悠久の丘で
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彼の玩具――絳攸
李絳攸と言えば一部に広がる常識として絶対なる方向音痴。自宅ですら彼にしてみれば容易に迷う事が出来るのだから朝廷にあがればどうなることか、重々に理解できていたはずなのに、彼はまた迷っていた。
「…此処は何処だ?」
そんな間抜けな声を発して。彼の養い親である紅黎深は勉学については多少享受してもその生まれ持った癖についての打開策は特に教えていなかった。
こんな時常ならば爽やかな笑顔で嘘を吐く悪友がたいていは出てきて救ってくれるのだが、残念なことに藍楸瑛は本日、珍しく武官として下官の稽古をつける日であった。
日の高さを見ればまだ帰ってくる時間などではない。
絳攸は迷っていた。
恥を忍んでまで人に道を聞くか。
紅尚書の未処理書簡に骨を埋めるか。
馬鹿馬鹿しいと思われていようが絳攸にとっては今人生最大の迷いであった。
しかしその時―――…、
「―――…ン、あれ絳攸じゃんか。さてはまた迷ったか?」
背後から声が聞こえて絳攸は心臓が口から飛び出すのでは、と云うくらい驚いた。
「な…ばっ、邑榛!?」
「おお、驚いてるトコ悪いがお前の言う通り邑榛樣だ。ンで? やっぱり日課の迷子か?」
「日課と云うな!」
「日課のくせに何言ってる」
そう云って邑榛はケタリケタリと笑った。歳を感じさせない張りのある肌、艶やかな唇、伸びやかな四肢…そして煌く剣のような鋭さを持った紅い目。今は結いあげているが解けば劉輝と同等までの長さを誇る絹糸は射干玉。
こんな顔して実は『悪夢の国試組』揚がりなのだから信じられない。こうして笑っている姿だけ見れば十分王と同じ歳だと言っても疑わないと云うのに。
「……邑榛」
「何? あ、鳳珠の仕事なら済ませて来たぞ」
……彼の黄尚書を呼び捨てる事が許される数少ない人物であり、
「違う」
「後は絳攸が心配するような事……ぁ、黎深にはちゃんと飯喰わせて来た」
「―――…違う」
そして紅黎深に言う事を聞かせられる稀少種でもある。
だが、放っておけば飯は食うだろうが仕事はしない養父に仕事をさせてきたらしい邑榛に、絳攸の頬も多少は下がると云うもので。
「絳攸、俺に何か言うことは?」
それを悟ったらしい邑榛は意地悪く笑った。
「…助かった」
「よし、いい子」
官位は決して低い訳ではない。絳攸よりは一応、上となるのだろうか、邑榛の官位はあまりにも曖昧すぎた。
邑榛の官位は侍郎。
それだけなら絳攸の方が官位は上だったが、彼の官位はそれのみではなかった。
―――…紅尚書、黄尚書代理。
それ故の、異例の正三品上、御史台の長官や門下省の次官と同格である。
戸部と吏部、両部の尚書の権限と同格のソレを持っていて、黎深のように仕事を必要以上に溜めまくる尚書の仕事を肩代わりする為に特別処置として与えられた権限であるが、そんなものは未だかつて彩雲国に存在すらしたことがない。
それ故に邑榛の官位は余りにも曖昧すぎた。他にも黄尚書の仮面の下や養父の欲しいままにしている七不思議の一端をも担っているのだから意味分からない。
そして名誉職にある朝廷三師3名を遠慮なく名で呼び捨てる所もおかしい箇所だ。
絳攸は溜め息を吐いた。
「…………………子ども扱いするな」
そんな邑榛に乱雑な口を利けるのは単に邑榛の心が広いからで、只でさえ黎深は絳攸に、秀麗に逢いに行った時と同じ様な反応を示す。
「だって子どもじゃねェか。俺、黎深より歳上だし」
その容姿で本当に驚きである。子ども扱いされるのは嫌いなのだが、邑榛にされると案外素直に聞き分けられるのは人柄の一言に尽きるだろう。
「絳攸も年齢以上に大人にならなくて良いんだぜ? 黎深は恥ずかしがり屋だからそんな事言えないけどさ。あー…俺で役不足なら邵可も多分言ってくれるよ」
「………邵可様、が…?」
養父をあっさりと恥ずかしがり屋と称したその言葉は無視しておく。でなければ脳が大きな音をたてて破裂しかねなかった。秀麗とは異なりあの黎深の性格を重々に理解しながらも、そう、言えるなんて官吏として最強である。邵可様に並べるくらい偉大である。
「うん。邵可、府庫に籠ってる日が多いからお茶でもしに行くと良いよ」
