悠久の丘で
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花茶
「百合ちゃん」もしくは「譲葉」。何時だって、そう明るく呼んでくれた子どもを、百合は遠く離れると良く思い出す。
きっとまだ彼の元にいてくれる。
自分がそうであるように、ある意味あの子どもも息子である所のコウも紅家からは逃げられない。
だけれども百合は前ほど紅家から逃げ出そうと思わなくなった。
それは、紛れも無く自己中心的に世界をまわし、当主となった今も自分に仕事のほとんどを押し付けている人間が、コウを拾ってきたあたりに自覚した、そんな小さなことが原因だ。
*
「百合ちゃん」
そうやって、ずっと昔から彼は自分を呼ぶ。
「どうした?」
それに、自分はいつもいつも笑って返す。
「お仕事お疲れ様。お茶でもどう?」
持っていた盆を目線まで引き上げて、彼は笑う。
初めて会ったときから、彼は少し価値観がおかしかった。
そして、そのおかしさは確実に自分から受け継ぎ、ソレはたしかにコウへと受け継がれている。
「いいね、邑榛がいれてくれるのか?」
「勿論。俺は黎深みたいなことはしねェよ? あいつ、もうお茶も入れられるようになったんだぜ」
「へェ…、それはぼくも興味があるな。邵可様のお茶とどっちが不味い?」
そう聞いてしまう限り、自分は邵可のお茶が苦手なのだ。包み隠せるような性格ではなかったから、うっかり感想を言って邵可を面食らわせかけることもあった。
そういう時は毎回黎深や玖琅や邑榛が場を取り直してくれたのだけど。
「はは、邵可のは漢方がたくさん入ってるから。黎深の葉普通の味のお茶だよ」
邑榛は盆を机へと置いて、窓から見える李に視線を移し微笑んだ。
「――――――黎深は、ずっと、素直じゃないね」
「ああ、あいつが素直になったらこの世が終わっちゃうかもしれない」
李の花は、黎深がもっとも好きな花だ。
だけど、黎深は好きだからこそ、屋敷に李は植えなかった。 きっとそれは、邑榛が彼に見つからないように根が付いてしまうまで李を隠しておかなければ、まだ続いているはずのことだった。
邑榛は、あの兄弟にはとっておきだった。
あの、寂しがりな癖にちっともソレを表へとは出さないあの3兄弟のそばにずっといてやることは、百合も邵可も無理だった。
百合には誰かが処理しなければならない仕事が、邵可には自分の「御伽噺」を守るという使命があった。
黎深は自分の感情を表にだれるような子ではなかったし、彼も玖琅も小さいころから自分たちの行く末を凡そのところ、理解していたから。
だからこそ、邑榛は適当だった。
「邑榛」
「なに?」
彼のこの柔らかい笑みは、今でもあの兄弟に等しく分けられていて。
なれた手つきで茶を淹れる邑榛の様子を眺めながら百合は微笑ましくなって笑った。
「邑榛は黎深たちが大好きだろう?」
「ああ、大好きだよ」
臆面も無く言い切る。それは邑榛の強さだ。
誰か1人に愛情が偏るのではなく、コウも含めた4人に等しく愛情を注ぐように、邑榛は無意識のうちに制御している。
だから、邑榛はいつも忙しそうだ。
「ずっとずっといてくれるでしょう」
「当たり前だろ」
邑榛は等しく3人の手を借りてこの毒蛇の住まう家に腰を下ろすことになった。
見つけたのは玖琅
拾ったのは邵可で
育てたのは黎深
そのせいで、やっかみ半分の言葉も多く聞くけれど、未だに「見玖」「拾可」「黎育」と嘲るように呼び笑う者も、紅本家や朝廷に時折訪れる時に存在するらしいと黎深からも聞いているけれど。
だけど邑榛は大して気にしたようなそぶりも見せないのだそうだ。
コウも苦笑いしていた。
「あれでは邑榛がまいってしまいます」なんて、つい先ほど珍しく帰ってこれたらしい息子は顔をしかめていた。
コウを拾ってすぐ、夜、コウのことを邑榛に任せて百合は嫁探しに行っていたから、今でもコウにとって邑榛は親代わりのようなお兄ちゃんらしい。
邑榛のことを話すときのコウは、黎深のときと同じくらい幸せそうな顔をするから、よっぽど黎深1人にコウを頼むより安心している。
「初めて会ったときはあんなに小さかったのに」
「今もそんなに大きくないけど、百合ちゃんよりは大きくなったな」
こと、と小さな茶器をおく音がして、暖かそうな湯気を発する茶器が目の前に移動する。
「―――…あれ。珍しいね、花茶?」
「そう、その方が家に帰ってきたって感じがするだろう?」
どうりで早いわけだ、と小さく笑って、百合は手の中にそっと花の咲く茶器を包み込む。
「確かに、家に帰ってきた気がするねー…」
ふわり、と花の匂いが鼻腔を突いて。
「だろう? 俺、花茶好きだからね」
ふと、なんでもないのに泣きたくなった。
