悠久の丘で
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愛す彼故に 上

 実はそう見えないだけで、天上天下唯我独尊の気質たっぷりの邑榛にも気分が沈みがちな日と云うものはあるようで。それが目に見えることはあまり無いのだが、それでも今年は気付く者が通年よりも多かった。
 真っ先に気付いたのは同僚であり同期である黄鳳珠と紅黎深。景侍郎が気付くのは何時もの事だが、次いで気付いたのが劉輝と絳攸と楸瑛。
 つまるところ邑榛により近い方から順々に気付いていった。

 だが、今年は珍しい年であった。

 何故だか秀麗、影月を初めとして馴染みの深い新人官吏たちにまで気付かれた時点で、今年は何かおかしかったのだ。
 珀明や珍しく顔を覗かせた龍蓮にまで言い当てられたのだから邑榛もシラを切れなくなった。





 そして、何故だか食べ物に目が無い邑榛の為に、内密に、邑榛のためだけの食事会を開くことになったのだ。





 それは場所を決定しているときだった。邵可邸は現在、とてもではないが人を招けるような状態に無い、というのが秀麗の言い分である。
「………そんなに言うなら」
 それまで沈黙を守っていた邑榛がぽつりと呟いた。勿論の事、一斉に邑榛に視線が集まる…が、その視線もなんのその、邑榛は多少悩むようにしながらも言葉を続けた。
「そんなに言うなら俺の邸を貸してやろうか? 別に邵可邸みたいに風流溢れる邸じゃないし、貴陽の端っこだから不便っちゃぁ不便な位置に建ってるが…それでも良いなら」
「邑榛の邸?」
 驚いたように問う楸瑛にも小さく頷き、
「あぁ。よく黎深や鳳珠も遊びに来るけど…都合がつくなら貸してやるよ」
 邑榛は特に興味無さげに提案した。
「いつも邵可邸だと飽きるだろ?それに俺も美味い菜、食べたいし」
 秀麗が彼処まで来れるなら、と付け加え静蘭の方に視線をやると静蘭も頷いた。
 元より邑榛の為に考案された会である。それが邵可邸であろうが邑榛邸であろうが、目的を達せれば問題ないのである。
「確かに…邑榛様の邸なら私も安心してお嬢様を送り出せますが…」
 良いのですか、と続いた言葉を邑榛は少し頷くだけで肯定し、
「静蘭と燕青も来てもらうから大丈夫。静蘭は後片付けも上手いしな」
 仕事が入ってるとか言い訳なしで、と邑榛がニヤリと笑う。
「楸瑛が来れるのに静蘭が来れないってのはおかしいよなァ?」
 邑榛は自分より幾分も背の高い楸瑛を見て、今度は邪気を抜かれるような笑みでもってして反論を許さない。
「…邑榛様……私は今、羽林軍には…」
「知ってる。お前の禄、この間下がったから。静蘭の今1番多い仕事は米蔵門番だっけ? それにもし劉輝のお守りが入ってもあいつごと連れて来りゃ良いんだから問題ないよな?」


 ―――流石、戸部・吏部尚書代理。まさかそんな所から羽林軍から退いたことを悟られるなんて思ってもいなかった。
 静蘭の頬にも一筋汗が流れる。


 それを見て楸瑛は苦笑した。そして恐らくは本人の無意識の内に流れているのであろう汗を拭ってやった。
「静蘭……」
 なんです、と見上げてくる視線に苦笑しながらゆっくりと首を真横に振って見せた。
 どう考えたって邑榛に勝とうと思うのは無理だ。
 なにせ藍家当主3人、紅家当主、黄家美人ですら手玉に取るような人物だ。自分が幾ら頑張ったって勝ち目がない。
 それどころか切れ者で知られた先王をも――病床にいた、という事もあるのだろうが――手の内に収めていたらしいから、これでは誰も勝てまい。
 その代わり、先王の時ばかりは代わる願いを聞いていたらしいが…それでも十分恐るるに値する。
「大人しく頷いておいた方が良いと思うけど」
「―――…そう、ですね…。…では邑榛様、僭越ながら私と燕青もご一緒させていただくと云うことで」
「うん、待ってる」
 邑榛は頷くと嬉しそうに笑った。
 だがそのすぐ後、何かを考えるように邑榛は空を睨み、そしてあァ、と手を打ち鳴らした。