そうすれば気分転換にもなるだろ、お互いに。と言われれば無下にも出来なくて―――すれば絳攸が黎深にいびられる―――絳攸は2、3度頷いておいた。
「…しかしそんな事で邵可様のお手を煩わせるのは…」
言えば奇妙な顔をされた。
「―――…うーん、やっぱりそんな性格形成功労者は黎深で良いのかな? だけど元々の性格も関与してるだろうなァ」
拾われたのは多少大きくなってからだったよな? と問われて頷く。
拾われた事を隠しはしない。なぜなら黎深に拾われた日こそ絳攸が生きることを許された日であり、黎深こそが絳攸の生きる意味だからだ。
人生の大問題をあの人の一存で決めてしまっていいのかと悩めるほど生易しい刷り込みを受けてきたわけではない絳攸は首を傾げる。
拾われたほうにとって、拾ってくれた者は自分の何よりも大きく感じる、と唇を噛んで語った彼がどんなことを思っていたのか邑榛にはわからない。
「絳攸の今後の課題はどうやって人に甘えるか、だな」
だから邑榛は笑む。こればっかりは周りに慣れるまで優しさを注ぎ込むしか改善方法はないだろうし、そして悪友が、絳攸の養い親がそれについて全く考えていないと軽々しく思えるほど邑榛は黎深と浅い付き合いをしてきたわけでもない。
なにせ仮面をつけていない鳳珠の両隣の部屋で国試を受けてきた、人呼んで『悪夢の国試組』だ。それに邑榛自身いろいろと思う所はあって彼で遊んでいたのだが、彼のあれほど深刻そうな顔は後にも先にも見れないだろうと脳の端で思ったほどだった。
絳攸を拾った理由がどれだけ馬鹿げていようとも、その後彼へ向けた愛情は黎深特有のものであることは疑いようが無い。彼の心優しい妻が絳攸を真っ直ぐに育てたのだと専らの噂であっても、同期の何人かは少なくとも彼の不器用すぎる愛情を無下に否定したりなんかしない。
彼が愛情を器用に表したり出来ない事を同期となった瞬間から知り尽くしているから。
「お前は俺らからしてみりゃ十分子どもなんだから甘えることを覚えておいたほうがいいぜ? 勿論甘えすぎの洟垂れ小僧とか自分が持ってもいない権力をかざしてアホな事してるお貴族様のボンボンに成り下がれとは言わないけどな」
邑榛が自分に向ける言葉に嘘など微塵も混じっていない。ソレを知っているから、絳攸はなんとなく、胸に湧き上がってきた感情に胸に手を当てた。
「絳攸、お前は良い子だよ。俺からしてみりゃもっと頼って欲しいくらいだけどな」
頭を宥めるように撫でられて、養父より僅かに小さいくらいしか身長のない邑榛に撫でられると背骨がミシミシ悲鳴を上げそうだった。
だが―――、絳攸は明確ではない思いではあるが、嬉しいと、ソレに似たような感情が沸き起こった事を知る。
「…邑榛………」
「なに、可愛い子」
「……そういうことを朝廷で言わないでくれ…」
「あら―――…」
邑榛が面白そうに口元に手を当てた。
その表情を見て思う。
邑榛も仮面着用を許されれば良いんだ、と。
表情で、言葉で、こんなにも簡単に涙腺を揺るがされているなんて「鉄壁の理性」形無しだ、と。
あぁ―――…なんて、
「泣いちゃいそうなわけ? 絳攸可愛いなァ」
僅かに俯いた顔の輪郭をなぞる様に頬に手を添えられる。言った表情すら絳攸にだって理解できるほど「愛情」で溢れていて、いくら人通りが少ないとは言え朝廷の廊下の一角で行うには不埒すぎる行為に及びそうになる。
自分はあの昏王ではないのだからせめて理性で抑えなければ、と脳の端で盛大に警鐘のようなものが鳴っていて、
「……絳攸にしては珍しく積極的だね」
だけれどもつい、抱きしめてしまった。
「―――…っ」
「絳攸も男の子だったって事で俺は納得して良いのかな?」
クスクスと腕の中で笑っている。
「よくよく考えれば黎深にもされたこと無いような恰好だね、俺様。なァ俺誰にも聞いた事なかったんだけど聞いて良い?」
心の底から楽しむような声で告げられて、一気に血の気が失せていく。
だが質問があるように言葉尻をつなげたから固まってしまったような手を必死に動かし、とりあえず左手は腰に回してもう片方は肩の辺りに回した。
悪友、藍楸瑛が見れば口笛を吹いて及第点をくれそうだった。
「―――…なん、だ?」
