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※桜井高2、インターハイ(洛山優勝設定)後



 今日のシュート成功率は六十九本中六十七本、次の一本が決まれば目標達成だ。
 バッシュの右足で、スリーポイントラインを撫でる。見据えた先、直線上にあるゴールにボールを放つため、ボクは膝を折り曲げた。飛び上がったのとほぼ同時にボクの手からリリースされたボールは、そのままいつも通りのアーチを描いてリングに吸い込まれる――はずが、途中で強引に軌道を変えられてしまった。ボールはゴールに届きもせず、床に叩きつけられる。

「ええ!?」

 なんで、と思ったのは一瞬、ゴールの前には青峰さんが立っていた。ボクのシュートは青峰さんの手によって、ブロックされてしまったのだった。

「おう良、まだ残ってんのか」

 自分がはたき落としたボールを拾って、人差し指の上でくるくる回転させる青峰さんに、ボクは肩を落としてみせる。もちろん青峰さんはそんなボクになんて構わず、ボールを持った右手を背中に回して、そのままくいっと手首を上向けた。青峰さんの頭の上を通り過ぎたボールは、危なげなくスウィッシュされる。フリースローラインよりゴールに近い位置で行われたこととはいえ、外すなんて全く予感させない青峰さんのシュートはやっぱりすごかった。元が違う、なんて分かってても、シューターとしては当たり前のように悔しい。

「青峰さんも、まだ残ってたんですね」

 自然ふてくされた顔になってしまいながら、青峰さんに声をかけた。今日の練習が終わってからもう一時間半は経っていて、居残り練をしていた部員もボク以外みんな帰ってしまっていたから、体育館にはボクと青峰さんの二人きりだった。

「……おー。まあな」

 もう一度ボールを拾い上げた青峰さんは手の中でそれを弄び、その場でドリブルをする。かと思ったらぱっとその動作をやめたりして、うつむいて黙り込んでしまった。なんだか今日の青峰さんは歯切れが悪い、変だ。部活中は、そうでもなかったはずだけど。

「何かあったんですか?」

 尋ねると、「ああん!?」となぜかすごまれてしまった。一年生の頃のボクならそれだけで「スイマセン!」を四回は連発しただろうけど、今はもう一瞬怯むだけで、なんとか謝らなくて済むようになっている(若松さんと青峰さんはすぐ喧嘩を始めるから、ボクが「謝りキノコ」のままだと練習が全然進まないことに気づいたので)。
 チッ、と盛大な舌打ちを一つした青峰さんは、ボクの隣に並んで「ちょっとどけ」と言った。そこから、スリーポイントシュートを打つ。

「オメー最近、やたら練習してんな」
「え、そう見えますか?」
「おう」

 緑間に張り合ってんのか。
 青峰さんの言葉は、ネットをくぐり抜けたボールが床をバウンドする音に、かなり掻き消されてしまった。それでもボクの耳にはしっかり聞こえてしまっていたから、ボクは一瞬間、何も言えなくなる。体育館に複数ある出入口は全部開け放されていて、そこから入ってきたぬるい風が、ボクの汗ばんだ体を弱く冷ました。
 きゅっ、とバッシュを鳴らして、青峰さんがボクを見た。若松さんと言い争いしている時とも、桃井さんを軽くあしらっている時とも違う表情――でもこれは、見たことある。キセキの世代の試合を観戦している時の青峰さんのそれに、近い。

「……もちろん、それもあります」

 額を縦断してきた玉の汗を、指先ではじいた。おーおーやっぱりな、と茶化すように青峰さんが口を挟む。それから彼は転がっていたボールを叩いて、跳ね上がったところを手のひらに収めていた。

「コートのどこからもシュートを打てるとか、そもそもスリーが百発百中なんてやっぱり憧れますから」

 初めて同じコートに立って緑間さんのシュートを体感したのは、まだ一ヶ月も経たないくらい最近のことだ。すごい、と思った。どんなに遠くから放つシュートも、打たれた瞬間に入ると分かった。試合中、相手チームのシューターとは張り合うばかりだったボクだから、そんなふうにただただ息を飲んでしまった経験は、あれが本当に最初だった。あんな人を、意識しないはずがない。
 ……でも。

「でも、それよりは……とにかく、強くなりたいです。もっと純粋に。緑間さんに対抗してどうこうっていうのより、まず先に」

 そりゃもちろん、負けるつもりなんてありませんけど。口を尖らせたボクに、青峰さんはほっぺたのてっぺん、頬骨のあたりをふっくらとさせて笑った。へえ、と相槌を打ってくれる。
 インターハイ、桐皇は去年と同じように優勝を逃してしまった、練習に参加するようになった青峰さんが出場していたにも関わらず。敗北を知らせるブザーを聞いた時、ボクはそれまでよりずっと力強く、このままじゃダメだ、と思い知らされた気がしたんだ。青峰さんはエースで、味方のボクたちすら驚く圧倒的なプレイを見せてくれて、でもそれだけじゃ勝てない。青峰さんの周りにいるボクたちも、もっともっと強くならなきゃいけない。そんなのは当たり前で、ずっと前から分かってたことだけど、改めて感じた。もう誰にも、どこにも、負けたくない、って。

