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※中1の三人



 赤ちんって分かんない。
 体育館のステージの床が、下から突き上げられるみたいにどんどんと揺らいでいる。大の字になって寝そべってると、それがよく分かる。耳の中にはボールがバウンドする音とかバッシュの音とかがあふれていて、あーうるさ、こんなんじゃ寝れねーじゃん、ってムカつくけどわざわざ文句言うのもめんどくさい。とりあえず目を閉じたけど、どっからか飛んできたボールがばんと音を立ててステージの下の、パイプ椅子とかがしまってある収納スペースに当たったから、すぐに叩き起こされた。

「紫原、そんなところで寝るな」

 叱るような、呆れたような小言。顔をあげなくてもミドチンだと分かった。足元の方から声がしてるから、オレの視界にミドチンはいない。

「えー。いいじゃん、もう部活終わったんだからさー」

 ごろごろ寝返りを打ちながら、答える。服が汚れるぞ、ってお母さんみたいなこと言われたけど、まあ当然、これも無視だよねー。

「大体、残っているなら少しくらい自主練したらどうなんだ」
「やだよ。練習なんて嫌いだし」

 ミドチンの溜息。でもそんなのに負けるオレじゃないから、部活用のハーフパンツのポケットからアメを取り出して、口に入れた。

「まったく。赤司はお前に一体何の用があると言うのだよ」

 それを聞いて勢いよく体を起こしたオレに、ステージの下でボールを抱えて立ってたミドチンが「なんだっ」と露骨にびっくりして、肩を震わせた。

「それなんだよねー」
「は?」
「赤ちん、なんでオレに残ってろなんて言ったんだろ。全然心当たりないんだけど」

 ミドチンの頭の向こうでは、一軍のやつらがコートの中にぎっちぎちにつまって自主練している。黄色い照明の下で、汗を散らしながらボールを投げたり打ったりしてんのは、見てるだけで暑苦しくて、うざったい。早く帰ってポテチの一袋でも食べたいのに、部活のあと赤ちんが「お前は少し残っていろ」なんて言ったから、こうやってだらだら、赤ちんを待ってるわけだけど。副主将の仕事でもやってるのか、もう四十分は経つのに、全然戻ってくる気配がない。

「さあな。赤司の考えていることなど分からん。悩むだけ無駄なのだよ」

 首のタオルでおでこの汗を拭ったミドチンが、オレに背中を向けた。

「そのくせ、こちらのことはなんでも知っているかのような言い方をする。……まったく、気に食わんやつなのだよ」

 ぼそっと落とされたミドチンのつぶやきは体育館を満たす自主練の音にほとんど飲まれていたけど、オレにはちゃんと聞こえた。ミドチンは近くのゴールに歩いていって、そのまま自主練を始める。
 ミドチンがあんなふうに言った理由は、なんとなく察しがつく。この間三軍の体育館に、オレと赤ちんとミドチン、三人で行った時、峰ちんと一緒にいた人のことを思い出してるんだ、きっと。なんかちっちゃくて存在感薄くて、オレにはどうでもいい人としか思えなかったんだけど、そしてたぶんミドチンもそうだったんだろうけど、赤ちんはあの人に興味を持ったみたいだった。あのあと二人っきりになった赤ちんがあの人に何を言ったのかなんて知らねーし、なんでもいいってオレは思うけど、でもミドチンはそうじゃないんだろうね。赤ちんは間違ったことを言わないからあの人に何か特別なものがあることは絶対で、でも自分はそれを見抜けなかったってこととか、オレたちになんにも言わないままで勝手に話を進めちゃう赤ちんのこととか、いろんなことが許せないんだろうな、と思う。ミドチンはプライド高いし、そういう難しいこと、ぐだくだ考える人だ。
 ぶどう味のアメを噛み砕きながら、ミドチンのスリー(全然外れない。気持ち悪いくらい正確)を眺める。オレは「気に食わない」まではいかないけど、でも確かに、赤ちんは分かんない。てゆーかそもそも、オレ自身が赤ちんをどう思ってるのか、それ自体がまずよく分かんない。
 近くに転がってたボールを捕まえてから、ステージのふちに座って、脚をぶらぶらさせた。
 赤ちんはすごいと思う。なんでも分かってるし、間違ったこと言わないし、頭いいし、それは純粋にすごいと思う。でもバスケに関しては、分かりやすくすごいわけじゃない。そりゃ上手いけど、その上手さは人目をひくようなものじゃなくて、結構地味だ(PGっていうポジションのせいもあるだろうけど)。峰ちんとかのがよっぽど派手。なのにオレは、赤ちんにだけは勝てない、って思わされてる。なんとなく、じゃなくて、確信を持って。その原因は、オレにも理解できねーんだけど。
 膝の上のボールを抱いている、自分の手を見下ろす。この手も、腕も脚も身長も、オレの方が赤ちんよりでかい。その気になれば、張り倒すことだってできちゃうかもしんない。でもやっぱ、できねー、のかな。可能だけどやらないっていうか、やれない。オレが手をあげたところで、それは絶対、赤ちんに向かって振り下ろせないと思う。赤ちんはそういうことを許さない、何か信号みたいなものを目から体から発してる、ような気がする。