声が掠れる。やましい事をしているからか、喉の水分はすっかり飛んでしまったようで、だけれども鼻先にふわりと邑榛の匂いが香って頭がクラクラする。
「俺、別段こういう事されるのって珍しくないんだけどさ。俺に手ェ出して、ちなみにどんなトコが楽しいのかね?」
心の底から疑問に思っているらしく、頭を―――しかも後頭部をぶん殴られたような衝撃が走った。
「な―――――…ッ」
腕の中の邑榛に視線を落とす。
「絳攸は? 俺、正直絳攸よりは10以上歳上なんだけど、お前から見てもなんかこう…クるようなもんってあんのか?」
溢れ出しそうな泪なんて、もうどこかに引っ込んだ。
「……邑榛?」
「なに、絳攸」
本人は至って平然としている。
「………あー…、楽しい?」
「うん、そう。まァ相手たちにもプライバシーとか嫁とかいるから名前は特に口に出さないけど」
「………え、と、俺は邑榛の歳も知っているし、綺麗だと思うし男の物に比べれば…」
例えば自分のような文官と比べても、
「…あー、線も細いし」
じっと見上げてくるその瞳に居た堪れなくなってつい、と視線を反らした。
喉がカラカラする。水が欲しい、少量でも良いから―――…
「…絳攸、可愛い…」
頭はぐらぐらしていたがそれでも感覚は何とか生きていたようで、艶っぽく言われて頭の後ろを押さえられ、唇に触れた柔らかいものが何だか分からなかった時間なんて、正直言えば、1秒も無かった。
「………っ、…ん」
初めてだ何ていうつもりは無いが、それでも此処まで相手に蹂躙されたのは初めてである。そして、真面目な絳攸の性格から相手を蹂躙したことなど無いだろう、と云うことも経験値の多い邑榛には手に取るように分かっていて。
半ば呆然とした面持ちの親友の養い子から唾液を半分頂き飲み下して、相手にも同じように飲ませてやった。
そして若いなァ、と笑う。
鳳珠だって黎深だって玖琅だって雪那だって劉輝だって静蘭だって、そして今は遠く離れた悠舜だって燕青だってこんなに可愛らしい反応を返してくれたことは無い。
―――…いや、玖琅は多少、似ているだろうか。でもアイツ、2回目からは随分積極的に攻めてきたしなァ。
楸瑛に手を出すのはまだ危なそうだ、と内心危惧している邑榛としてはぱっと思い浮かんだ者こそ名の覚えている限りの相手である。
思い返せばこれ以上の相手を越えてきているわけだがあまり記憶に残っていない。柚梨には手を出したことなど無いし、彼自身も邑榛のそんな一面を恐らく知らないだろう。
唾液を嚥下した時にごくりと動いた喉仏の動きを食い入るように見つめている絳攸を見ると、遊びすぎたかな? と多少の心配も生まれるのだが、邑榛自身、絳攸のことはかなり気に入っていたので否定は口にしなかった。
「絳攸?」
「――――――…」
瞳が空を見ている。
「絳攸」
「―――――……………ッ、邑榛!」
反応がやけに大仰で初心なその反応がやはり可愛かった。
腰に直接クるようなキスはしていないけど、若い官吏ならどうかな、と頭の端でチラリと下世話なことを考えた。只でさえ黎深に扱使われているのだからプライベートの時間など殆ど残ってないのかもしれない。
そしたら楽しいな、程度のことしか考えていない邑榛はやはり笑っていた。
「なに、絳攸」
「……っ、ぐ」
絳攸はこういった切羽詰った場面でも1番に出てくるのはやはり常識だったか、と邑榛は内心感心していたのだが、いかんせん抱きしめられていたために相手の状態は恐らく相手より冷静に察しているはずだ。
「―――ね、絳攸。ちょっと寄り道していこうか。ちゃんと帰りは吏部まで送り届けてあげるし黎深にも口利きしてあげるから、それ、どうにかしような」
絳攸は、頭がやられてしまったのではないかと邑榛が心配するくらいに真っ赤に顔を染め、だが首を左右に振ることも敵わずに大人しく邑榛に手を引かれて姿を消した。
*
その後李侍郎が邑榛を伴って吏部に帰り着いたのは絳攸が吏部を出てから五刻ほど過ぎてからで、訝しげな紅尚書をいつもの方法で黙らせた邑榛は大笑いしながらその日、定時になるまで吏部に居座り続けたという―――。
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