悠久の丘で
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彼の玩具――黎深

 邑榛と戻ってきてから養い子はおかしい。しなくても良いミスを何回も重ねるし、挙動不振で怪しいことこの上なかった。
 その原因であろう邑榛――だが黎深にはどちらが1番悪いのか理解できなかった――は豪く機嫌が良いし、絳攸はやたらと邑榛の方向を気にしている気がしてならないのだ。
「……邑榛」
「ん、何? 黎深」
 吏部に来たからには書簡の1つでも処理して行けと常日頃別の人間に言っているからか、邑榛も別段疑問に持つことなく山積みになった絳攸の書簡から幾つか抜いて筆を滑らせていた。
 言葉は返されるがこちらは向いてくれない。
 それに多少ムッとしながらも言葉を続けた。

「―――…絳攸と、何かあったのか?」

 するとどうだろう。邑榛は面白そうに書簡から視線を上げ、此方を真っ直ぐに瞳に映してテーブルに肘を付き首を傾げた。
「…珍しいね、黎深がそんな事云うなんて」
「それなら誰が言うというんだ? 心優しい私だって突っ込みたくなるくらい挙動不審じゃないか」
 おかげで私も仕事に手が付かないくらいだ。そう言ったら邑榛はそりゃ何時ものことじゃねェの、と笑った。
 何時ものことではない。なにせ私があの洟垂れ小僧のように料紙に落書きするくらいだからな。
「でも知ってる? 邵可の事とか話す時の黎深の方がよっぽど挙動不審だぜ? 鳳珠がよく付き合ってくれるよな」
「あやつは暇だからだ」
「そうでもないって。いい子の黎深なら知ってるだろ? 鳳珠、結構仕事捌くの上手いしそいつが出来る仕事分めい一杯振るから人使い荒いって言われてるけど、鳳珠と柚梨が一番仕事してるって。あいつは自分がしてる以上の仕事、人には振らないもんな」
 そんなことは知っている。もう逢ってから10年以上も経っているのだから、気づいていないわけがないだろう。

「…そう云えば邑榛」
 多少話題が苦しくなってきたので逃げることにした。
「なに、黎深」
 意図的に話題を変えたことに気づいていても邑榛は特に何も云わなかった。ただ、笑みを濃くしただけで続きを促してくれる邑榛に私はいったい何十回救われたことか。
「…最近噂になっていることを知っているか?」
「………噂? 俺、結構出歩いてるけど黎深が面白がるような噂は聞いてないなァ」
 まァ、噂というものは往々にして本人の耳に入るのは最後というからな。私は1つ、咳払いをした。
「今下官の間で噂になっている官吏がいる」
「へェ? 誰かな、まさか絳攸だとか、言わないよな? 絳攸はもうずいぶん前から有名だし、若いのに出世頭だから夜安心して寝られないってぼやいてたけど」
「違う」
「楸瑛でもないだろ?」
「藍家の餓鬼なら私が口にするとでも思うか?」
「思わないね。だって黎深は雪くんたちのこと、未だに嫌ってるもんね」
「あれとは理解しあえないんだ、邑榛。仮令この世が破滅に陥ってアレらと私しかいなくなってもだ」
 云えば邑榛は控えめに笑った。
「それで? 吏部尚書殿の関心に触れた噂ってのは何だった?」
 笑う。唇を歪める程度だけど、それでも邑榛は理解しているはずだ。
「下官の噂の的だと。とても見目麗しい、此処が朝廷でなければ女人と見間違うほどの中性的な美貌の人物だそうだ。名を知らぬといってあいつらは勝手に『玲瓏様』と呼んでいる」
「ふうん」
 この朝廷で噂されるほどの美貌の持ち主は数えられるほどしかいないのだが、禁忌となっている鳳珠でないことは確かだろう。アレ以来、あいつは人前で決して仮面をはずそうとはしないから。
「なんでも『玲瓏様』に逢えるのは夜更けだけらしい。薄い衣一枚だけを羽織って、どこか熱にうなされたような熱っぽい視線と少し上気した頬が鮮やかで、夜目にも艶やかな男だと」
「…………へェ」
「声は少し掠れ、だけれども凛としていて、」
 持っていた筆を置き、立ち上がって邑榛に近づけば邑榛は不思議そうな表情で見上げていた。
「―――まるでお前のようだと、そう、話していた」
 後ろからそっと抱きしめる。
「………黎深…」
「あまり私を心配させないでくれ、邑榛。お前が家に帰らず城に留まって夜をすごしていると聞いただけで私は心配だ」
「大丈夫、だけどなァ」
「お前は可愛くて綺麗で童顔なんだから何処の馬の骨とも知れん奴に襲われたらどうする」
「襲われないよ、そんなに俺は無防備に見えるか? ………つか、もう三十路越えたおじさんなんだけど…」
 目の前の、黎深より幾らか歳の上の邑榛を見ても誰も三十路過ぎには見えないだろうと思う。某元第2公子もそうだが恐るべき若作りで、年齢を知っていても今の洟垂れ小僧と同じくらいの年頃にしか見えない。
 黎深が見下ろした邑榛の官服の合間からちらりと垣間見えた紅い痕が無防備だと雄弁に物語る。黎深は袷から手を差し込みその痕を押さえた。
「こんなものをつけておいて、言える事か?」
「こんなもの…?」
 邑榛はわからない、と言いたげに首をかしげていたがその場所と黎深の表情からか何かを悟ったらしい。
「―――…ぁッ! あの馬鹿…痕付けるなって言ったのに…」
 小さく悲鳴のように聞こえた邑榛の言葉に、黎深は笑った。
「邑榛―――…? どういうことなのか、説明しろ」
「れ、…黎深…? なんかちょっとだけ怖いんだけど…?」