「なんで邑榛は花茶が好きなんだっけ?」
ずっと前からそうやって言っていた。
年が玖琅と近くて、邵可が拾ってきた邑榛にあの兄弟はとてもよく懐いた。どちらがどう懐いたのかは厳密なところ、よくわからないけれど。
だけど、あの気難しい黎深ですら邑榛を拒絶することは無かった。
拾われてきた5歳の時、すでに子どもらしい我侭を知らなかった邑榛は、悪い意味で黎深に、良い意味で玖琅に気の抜き方を教えられていた。
「――――――うん? だって、邵可に拾われて、初めてまともな味がしたお茶だからね。それまで邵可の漢方漬けのお茶しか飲んでなくて、すっごく美味しくて」
そこで邑榛は一旦言葉を切った。
今言った言葉の、半分が本当なことを百合は知っている。
「――――――…だけど、1番の理由は…」
「うん」
そして、半分の嘘が、どの部分なのかも知っている。
「……初めて、あんな風にお茶、飲んだから…」
百合は机に頬杖を突いて、只、にこにこと笑う。
目を閉じれば、あの日のことも容易に思い出せる。あの日ほど、黎深を褒めようと思ったことは無かった。
「―――あんなにね、大勢で楽しくお茶飲んだこと無かったし、黎深が淹れてくれたから」
自分の手から淹れることなどほとんど無い黎深が、あの日は不器用ながらも自分の手で淹れて見せた。
味の方はまぁまぁで、邑榛が今淹れているようなお茶に比べれば格段に味は悪かったのだが、それでも何故か、美味しいと感じるものが確かにあった。
百合がつい手を伸ばして黎深の頭を撫で、邑榛が思わず顔を背け泣いてしまうほど。
言って邑榛は微笑むともう1つ茶器を出して、また1つ花を落とした。
「―――…盗み聞きって、趣味が悪いんじゃないかな。絳攸」
「コウ?」
それまでぴたりと閉じていた扉が、躊躇いがちに開いていく。端にかかった指が白くてびっくりした。
そして、その扉の影からそう、と顔をのぞかせた息子に、百合は顔を上げる。
「あら、本当にコウだわ。なにしてるの、そんな所で」
「入ってきて良いよ、絳攸」
邑榛は特に驚いたこともなさげに平然とコウを手招きすると、誰も座っていない席に茶器を置く。
「あぁ―――…、それ、コウの分だったんだ」
「そ。絳攸、気配を消しきれてないからバレバレ」
「……邑榛…」
気まずそうな顔で出てきたコウに楽しくて視線をやれば、コウは顔を少し赤らめてそむけた。
「珍しいわね、あんたが迷わず此処まで来れるのって」
「いや、百合ちゃん。それは違うね。絳攸は迷った」
「…邑榛、」
またもや静止するようにかけられた声に、邑榛は微笑む。
「それもかなり迷ったね」
「どうして?」
ずばりずばりと当てているようで、息子は言われるたびに沈んでいる。 顔が真っ赤だ。
「絳攸、俺が帰ってきて、百合ちゃんに会いに行くときに俺の先歩いてたんだよ。ンで、急に消えたから何処に行ってたのかなって」
邑榛はにっこりと笑う。
確実に、邵可の性格が段々と移ってきた。
「……邑榛、せめて一緒に来るとかしなよ」
「だって、誘おうとする直前に消えちゃうんだもん」
「ありゃ」
百合は笑ってコウを見た。コウは視線を反らした。豪く恥ずかしそうだ。
「あはは、ごめんね、コウ」
いかんせん、この超絶方向音痴にした原因は8割百合にあるといっていい。黎深から逃げなかった数少ない少年として、最低限確保するために彼が行く先々を実際に行き止まりにしたのは”影”だが、その指令を出したのは百合だ。
「いや…良いです」
だが、そんな事しなくても彼は此処に残ってくれた。
百合は、この養子を実の息子のように愛しい。
「百合ちゃん、あれは軽い苛めだったもんね。おかげで俺は絳攸の案内役として人見知りするお前に早く名前覚えてもらえたんだけどさ」
そして、この頑固な兄弟が拾ってきた邑榛のことも愛していた。
その時、外で小さな小さな物音がした。
それを聞いたからか邑榛はもう1つ茶器に花を落とす。
「しー」
口を開いて、奴を呼ぼうとした邑榛をとめた。
これは、流石に百合でもわかった。
にやにや笑ってしまう。きっと、寂しくなって構ってくれる人を探して此処まできたのだが、あまりにも楽しそうに会話してるため入り辛くなったとか、そういう落ちだろう。
本当に、いくつになってもあいつは僕に手を焼かすなぁ。
コウも邑榛も笑っていた。
邑榛は花が開き始めた茶器をコウの向かい側に置いた。
3人して、顔を見合わせて頷きあう。
「――――――黎深、盗み聞きってのはタチ悪いんじゃないかな?」
やがて観念したように出てきた当主は、どこか気まずい様子で、だが自分の席があることに気づくと何処か落ち着いてそこに腰掛けた。
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