悠久の丘で
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僕の大好きな人

 僕の義兄は悪魔だと思います。
 いや、本当はね、ずっと前から知ってたんですけど。
 でも最近それもちょっと進化しつつあると思うんです。


  *


 父さんに泣き付かれればミオシティに戻っていたクリスが、何故か最近は泣き付かれてもずっとクロガネシティに居る。
 原因はなんだか良くわからないけど、クリスと一緒にいられるのは嬉しいから特に聞くこともしない。
 まァ相変わらず睡眠不足だけど、クリスが来て1週間で大方慣れた。まだ慣れないのはクリスの急な密度の濃いスキンシップくらいと云うまでに成長した頃。

 今回の原因は紛れもなく義兄様、その人だった。

「ねー、ヒョウタぁ」
 気だるげに呼ぶ声にすら劣情を感じ始めて僕は極力逃げる。逃げた所で結局の所クリスに捕まるのだからあまり意味はないのだけれど、それでも逃げてしまうのは性だ。
「―――どうしたの、クリス兄様」
 来て早々、僕によくわからない脅しをかけてにっこりと笑ったクリスを悪魔だと思うのに、幼い頃からの刷り込みか、それすらも受け入れてしまえる僕はやはりすごいと思った。自分で。
「んふふ」
 呆れたように返事を返すとそんな笑い声。頬が緩みきってる状態で、眦も下げて微笑んだ。
「ヒョウタが可愛いなぁーって」
「はいはい。可愛いのはクリス兄様だから」
 暑い暑いと言って床にころころ転がっていたクリスは、仰向けだった状態から態勢を直し、俯せになって身体を肘で支え上体を起こす。
 そしてもう1度笑った。
「それにヒョウタが兄様って呼ぶとなんかクるし」
「まだ真っ昼間だけど!?」
 びっくりして顔が赤いのは自覚済み。
 言った言葉はまるで夜なら問題ないと言っているようにも取れてまた温度が上がった。
「ふふ、ヒョウタ真っ赤で可愛いよ?」
「―――クリス兄様…、からかわないでよ…」
「からかってないよ? ヒョウタが可愛いのも本当」
 そう言って動くのが嫌だと言っていたくせにクリスは身を起こしきり、僕を床に転がした。
 感心してしまうのはそうされても痛みを感じない所。
「そんでなんかクるのもね、本当」
 にっこりと笑ってクリスが下唇を舐める。
 僕はクリスを見上げるしか出来なくて、手首を頭の両脇で拘束されれば動けない。
 ―――違う。動きたくないんだ。流石に場の不利はあれど、この程度なら勝てる。
 本当に嫌なら。
「ヒョウタは?」
 心臓が爆発しそう。いつ喉から出てもおかしくないくらい脈打っている。
 そのせいで胸が痛いくらいだ。
「僕は―――…」
 答えは決まってる。もう何年も前からずっと。

 だけど、僕にはそれを言える程の時間は残されていなかった。

「―――人の気配だ」
 玄関前に人の気配。
 すんなりと身を起こしたクリスにちょっとムカついた後、僕も同じように身を起こして少し乱れた衣服を整える。
 立ち上がってドアの方向を見ながら困ったようにカリカリと頭を掻いて、クリスはため息を吐いた。

「あーぁ、せっかくヒョウタが物凄く可愛かったのに」
「クリス兄様!」

 唇を尖らせて。可愛い以外の何物でもない。
「まぁ良いや…、またやれば良いし」
 何か物騒な事を云う。
「変な事言ってないで早く見に行ってよ、クリス兄様…」
 僕はそれに急に疲れて、何故か玄関前の人物に礼を言いたくなった。
「ん、了解」
 だけど、歩くのに合わせてぴょこぴょこ揺れる髪の先を見ると、なんとなく(本当になんとなくだ)惜しかったかな、なんて思って慌てて首を振った。

 ―――そして。
 次に聞こえたクリスの声はとても嬉しそうだった。

「あ、ルビー! 久しぶりっ、元気にしてた?」
 …ルビー? 誰それ。
 ―――と、この歳になって醜く顔も知らない相手にムッとしていると、クリスがひょっこり顔を覗かせた。
「ねぇヒョウタ、俺の友達なんだけど、上がって貰って良い?」
 その時クリスが小首を傾げなければOKなんてしなかったのに。
「ありがとうっ。ヒョウタ大好き」
 ちゅ、とわざわざ戻ってきて人の額に口付けて満面の笑み。あぁ、可愛い。
「ルビー、あがって? 遠くから来て疲れただろ?」
 そんな声が聞こえて、自分が流されたとは云えちょっとムカついた。
「え、でも…」
「遠慮すんなって。ヒョウタも良いって言ったし」
 聞こえてきた声が、想像以上に若くて驚いた。

「今はどの地方にいるんだ?」
「今はホウエン地方です」
「あ、ジョウトじゃないんだ」
「あれから引っ越したんですよ」
 僕にはよくわからない話。

 ルビーと呼ばれた子が笑う。先にクリスの姿が見えて、その隣にいた少年(そう呼ぶに相応しい年頃だ)がやはりクリスを見て微笑んでいるのを見てまたムカついた。
「ヒョウタ、こっちはルビー。ジョウトで会った子だよ」
 そしてそんな様子にはまったく気が付かなかったのかクリスはルビーくんに笑いかける。
「それであっちがヒョウタな。俺の可愛い義弟ちゃん」
「はじめまして、ルビーです」
 小さな子。クリスの肩にどうにか届くくらいの身長の、まだ11、2くらいの少年。
 黒髪に紅い瞳が異様に似合う。
「…はじめまして、ヒョウタです」
 胸がもやもやする。
 クリスが此方を見て笑った気がした。
「そういやルビー。今回シンオウに来たのはコンテストの為?」
「いえ、違いますよ。ただクリスさんに会いに来たんです」
 何か、自分と似たものをこの少年に感じる。

