悠久の丘で
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生まれ来る年に 上

「―――…ねぇ、邵可」
 うん?と優しい目で此方を見た、歳が一番上の主人を俺は呆れた目で見る。
「此処、何処だ…?」
 ―――俺の知る限り、此処は紅州ではない。
「うん、此処かい?此処は藍州だよ」
 のほほんとそんな事を言い切った邵可を、俺はどうするべきなのだろう。

 藍州って…、藍州って…!

 きっと邵可はそのまま連れて行く。俺が此処で帰りたいと喚いても、きっと邵可は気付かない。だから、俺は此処で騒ぐのは得策ではない。俺にとって得策なのは、帰ってからひたすら黎深に謝ることだ。ああ、確か明日は黎深と玖琅と遠乗りに出かけるはずだったのに。
 ああもう、本当に「世界の中心は俺」な兄弟なんだから。
 いい子は玖琅くらいだ。本当に邵可と黎深は似ている。邵可だって、そうと見えないだけで、かなり我侭だ。もしかしたら、露見してないだけで邵可の方が我侭かもしれない。
 はぁ、とため息を吐いた。
「………この時期に此処に来た理由はあれか、藍家の三つ子か」
「うん。雪那くんたちにね、挨拶に」
「だろうな。こんなくそ寒い時期に水の都に来る理由はそれくらいだ。氷は出来てるし、船は進まないし!」
 ああ寒い、と腕を擦った。せめて邵可が俺を連れてくる前に行き先を教えてくれればもう少し厚着をしてきたのに。お陰で俺は紅家で着ている分と、ほとんど変わらないくらいしか着ていない。

 ああ寒い。

 ちらりと邵可を見たら、こいつは普通だった。
 ああもう、俺は普通の人間なのに、どうしてこんな寒いのかなァ。
 邵可はかなり面倒くさがりだから、きっとこれでは問題の藍家に着くまで俺はこのままだろう。
 ああ寒い。俺が凍らないといい。
 手がかじかんでいる。もう指が満足に動かないのだが、ああ、どうしよう。
俺のせいで藍家と紅家に亀裂なんか入ったら。俺のせいで、なんてことは俺が藍家当主に刃を向けたとか、そんな事をしない限り、邵可に迷惑はかからないと思うが。
 唯でさえ、今の藍家当主は稀代のプレイボーイらしい、と遠く離れた紅州にまでその噂は轟く。
 その噂が伊達ではないのならば、心は少なからず広いだろう。アレだけ妻を娶っていて、心が狭い男がプレイボーイだなんて笑わせるなと言いたい。

 そんな不遜なことを考えていたら、邵可が肩を叩いた。
「―――ン、何?」
「もう少しで着くよ、邑榛」
「は…? 幾らなんでも早い…」
 言葉を紡いだ俺の目の前に、現れた「双龍蓮泉」。紛れも無い藍家の紋。
「あはは、今日は彼らが貸してくれたからねェ」
 邵可が未来の藍家当主から借りたという船、なんと言う名前だかは忘れたが―――…それのお陰で藍家本拠地、湖海城が目の前だ。本当に、この州は贅沢だと思う。紅州も言えたほどではないが、それでも、此処よりはマシな気がしてくる。
「着いたら、邑榛は少し待っててね。部屋を貸してくれるらしいから」
「―――…おう」
 何がなんだか、よく分からない。
 滅多に帰ってこなくて、珍しく帰ってきたと思ったら、こうだ。
 風の噂で、邵可は豪く三つ子に気に入られる言うらしいから、別段彼の心配はしていないのだけど、自分の身はどうなるのか分からないのだと、冷たい藍州の空気を肺に溜めた。

 あーあ、本当に、どうして俺は此処にいんのかなぁ―――…。



   *



 結果から言えば、確かに俺に部屋は与えられた。
 おそらく邵可が新年の挨拶をしている間に、とあてがわれた部屋は広くもなく狭くもなく丁度良くて、ただ1つ問題があるとすれば出された料理のみとなる。
「――――――ううむ」
 そして、欲を言えば、この、意味の分からない来客はやめて欲しい。いい加減相手をするのにも飽きてしまった。