「何処の馬の骨にそんな痕を付けられた? 私が抹殺してきてあげよう」
 その書簡、府庫へ返してきてあげよう、と同等くらいの軽さで言われた黎深の申し出に邑榛は流石に苦笑を浮かべる。

 これでも随分他人を気にかけるようになったし、言わずに実行する癖もどうにか柔らかくなったのだけど、やはり黎深は黎深だったようだ。―――…それでも、以前はそういった心配りは実兄にしかなされなかった事を考えれば大した進歩のようだが。
 邑榛は迷っていた。
 果たして素直に相手の名を口にするべきか否か。
 口にすれば最期、彼は塵となってしまうかもしれない、という部分を踏まえると、やはり口を噤んでいた方が良いような気がするのだが…。
「邑榛、私に隠し事かね?」
 黎深の口調が段々と言い逃れ出来ない硬さを含んでくる。
「そういう訳じゃ…」
「ならどういう訳だ」
 黎深は笑みを浮かべたまま何故か邑榛の体を軽々と持ち上げ机の上に置いた。
 そして、トンッと軽く押される。
「………………黎深ッ!?」
「邑榛、私はいつも言っているだろう? 私はお前のことが好きだと」
「お前には…百合姫がいる………!」
「―――なら…、邑榛、お前も私の妻になるか?」
 押し倒されて、こんなに焦ったのは久しぶりだ。もう何年も何年も経つのに。黎深のそんなに熱くない手が手首を押さえ、いつもきっちりと纏めているはずの髪が流れてきて鼻をくすぐった。
「――――――黎深、」

 久しぶりだ、友のこんな顔を見るのは。
 なんで泣きそうなんだろうな、お前は本当に。
 本当に養い子にそっくりだよ。

「黎深、俺は別に良いンだけど…百合姫が嫌がると思うぜ?」
「…………っぐ、」
「な? お前もそう思うだろ?」
 何せ百合姫は物事をはっきりと言う人だから。


 ――――――そして、鳳珠と黎深が愛した人。
 彼女はとても強い。


「…それでも、」
 邑榛がそんなことするよりは…、と思いつめたような目で見られて後悔する。
 いつの間にか友にこんなにも心配をかけたようだ。
 人一倍素直になれなくて、だけれども心優しい青年に。
「…黎深…」
 なんとなく心が温かくなる。心配してくれているらしい友人の顔は何故か泣きそうで、そういえばこんな顔を何年も前に見たことがある。
 それは確か………彼の愛する兄の、いつでも強い色を宿していた彼女が、

「邑榛、私は本当に心配しているんだ」
 知っている。だって優しいから、いらぬ事まで抱きこもうとするから、目が離せなかったのだ。
「新人官吏だった時も、邑榛と悠瞬2人だけで歩かせて置くと怖くて…」
 その実、悠瞬も邑榛もきっちりお返しはしていたのだが黎深も鳳珠も知りようがない。
「男に、襲われた時は心臓が止まったかと思った」
 どちらかといえば激昂した黎深を止めるほうに骨が折れた。

