最新の情報が入るようになっている「藍龍連」。なにもそこで使うこともなかろう、と思うのだが、邑榛が喜んでいるのなら仕方あるまい。
基本的に藍家の人間は――特に男は――邑榛に依存している部分も多々見受けられる。
たとえば、龍蓮が貴陽に会試を受けに来た時、あいつは邑榛の家に行くのだと言って譲らなかった。
もっとも、その時期邑榛は貴陽宅に戻っていなかったためお流れになったのだが。
「でもまさか楸瑛と絳攸がらぶらぶ旅行してるとは思わなかったけどなー」
邑榛がにやにやと笑っている。目が、これ以上ないくらい笑っている。
なんか、すっごく心外なことを言われた。
「貴陽に帰ったら言わなくちゃな」
「言わんで良いッ!」
絳攸から即刻拒否されて、邑榛は不満そうに唇を尖らせた。それもそのはずで、彼の貴陽での平穏な日々があっさりと崩れるからだろう。
間違いなく、吏部尚書に文句を言われ、いびられる。
たとえ、それが事実であれ嘘であれ、彼なら自分の養子が男色かであるとかそういった事はまったく気にせずに、旅行先で邑榛に会った事を責めるはずだ。
「自分は遊べなかったのに、なんだ、お前は」、と。
「なんでさ、お忍びの恋だったのか?」
「まず、そこから離れなさい、邑榛」
「俺、別に偏見とか持ってねェよ?」
思わず、なんかすごい台詞に言葉が詰まってしまった。
そうじゃない、そうじゃなくてだな。
「…………………持ってないから問題なんです」
長い沈黙の後にようやく言えた反論を聞けば、邑榛は私からきらきらした視線を離して兄上を見た。
「――――――…雪ぃー、俺、酷いこと言われてねェ?」
「あぁかわいそうに、邑榛…」
そう言って、ぎゅう、と抱きしめる。正直ていの良いきっかけに使われてる気がしてきた。
「………………もう、邑榛はどこに行ってもモテモテなんですね」
なので、半ば自棄になった。絳攸は何か見てはいけないものを見ているような目つきで、やや離れて遠巻きに見ている。
「それ程でもないぞ。楸瑛は花街で大人気だし、絳攸も色んなトコから人気ちゃんだよな。俺は……どこでモテモテなんだ?」
言って、兄上固めをくらってるくせに絳攸を近くに呼んで頭を撫でた。
大体絳攸、君、おとなしく行くんだったら離れる意味がないじゃないか。
「絳攸も可愛いし、楸瑛も可愛いし。雪たちも引っ込む前に新しい可愛いのを見て行けばよかったのに」
そう言えば、という風に言った邑榛の肩をどの兄上か分らないが抱いて、頬にキスをした。
――――――どうしてどいつもこいつもスキンシップ激しいんだ…?
貴陽に帰っても同じ事が言える。時折元茶州組みとか、貴陽に用事があって出てきた茶州組みとかにも抱きしめられてキスされている場面をよく目撃するのだが。
「…うん?」
邑榛はよくわからない、みたいな顔をして兄上を見ている。
「邑榛がたぶん1番可愛いよ、朝廷の中で」
今年から女人制度を投入して、ましてや後宮勤めの女官が居ることも知っているだろうに、兄上はそれを全てあっさり無視した。
確かに、手を出していい女性はあの場所にはいないしな。
「可愛い…かぁ? それはいやだなぁ…。だって美人さんは鳳珠だろ?」
「……黄家のか?」
「そうそう、黄鳳珠ね。今は奇人なんて言ってるけど」
黄奇人といえば、戸部尚書の事だ。
仮面をしている戸部尚書の素顔を知っている人物は恐ろしく少ないというが、流石に同期なら知っているらしい。
「知っているよ、聞いたことがある。あれだろう、黎深に…」
「しー。それ以上は絳攸が居るからダメね」
そっと、唇に人差し指を置く。
絳攸はといえば、1人状況がよくわからずにきょろきょろしていた。
「俺の代は悪夢の国試組とか呼ばれてるけど、半分くらい、鳳珠のせいだから。殿試とか、笑うしかないよねー」
「……そういえば、滅多に不合格者が出ない殿試で多数の受験者が落ちた年だったとか…」
そう云えばうんたらかんたら。苦笑交じりに説明は聞いた気がする。
「そう。まァ、殿試で答えられなかったら不合格にするしかないよねー」
「……確か、あの年の合格者は、悠舜様と戸部尚書、黎深様、工部尚書…」
「そ。それとここ、藍州州牧、文仲も俺らと同じ国試組ね。絳攸よく覚えてるね、少ない上に散りじりになってるから結構忘れがちな子、多いのに」
褒められた絳攸はどこか嬉そうだったけれども、それに反応したのは兄上たちだった。
「藍州州牧?」
「そう。文仲、結構な出世頭でね。ぁ、今回俺、文仲にも会ってきたんだー。久しぶりなのにあいつ、相変わらず顔色悪かったよ、心配になるよな、あんな顔してると」
「あの、顔色の悪い幸の薄そうな奴か…?」
「……兄上…?」
それはいくらなんでも失礼、と言おうとした私よりも先に、邑榛が笑った。
「あはは、そう言っちゃ文仲がかわいそうだけど、そうだね。だって、試験のとき厠に行ったら厠の幽霊だって言われて黎深がわくわくしながら幽霊退治に行ったんだもの」
俺と悠舜と鳳珠はその時からの付き合いなんだ、と笑ってにこやかに言われる。
「そうか…あの幸薄い州牧が…」
なにか、兄上たちには思うところが合ったらしい。やけに深く悩むような顔をしている。
だが、それが三者三様解けた時にはすっきりした顔で、
「なら、いじわるしないようにする」
なんて同時に言うものだから、絳攸はいよいよ呆れ返った顔をし、私はそんなことしていたのかと驚いて、邑榛は驚いたように3人に視線を落としたが徐々に柔らかくさせて、
「そう? でも、雪たちには藍州を守る義務があるから、できる限りにしておいてな」
と、言った。
そしてその言葉を聞けば兄上たちが揃って「心優しい子だ」というのは予想できたし、予想通りになったし、私はため息を付いた。
――――――藍州は、これ以上ないくらい平和らしいです。
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