 ぐるりと首を巡らせれば脚。
 白目を剥いて倒れるくらいなら、最初から来ないでくれ。

 無用物となった人間が転がる座敷は、最初と比べればいささか狭くなってしまった。本当に、手を抜いて2流、3流を使われたらしい。少し心外だ。俺ごときに黎深や邵可達用の1流を使えなんて言わない、だけど、これはどうにかならなかったのか?
 流石に10歳の子どもに伸される隠密なんて、飼っているほうが恥だぞ。

 出された料理は満遍なく毒入りで、
 給仕や来客は刺客。

 こんなに退屈はしない年初めは久しぶりだ。拾われて1年くらいは毎日が刺激的だったから、それを思い返せばなんとも思わないのだけど。
 あそこは確かに懐なだけあって、邵可もいなかったことだし上手くすれば玖琅や黎深から1ヶ月は隠し通せただろう。
 だけど、此処では無理だ。

 ――――邵可がいる。

 それでも此処でこんなお客さんが来るのは、確実に仕留められるからだと思っていたのだが、案外送られてくる刺客は脳が足りないようだ。
 たかが5年。俺が紅家に拾われて。そして、心優しい親戚の奴らからの予行練習もあって、実際に鍛えられたのは1年と少し。最近では黎深も早く気がつくようになったため、毒ごと料理を食らって身体を慣らすことは出来なくなってしまったが、それでも1年と少しでかなりの量の毒は身体が覚えた。

 そんな俺に、たかが料理に混ぜたくらいで毒を出すなんて。
 食ったって大して影響はないから、確実に身体に抗体が出来ている毒の料理のみすべて食べた。匂いが似ているが少しでも混じっているものが違うものは舌の上で吟味した後諦めた。


「ううん、何故だ、ちっとも面白くないぞ」
 これならば、紅家の正月のほうが面白かったかもしれない。
 邵可の、心配はしなかった。俺に毒を教えたのは邵可だから、毒で殺られることは皆無で、アイツは仮にも紅家の第1子。こんな所で死んだら、藍家はつぶれる。本家に残っている黎深が、潰す。



 ――――――その時、襖が開いた。



「―――おや、」
 入ってきた男は跣だった。馬鹿だと思った、此処はこんなにも寒いのに。
「…それは、どうしたのかな?」
「あ―――…、」
 その物言いで藍家の者だとわかった。喋る時に訛りがない。かなり身分も高いだろうと思う。
「残念ながら、私は存じ上げません。どうやら私へ訪ねてきたようだったが何か申される前にこんな事に」
 勿論、半分以上の嘘が混じっている。

 何か申されると、彼らは一様に俺に「紅家の者か」と聞いてきた。答える前に切りかかってきては元も子もないだろうに。

「へェ…? 下がらせよう、待っていてくれ」
「別にかまいませんよ、起きるまで看病でもして差し上げるべきだろう」
 俺は間違っても何もしていないが。ただ―――…、中には肌からも吸収できるような毒を盛って来た者も痛みたいだから、この部屋から出した方が良いことには、良いが。でも、自業自得だろう。
「ですが…、そうですね。特に目の下に紫色の隈が出来ているものは別室に移して、水を差し上げた方がよろしいかもしれない」
 男は笑った。
「わかった、人を呼ぼう。待っていただいてよろしいか?」
「ええ、私に当ててくださった部屋は此処のみ―――。主人も戻っては居らぬ故、部屋を離れるわけにもいきませんから」
 男を見れば大方の育ちは分かるが、果たしてどれなのかが分からなかった。
 藍家の第1子か、第4子か。5子ということはないだろう、あれはまだ幼かったはずだ。確か記憶によれば4子は俺と同じ歳のはずだが、俺は標準より発育が遅い。自分を基準にしてなど考えることは出来ない。
 1子から3子は同じ歳。3人揃っても見分けがつかないほど似ているらしい。邵可は面白そうに言っていた。

 まだ1人目では誰だかわからない。

 ふむ、と記憶する。
 出て行った男を見送って俺は面白くなってきた新年に微笑む。



 ああ、邵可が俺を此処に連れてきた理由は、これかな――――…?

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