「…ぁ、その日、もしかしたら家に誰か遊びに来るかもしれないけど良い?」

 その問いは主に秀麗に向けられていて、その一言だけで絳攸と楸瑛は誰のことを指しているのか的確にわかってしまった。
 絳攸の顔色が悪くなる。
「邑榛様のお友達…ですか? 私は一向に構いませんけどその分食材が必要ですね…って、絳攸様!? 顔色がッ」
「だい、じょうぶだ、秀麗」
 慌てた秀麗が手ぬぐいを出し絳攸の額を拭き始める前に、絳攸はそれを押し止めた。やってくれた方が絳攸の体調に良くない、などと秀麗に分かるわけがないだろう。

 ましてや秀麗のせいではないのだ。

「絳攸、教えておいてあげてね? 俺からも言っておくけど絳攸が早い方が良いだろうから…、うん、俺は2日後に言う」
「―――…あ、ぁ」
「そう、気に負うものじゃないよ。アイツだって呼んであげるくらい良いだろう? 多分鳳珠も来るから虐められないだろうし」
 邑榛は軽く言ったが、彼が姪や兄上の事で暴走するのは理屈ではないのだ。絳攸はなんとか頷いておいたが、それでも疲労の色が濃かった。
「それと…秀麗、食材に関しては心配しなくて大丈夫だから。ね、楸瑛?」
「…わかりました、手配しましょう」
 苦笑混じりの楸瑛ではあるが頷く。彼は彼で自分の役所を的確に理解していた。
 食事会程度の食材の手配なら、藍本家の兄3人に呼ばれ何年も前から恒例となりつつある邑榛のお泊まり会にて馴れたものである。
 平然と全食料を押し付け終えた邑榛も満足そうだった。
「季節の野菜とかふんだんになッ!俺、まだ栗食べてないんだ」
 言外に栗の注文を付けてくる邑榛に楸瑛は笑んだ。

 決して栗は野菜に含まれない事は指摘しない。

「わかりましたよ、邑榛」
 兄よりは幾らもいんぎんな態度だが、それでも普段の楸瑛よりは幾らも丁寧である。王に対するより丁寧なその対応に、秀麗と静蘭は驚き顔にも多少それが滲み出ていたが、何も言わなかった。
 何も言えなかった、と云うのが実際は正しい。

 だがショックからいち早く立ち直った秀麗は栗、と聞いて頭の隅を掠める物に声を上げた。
「あ。邑榛様、栗なら茶州の…」
「茶州?」
 そう、いつぞやの龍蓮の衣装、秋の味覚編である。
「はい。そこの義賊の翔琳君、曜春君の所の栗が美味しかったですよ」
「…確かに。山に住んでますから、秋の幸も籠一杯にくれましたし」
 静蘭の瞳が妖しい光を持つ。
「なら燕青に取りに行かせましょう」
 瞳に浮かぶ光が雄弁に燕青を厄介払いできる、と物語っていた事に気付いてしまった絳攸は、慌てて視線を反らした。
「だって。楸瑛、栗は用意しちゃダメ」
「はい」
 笑いながら小さく頷く。
 まァ…燕青なら、どうにかなるかもしれない。時間的にかなり厳しいが。
「―――…でも静蘭、あと1週間なんでしょ?茶州からは…」
「無理ですかね…」
 時間が足りない、と秀麗が皆まで言わずとも理解した静蘭(知っていながら強引に話を進めていた節がかなりある)が小さく、あの役立たずが、と呟いたのと、邑榛がにこやかに答えたのはほぼ同時だった。
「今度でも良いよ。次回は我慢するから今度、秀麗蒸かした栗持って来て」

 邑榛が珍しく譲ったのには訳がなにやらあったらしく。

「はい、栗が手に入り次第邑榛様にお届けしますね」
「うん、楽しみにしてる」
 邑榛は食べ物に関して言えばかなり素直である。大人しく話を聞いているのは食べ物をくれると決まっている秀麗の言葉だからか、機嫌がよかったのか。その辺りの細かい事はさすがの楸瑛でも判断が付かなかった。