 共通点はクリス。

「え、何かのついでで良いって言ったのに」
「僕が急に会いたくなっちゃったんです。ごめんなさい」
「いや、俺もルビーに会えて嬉しいから良いけど…」
 クリスがルビーくんを見て微笑む姿を見たくない。いつもゲンさんに感じている以上のものをまだ小さな少年に感じて、自分に驚く。
 だけど、それのおかげで理解した。

 僕はこの少年に嫉妬してる。

「―――クリス、」
 クリスの少し驚いたような顔。その理由を知っているけど、此処でクリス兄様と呼ぶのは何かに負けたようで嫌だった。
「なぁに、ヒョウタ」
 心臓がばくばくする。
「何か飲むでしょ? 僕、淹れてくる」
 仲良くルビーくんと話している姿なんて見たくない。苦しくて死んでしまいそうになるから。


  *


「―――クリスさん」
「なぁに、ルビー」
 久しぶりに会ったこの人は、少し成長していたけれど、まだ少し幼い。あの頃の面影がかなり残っていた。
「弟さんの事、いじめちゃダメだよ」
 そう云えばにぃと唇を釣り上げて笑う。
 僕は尊敬と愛しさを込めて、この人の事を悪魔と呼びたい。きっと僕とあの人は似ているから、尚更。
「可愛いよな、ヒョウタ」
「可愛いね」
 いざと云う時、きっと彼はこの人を喰う立場だと思うけど。
 銀糸が揺れる。蒼い目が楽しそうにきらきらしていて、ますますこの人の可愛さに磨きが掛かったことがすぐにわかった。
「クリスさんも凄く綺麗になったよ」
「俺は変わらないぜ?」
「可愛さもアップしてる」
 彼が居ない間にクリスさんを引き寄せて(常に無防備なクリスさんを襲うのはかなり簡単な事だ)、首筋―――…、髪で隠れる項の辺りに吸い付く。
「ル、ビ…ちょっと痛い…っ」
「ごめんね。でも僕、クリスさんの事好きだから」
 紅い鬱血がきちんとついた事を確認して、舌先で痛みを誤魔化すように舐める。わざわざ劣情を煽るように舐めたから、クリスさんの顔が赤くても何の違和感もない。
「あれ、クリスさん―――…気持ち良かったの?」
 それをわかっていても僕は意地悪くくすくす笑った。クリスさんの肩が跳ね上がった。
「ち、違うよっ!? ただ驚いただけだって…ッ」
 目を瞑って何かに耐えるような艶めかしい表情を浮かべるクリスさんをからかうように言えば、うっすらと涙目で言われた。

 可愛い。

「クリスさん、感度良いもんね。本当は毎日こんな事してる?」
 それはないと知っていながら声をかける。絶対にありえない、と断言できるのは、クリスさんが異常な程モテるからだ。
 ポケモンにせよ、人間にせよ。
 あのダイゴさんに花束を渡されて、『愛してます』と言わせただけの事はある。(もっとも本人は素なのか計算なのか、「ありがとー」と言って受け取った薔薇を、何故か1輪僕の髪に刺していった)

「して、な…」
「本当に?」
「ほんと…ッ」
 こくこくと必死に頷くクリスさんが可愛い。他人の家にもかかわらず、このまま本気で押し倒しちゃおうかな、と頭を過ぎった。


 だけど、思った所で呆れたような声をかけられた。

「―――ちょっと、家の大事な兄様を襲わないでもらえます?」
「あ」


 顔を上げれば当たり前だ。ヒョウタさん。
 確か…、クリスさんは弟だといっていた筈だ。その割にはあまり似てないけど(というか、カラーリング的な意味で、まったく似ていない)。
「あ、じゃありませんよ。それに…その人、自分で迫るのは大好きなくせに迫られると逃げますから」
 テーブルに冷静に湯飲みを置いて、持っていたお盆を脇に抱えてため息をついた。
「可愛いですよね、その人」
 別にクリスさんは意識を失っている訳でもなんでもないのだけど、なんかのろけられた。
「えぇ、確かに物凄く可愛いですけど」
 本当の事だから反論もしない。出来ない、と云うのが1番正しい。


 この人程可愛い人を僕は知らない。
 ―――と言ったら、僕はポケモン達に怒られるだろうか? いや、クリスさんにも懐いてたから大丈夫だろうな。


 ヒョウタさんは何故か満足そうに笑って、取り敢えず釘を刺すように微笑んだ。
「襲っちゃダメですよ? その人は僕のですから」
「―――え、それ本人に言ったらどうですか?」
 聞いてるとは思いますけど。
 そう言ったら、ヒョウタさんは顔を背けた。
 そして小さな声でボソッと言う。
 いや、でも絶対に聞こえてますよ、その言葉も、と思ったけれど、まァ一応言いはしなかった。

「…嫌ですよ、クリス兄様図に乗るもん…………」
 本人に直接言ってくださいよ、もう。

 お盆をぎゅっと抱きしめ、その盛ったお盆をもう1度置きにキッチンに戻る。その後ろ姿を見送ってから、いつの間にか僕の膝で寝たような風体になっていたクリスさんに視線を落とす。
「―――…ねェ、クリスさん」
「可愛いだろ」
 この人も話を聞いてくれないことを漸く思い出した。だってあの時はその被害者がダイゴさんだったから。
「流石俺の弟君って感じ?」
 にぃと笑うこの人。

 それでもこの人を見て、可愛いしか考えられない僕はやっぱりこの人に頭が湧いてるんだと思う。
「な?」
「―――そうですね」
 ため息を吐いた。
 このドS。

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