「まあ緑間のヤローは変人だからな。邪魔されねえ限りはぜってーシュート決めてくる」

 言った、青峰さんはチェストパスでボクにボールを送り込んだ。いたずらっ子みたいな顔で、続ける。

「つっても、お前みてえにバカみたいに早くシュート打つのとかはムリなんじゃね?」

 反射的に口からこぼれたのは「スイマセン……」だった。青峰さんがあからさまにぎょっとする。

「はあ!? なんでそうなんだよ!」
「分かりませんスイマセン! でも……スイマセン!」

「謝りキノコ」は卒業しても、謝り癖が治ったわけじゃない。一度口にしてしまうと「スイマセン」は際限なくあふれ出してしまって、もうなにがなんだか、自分で収拾がつかなくなってしまった。ぺこぺこ頭をさげながら、ボクは自分の頬が熱くなっていることを、はっきりと自覚してしまう。
 だってこんなの、不意打ちすぎますよ、青峰さん。

「てめえコラ青峰! まーた桜井に絡んでやがんのかおい!」

 その時、若松さんがどたどた足を踏み鳴らしながら体育館にやってきて、青峰さんを怒鳴り散らした。「知らねーよ!」と青峰さんは、結構焦ったような声で口答えする。

「とぼけてんじゃねーぞ! どうせまた弁当持ってこいだのなんだの脅したんだろが!」
「ンなこたしてねえよ! つか声デケェんだよ」
「あんだとォ……!」

 もはやボクそっちのけで口喧嘩を始めてしまった二人をぽかんとして眺めていたら、いつのまにかボクの隣に桃井さんがいた。はい、と言って、コンビニの袋を差し出してくる。

「あの、これは?」
「桜井くん、今日誕生日でしょ? さっき主将とコンビニ行って買ってきたの、びわゼリー」

 おめでとう、びわ好きだよね? と微笑んだ桃井さんに、「ありがとうございますっ」とお礼を告げてそれを受け取った。まだ冷えていておいしそうだけど、帰ってからゆっくりといただくことにする。

「大ちゃん、なんか言ってた?」
「え?」

 ボクを覗き込むようにして問うてきた桃井さんに、話の飲み込めないボクは首をかしげることで答えた。桃井さんが苦笑いする。

「いやあね、さっき大ちゃんに『今日桜井くんの誕生日だよ』って教えてあげたんだけど、大ちゃんてば『ふうん』って言ってそれっきりだったから、ちょっと気になっちゃって」

 桃井さんの言葉で、さっきまでの青峰さんのイライラそわそわした態度の意味が、ようやく分かった。誕生日だから、ってことで、もしかしたら何かしてくれようとしていたのかもしれない。でもあまりにも突然知ったから(去年の今頃は、青峰さんは練習自体に参加していなかったからボクの誕生日を祝うどころの話じゃなかったし)、何をどうすればいいのか戸惑っていたんだろうな、と思う。青峰さんが素直に「おめでとう」なんて言える人じゃないってことは、もうボクだってよく分かってるんだ。

「いえ、特に何も」
「えー! もうっ、大ちゃんてば!」
「――でも、」

 ぎゃーぎゃー言い合っている青峰さんと若松さんを遠目に、ボクは言った。

「でもそれ以上に嬉しいことを、言ってもらえたような気がします」

 ――お前みてえにバカみたいに早くシュート打つのとかはムリなんじゃね?

 あの青峰さんが言ってくれたんだ、自信にならないはずがない。
 桃井さんはボクの表情から色々察したらしく、にんまりと笑った。

「ねえ桜井くん、今日のシュートは何本だった?」

 ここ数日ボクが設定していた課題について、ボクは誰にも教えていない。それでも「なんで知ってるんですか?」なんてびっくりしないで済むのは、桃井さんがそういう人だって理解できているからだ。青峰さんのことも桃井さんのことも、もちろん若松さんのことも、ボクはこのチームにいる人たちのことについて、ちゃんと分かる。それはつまり、それだけの時間をこのメンバーで過ごしてるってことで。
 なんかそれって、すごいなあ。

「ボクまだ、あと一本打ってないんです」

 やってきちゃいますね、と桃井さんに告げて、ボクは青峰さんと若松さんの間に割り込んだ。

「なんだ桜井、邪魔すんな!」
「おい良、こいつ黙らせろっ」

 二人はボクにまで牙を剥いてきたけど、ボクが何も言わないでボールを拾い上げると黙ってスペースを作ってくれた。ボクはスリーポイントラインに立つ。背中には青峰さんと若松さん、少し離れた壁際からは桃井さんの、視線が注がれている気配がある。
 シュート成功本数を七十本中六十八本にする。十日ほどかけて取り組んできたこの課題も、この一本を決めればいよいよクリアだ。そうしたら明日からは、八十本中七十九本に目標点を引き上げよう。ディフェンスがいない状態での練習なんだ、それだってまだまだ、実践で確かな成果として現れてくるにはきっと足りない。
 だからボクはこの一本を、まず絶対に決める。
 息を吸って吐いて、目の裏にシュートフォームのイメージを描いた。そのイメージの通りに、ボクはシュートを放つ。
 今度こそ桐皇が、一番になるために。


up:2017.09.09