「それじゃァ1週間後、俺の邸で」
 だが間違いなく楽しそうな邑榛の声を聞けばどちらともを含んでいたのだろう、と思う。






 この日はコレで1度解散となった。







「……邑榛」
「何、絳攸」
 皆が去ってから気だるげに机へと伏せた邑榛の脇へと腰掛けて、絳攸は心配げに髪を梳いた。
 結ばれていない長い髪が指の間をすり抜けては落ちていく。
「具合はどうだ? 治ったか、邑榛」
「…ん、大丈夫、だよ。そんなに心配する事じゃねェし」
 それでも何時もからして見れば声は弱弱しくて、邑榛を相手にしているのではないような気にさせられる。いつもの邑榛ならこんなに弱った姿を無防備に見せないのにやはり今年は何かがおかしいのだ。
「…本当に大丈夫だから。そんな顔しなくても大丈夫だぜ、俺は、さ。ただ…多少時期がな、辛いなって」
 他の者には滅多に涙を見せない邑榛の涙を見るのにはすでに慣れてしまって、秀麗の涙を見たときよりはいくらか素直に眦に浮かんだ涙を拭ってやれた。
 ついでのように瞼に唇を落として前髪を掻き上げ梳いてやると、邑榛がくすぐったそうに首をひねる。
 大丈夫だといわれても、全く安心できる要素が無い。故に繰り返し濡れた瞼や前髪の生え際にキスを落とすのだが、邑榛にはソレがよく理解できないようだった。
「…絳攸、くすぐったい…」
「知らん。大体お前が悪いんだ、そんな顔してるから。そんな顔をして大丈夫なんて言葉、嘘でも吐くな。…確かに俺は黎深様や黄尚書や悠舜様と比べれば頼りないだろうがな、俺だって人並みに心配するんだ」
 くしゃくしゃと邑榛に負担がかからないように頭を撫でて。
「特に…邑榛が何時もの邑榛らしくないと不安になる」
「…本当に、大丈夫なのに。ただ―――あまりにも莫があの日の色に似ていて…」
「あの日?」


 つい、聞いてしまってから邑榛の顔を見て、絳攸は心の底から後悔した。


「……8年前の。王位争いが終結する2週間前の莫に…あまりにも似てるから。あの日、初めて俺の腕の中で人が死んだんだ」

 つぅ、と左目から一筋だけ涙を零す。袖を濡らして、湿った袖がまた机を濡らす。
「邑榛…」
「それまでも、身体が弱かった奴や体力が無い奴から段々死んでいったけど…狙ったように俺が席を外したすぐ後とかで…」
 自分の袖を濡らす邑榛の目を傷つけないように柔らかく袖で拭いてやる。滲んだ涙がそこの部分だけ、袖の色を濃くする。
「俺ね…、いっぱいいっぱい人が死んだ後は見たんだけど…、1回も遺言とか、聞いた事無かったんだ。最初の方は流す涙もあったけど、ソレも何日かすれば枯れて出なくなって。本当に沢山見たんだ、死ななくても良いような人が死んでいくところ」
「もう…」
 邑榛の顔が歪む。
 もう言わないで良い、なんて都合の良い言葉は邑榛の言葉に消された。
「うちの邸、絳攸来た事あったろ。憶えてるか…な、うち、家人とか1人も居なくてさ。俺が雇う気ないのと、あんまりあの邸に戻らないからなんだけど、近場の人が自分の家のついでにって掃除とか全部してくれてさ、成り立ってて」