「紫原」
「えっ」

 不意に名前を呼ばれて、びびった。赤ちんが目の前にいた。

「帰るか?」

 赤ちんはあからさまに変な反応をしたオレに構わないで、訊いてきた。部活が終わったすぐあとはあんなに汗をかいてたのに、今の赤ちんは涼しい顔で、熱気のこもったこの体育館に似合ってない。そういえば開け放した扉から入ってくる風が、少し冷たいみたい。

「え、つーか赤ちんさ、オレになんか用あったんじゃないの? だから待ってろっつったんでしょ?」

 なのに帰っちゃうわけ? オレが訊くと、赤ちんは「なんだそんなことか」って顔をして、至極当然、って雰囲気で言い放った。

「今日はお前の誕生日だろう」

 緑間も帰るか? そばのゴールでスリーを打ち続けてたミドチンに、赤ちんが声をかけた。オレは「はあ?」と、意味分かんないって態度丸出しで突っかかりかける。でも赤ちんとミドチンがさっさとロッカールームの方へ行っちゃったから、オレもしょうがなく、後を追った。

 ――……で、着替えて学校を出たオレたちが今いるのが、コンビニの前。

「紫原の誕生日などよく覚えていたな、赤司」

 いつも通りおしるこ(最近さすがに肌寒くなってきて、あったかいやつがお店に並ぶようになったみたい)をすすってるミドチンが、ゴミ箱に寄りかかって言った。

「たまたまさ。たまたま、クラスメイトがまいう棒の新作の話をしているのを耳にして、そういえば紫原が好きだったなと思い出した時に、一緒に思い出したんだ」

 ミドチンの隣に立ってる赤ちんは、ミドチンがコンビニからこぼれる明かりを一身に浴びちゃってるせいで、陰って暗い。なんなのこの状況、とちょっとうろたえながらオレは、赤ちんが買ってくれたまいう棒をかじる。クリームシチュー味が、近くの家から漂ってくる夕飯のカレーのにおいに混ざった。そのせいで食べてるそばからお腹が空いて、オレはどんどん、さっき買ってもらったばっかりのまいう棒を口に収めていくことになる。
 分かんない。全然分かんない。赤ちんて、こんなふうに誕生日を祝ってくれるようなイメージなかったんだけど。そういう近しさっつーか、馴れ合いっつーかからは、距離取ってじっと観察してるような人だと思ってたんだけど。

「紫原、それはどんな味がするんだ?」

 ……こんなふうに、お菓子に興味持ってくるようなイメージも、なかったんだけど。

「どんなって、土瓶蒸しの味だよー? 土瓶蒸し味なんだしー」

 食べる? と一応、問いかけてみる。おしるこを飲んでたミドチンが、「やめた方がいいと思うのだよ、赤司」なんて眉間にしわを作って言った(きっと食べたことないくせに、まずそうな顔すんなし)。どうせ断られるでしょ、って思ってやったことだったけど予想外に赤ちんは乗り気で興味津々っぽくて、ほんとますます、謎。

「一口もらおうか」

 結局、オレの食べかけのまいう棒は赤ちんの手に渡った。「本気か赤司」なんてミドチンが動揺してるけど、赤ちんは冗談が下手だから真剣なんだろう。うわーほんとに食べるんだ、と思いつつ、でも感想は気になるから、オレはまいう棒をまじまじと睨んでる赤ちんの、次の行動を待った。赤ちんの口の中に、まいう棒の先が吸い込まれる。

「――うまい」

 目をきらきらさせて、赤ちんがつぶやいた。その静かなきらめきは、夜空の中の、月のそばで小さく光ってる金星みたいで、なんかちょっと意外すぎて引く。
 ……やっぱり、赤ちんって分かんない。
 本当か、なんて驚いてるミドチンに、「お前も一口もらったらどうだ」なんて薦めてる赤ちんを見下ろして、オレは首をひねった。たぶんこの先もオレは、赤ちんて分かんないなー、って思いながらも付き合っていくんだろうなって、なんだか今、唐突にひらめいちゃった。
 ……でも、まー、いっか。いくら分かんなくても、今この瞬間赤ちんが楽しそうにしてるってことくらいは分かるし、それならそれで、なんか、いいよね。


up:2017.10.09