「………別にあいつは未遂だったし」
「未遂だったからと、いつでもお前を襲えるなどと思い違いをされては困るッ」
 黎深は強く言ったが、その言葉につい邑榛は笑ってしまった。
 いつも全力で心配してくれるとは邵可の言い分だが、確かにそうだと思う。黎深だけじゃなく、鳳珠も飛翔も文仲いつも全力で心配してくれるから邑榛には少しむず痒くもあるのだが―――…。
「大体あの程度の男が邑榛に近寄るなど言語道断! 許せるわけが無いだろう」
「……随分まァ自信満々に言い切ってくれちゃったね…」
 この友は邵可に関することに関しては頭の螺子が1本だけでなくほとんど全部外れてしまっているようなのだが、自分にたいしても何本か外れている節があるらしい。


 だがそれが悲しいわけでも気色悪いわけでもない邑榛は多少、悩んでいた。
 いつか無限に注がれる愛情がすべてなくなってしまったら、自分は元に戻ってしまうだろう。それが怖い、とそんな馬鹿げた言葉を口に出来るほど阿呆になったつもりはないが、それでも―――…、


「俺にそんな価値はないのに」
 まっすぐ見れば黎深とその奥に見える天井。
「私にとってはあるんだ」
「ないよ。俺は黎深に守ってもらうような奴ではないからね」
「――――――…邑榛…」
「…あー、あァ馬鹿、黎深泣かなくたっていいじゃないか」
 ぽたりと落ちた水粒にぎょっとして黎深の頬を撫でる。
「…泣いて、ない………」
「なに馬鹿なこと言ってるんだよ、黎深。がっつり泣いてるぞ」
 ぼろぼろと零れてくる涙もかつて寝食を共にしていた時と変わらない。そうは言っても矜持の高い黎深だから眼に見えるように泣いてくれることなど皆無で、なのに機嫌が悪くなるから焦ったものだ。
「…あァ、黎深ごめん。もうそんな事言わないから」
「邑榛…」
「ごめん、ごめんね…? 黎深を泣かせるつもりは無かったんだ」
 腕を真上に伸ばして黎深の頭を抱き寄せる。服をしっとりと濡らす粒を布を吸っているのを悟って、黎深の瞼に口付けた。
 何回も何回も啄ばむより優しく口付ける。

「ごめん、もう2度と言わないから」
 黎深をまっすぐに見て言って。彼の淡い茶の眼が更に紅に染まっている気がする、黎深の目元を軽く拭ってやった。
 彼の兄も弟も綺麗な紅玉のような眼を持っているが、1人だけ黄色が強い黎深の瞳も綺麗だ。静かに泣くから尚更綺麗で、泣いたままになんてしておけない。
「黎深…? まだ泣いてる?」
「―――…いや、」
「そう、良かった」
 それは本心だったから抱いた黎深の頭を幾度か名残惜しく撫でて、離す。

「―――黎深、もう、髪長くなっちゃったな」
「百合が帰ってこないからな」
「あれ、百合姫まだお前の尻拭いしてるの」
 ちょっと意外だった。
 あの、先王をも巻き込んだ妓女身請け合戦は見物で、その折に出した黎深が描いた百合筆跡の手紙は、まだ鳳珠の心の傷を抉ったままだ。
 そして、要らぬ心配をしていた小さいころの絳攸は可愛かった。

 当事者ではないから、今でも邑榛は笑える。
 少しだけ関わっていた悠舜などは心を大きく痛めたらしいが、それでも黎深が相手ならああいう形に落ち着くことが決まっていたのだ。
 だって、紅家の兄弟がすべて黎深への嫁へと望んだ百合姫だ。易々と鳳珠にあげてしまったら、黎深の代わりに絳攸をまともな人間に育て上げる人間はいなかった。


「黎深、いい加減あきらめて琵琶でも弾いてあげるから髪切ってくれって手紙でも出せば?」
「むう」
 そんな風に、今でもこの黎深を悩ませられるのはおそらく百合姫だけ。
 なぜなら黎深は百合で人付き合いを覚えてきた。だから、百合に見捨てられるわけにはいかないと、思わぬところでセーブがかかるらしい。
 それに気付いている邑榛は笑ってしまう。


「黎深、俺、久しぶりに百合姫のおにぎりが食べたいなぁ」


 こう言えば、この親友は遠くない未来に呼び戻してくれるだろう。
 それを知っていて、邑榛は笑いながら言った。

 『髪が伸びた。すぐに切りに戻れ』
 なんていう、不器用極まりない手が身を受け取って、百合が貴陽に戻ってくるのは、あと少し。

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