 ―――邸が豪く広くて迷った事は、憶えている。あれは迷ったというよりは遭難した、に近かった。

「だからうちにはよく近場の人、沢山来てて。8年前―――どっかの糞野郎が自分だけが生き残る為だけに米の買占めとかしてた時も、来たんだ。俺、ろくに禄使ってなかったから塵が積もって結構あったし」
 あまり分からない。絳攸はその時すでに黎深に拾われていて、特にその時期は外に出させてもくれなかった。それが絳攸自身の為だと理解しているのだが、それでもこうして邑榛の話を聞くと自分がどれだけのうのうと楽に生きていたのかを知る。
 小さく唇を噛んだ。
「俺、女嫌いなんだけどね、その人は結構好きでさ」
 女嫌いがどれだけ酷いのかは、すでに「悪夢の国試組」の悪夢の1つにも数えられている。高官となった今ですらどこかの馬鹿が見合いの伺いでも入れれば、即刻、吏部は仕事をしなくなる。邑榛が入殿を拒否し、黎深はコレを機にと仕事を後回しにして、絳攸や吏部の猛者が1週間仕事漬け、徹夜漬けになったとしても終わらない量の仕事が数日で廊下にまで雪崩れ込む。
「最期にその人、言ったんだ」
 邑榛が無理矢理笑った。



「―――『邑榛様、ごめんなさいね』って」



 思わず涙が零れそうで奥歯を噛み締めた。
「『本当はもう少し我慢できれば良いのだけど、もう…駄目そうで、優しい貴方を苦しませてしまうのはとても忍びないわ』って。最期の最期まであの人も俺に『泣かないで』って言ってたよ」
 邑榛が無理矢理笑う。笑いたくも無いときに笑って、それが今にも泣き出しそうな顔で笑うから、
「謝るのはさ、こっちなのに。俺、官吏なのに朝廷が機能しなくなって、だけど俺だけじゃ元に戻せなくて。そんな時―――、邵可が戻ったって聞いたんだ。だから俺も後を追うようにして降りて。邸開放して少しの人は助かっても、沢山の人が死んだよ…。後半なんて人が死なない日はなかったな……」

 邑榛は今でも容易に思い出せた。―――先王が「病に伏せる」と言ったその日の事を。

 その日邑榛はいつも通り劉輝の元へと行って、泣いたのだ。
  『劉輝、人が沢山死ぬよ』
 そう言って泣いた自分を幼く理由も分かっていなかったであろう劉輝は慰めてくれた。そして邑榛が傍を離れ、自分が1人になる事を許してくれた。


「何のために生きるのかも分からない日々だった。親を亡くす子どもも、子を亡くす親も沢山いたのに、俺を責めないで。俺が官吏だって知ってるのにさ、亡骸抱いたまま『ありがとう』って言うんだよ」

  『ありがとう…ございました、邑榛様。この子と少しでも長く共に居られて良かった。…私はあの子にこの世に生まれてきた幸福を教えることができたでしょうか―――?』
  『お母さんがね、もう一緒にいられないって。お母さん、そう言って眠っちゃった。邑榛様がいるから寂しくないでしょう? って。―――…邑榛様、お母さんがね、「泣かないで」って言ってたよ。邑榛様、どこか痛いの?』

「親が死んだのに、俺の心配してくれるんだ…。いっそ詰ってくれれば楽になれたのに」
 あの時亡くなった人々は邑榛の邸のある離れ1棟すべてを使って眠っている。
 そこに1日だって花を絶やさないのは、残された親族たちと邑榛だ。

 ――――――あの出来事から、もう8年も経った。

 なのに今でもあの日の莫が思い出されてはこうして、気分が悪くなる。
 もう城下町に入ってくる食品が制限されることも、民草の与り知らぬところで人がゴロゴロと死ぬことは無い。
 それなのに、同じ莫の色、と云うだけでこんなにも。
「邑榛」
 絳攸は邑榛本人にも無意識のうちであろう、震える身体を抱きしめた。
「もう、今は劉輝様がちゃんと政に取り組み始めたから」
「知ってる。あの子はもう、俺を必要としないもの。俺が壊れやすいあの子を抱いて眠らなくても、寝れるようになったから」
 小さくコクリと頷いた。
 邑榛の身体からは力が抜けきり、支えている絳攸としてはかなり無理な体勢なのだが、絳攸には言えなかった。

 まだ莫の色は変わらない。
 邑榛の身体の震えも止まらない。

 横目で窓から覗いた莫の色はそろそろ変わるだろう。
 ―――そろそろ濃い藍に変わっていく。


 それまで、と絳攸は自分に何度も言い訳をしながら邑榛を抱きしめ続けた。

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