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※プライマリースクールのタイガ・タツヤとアレックス



 日曜日、いつものストバスコートに着いたら、むっつりと頬を膨らませたタイガが一人でシュート練をしていた。いつも隣にあるはずのタツヤの姿はなく、タイガの放ったシュートは木製のバックボードに激突してコートに転がる。

「なんだタイガ、今日はお前だけか?」
「アレックス!」

 私を見つけたタイガは一瞬瞳をきらめかせるも、すぐにまたタコみてえな口になってむすっとした顔を作った。私の足元にまで流されてきたボールを拾い上げ、スリーポイントラインからそれを放り投げる。ま、そのボールは当然のごとくネットをくぐり抜けるわけで、それを見たタイガはますますすねちまったらしく「だあー! なんだよー!」と叫んだ。

「おいおい、随分機嫌ワリィな今日は。どうしたんだ?」

 ボールを抱えたタイガの前髪は、汗でぺったりと額に貼りついている。今日はこの夏が始まって以来一番の暑さで、コートの地面は目玉焼きができそうなくらい熱を吸い込んでいた。乾いた風がかろうじて体を冷やしてくれるものの、冷やされたそばから熱せられるもんだからあんまり意味がねえ。日本で言うところの「焼け石に水」ってやつだ。

「別にっ。なんでもねえよ!」
「なんでもねえって……んな顔で言われても説得力ないぞ?」
「それよりアレックス、さっさと始めようぜ! どうせ今日はタツヤいねえし」

 タツヤ、の部分を一際イライラしたような声音で吐き捨てたタイガに、これは何かあったな、と察する。大方喧嘩か? にしても、タイガがふてくされてんのは別に珍しくないが、タツヤまで怒ってどっか行っちまうなんて今までなかったんだがなあ。
 とりあえず、ボールを手放さないタイガを引っぱってコートの端にしゃがませた。私がここへ来るまで、苛立ちに任せてボールを追いかけていただろうタイガに休憩がてら水分補給させる。私はその横で、コートを囲うフェンスに寄りかかるようにして立った。がしゃ、と背中がぶつかった瞬間に、赤錆を浮かせたフェンスの、独特の鉄くささが鼻につく。

「で? タツヤはどこ行ったんだ」

 頭の後ろで結んだ金髪がフェンスに絡まないよう、意識して前に流しながらタイガに尋ねた。水筒から口を離したタイガは「知らね」と、やっぱり不機嫌そうに答える。

「どっか行っちまったよ、女に誘われて」
「女ァ?」

 素っ頓狂な声が出た。タイガは水筒を両手で抱きしめたまま、説明する。

「オレとタツヤがここでバスケしてたら、プライマリースクールでタツヤと同じクラスだって女が来て連れてったんだ、タツヤのこと」
「……お前まさか、それで怒ってんのか?」

 腹の底から込み上げてくる笑いを噛み殺しながら訊くと、「何がおかしんだよ!」とキレられてしまった。わりぃわりぃ、と謝りながらもおかしさはどこへも消えていかず、結局は声に出してだっはっはと大笑いしてしまう。

「ぶっ、はは、そうかそうか、嫉妬か」
「はあ? 嫉妬?」

 なにそれ食えんの、とありがちなボケをかましたタイガの頭のてっぺんに手を置いて、思いっきり引っ掻き回してやった。毛穴から大量に噴き出していた汗の粒たちがあっという間に私の手のひらをべちゃべちゃに湿らせる。「やめろって!」と私を振り払おうとするタイガの、頬はほてって赤い。

「ったく、お前もかわいいところあるじゃないか」
「だからなんだよそれっ」

 アレックスー、と喚くタイガに素早くキスしてやると(だって「ス」でちょうどそういう顔になりやがったから)、タイガは喉奥で変な悲鳴をあげて私を突き飛ばした。おかげで、火傷しそうにあっちいコートに、もろに両手と尻もちをついてしまう。

「おまっ、師匠を突き飛ばすとはいい度胸してんなあ、おい」
「いいいいきなりキスすんなって言ってんだろいつも!」

 唇をごしごし拭うタイガに(失礼なやつだ)、「しょーがねえだろぉ、タイガはかわいい愛弟子なんだからよ」と言ってやると、「だからってキスはするな!」と耳元で叫ばれた。とはいえ私が立ち上がるのに手を貸してくれるあたり、やっぱよくできたやつだ。タツヤの振る舞いがこいつにもうつってきたのか?

「――もういい! バスケしようぜ早く!」

 タイガがボールを持った、その直後にフェンスが軋んでコートの入口が開いた。そこには、白いシャツにハーフパンツ姿のいつものタツヤが、いつも通りの涼しい顔をして立っている。手に、まだ汚れていないボールを抱えていた。

「アレックス、来てたんだ。ごめん遅れて」

 何事もなかったかのようにこちらへ近づいてくるタツヤと、タイガを見比べた。タイガはむうと口を尖らせて、一人でドリブルを始めてしまう。

「タツヤ、女の子はどうしたんだ?」
「女の子? なんのこと?」
「タイガが、『タツヤが女に連れていかれた』ってぶーぶーうるさかったからよ」

 うるさくしてねえよ! とゴール下の方から声が飛んできたが、とりあえず無視だ。タツヤは、ああ、と合点がいったような様子を見せて、言った。

「来週うちでパーティーするから来ないかって誘われたんだ。クラスの女の子も何人か来るんだって言ってたけど、タイガとバスケするからって言って断ったよ」
「別に! 行きてーなら行きゃあよかったんじゃねーの!」

 私とタツヤに背を向けて叫んだタイガのレイアップは、リングにはじかれる。「くそー!」と癇癪を起こしていやがるが、ここ最近基本のレイアップはそうそう外さなくなっていたタイガのことだ、よっぽど気に食わなかったんだろうな、タツヤのことが。
 タツヤは目を丸くして、私を見上げた。

「ど、どうしたの、タイガは?」
「気にすんな。jealousyってやつだ」
「ジェラシー?」

 タツヤが、タイガを見やる。私は、ふ、と息を吐いて教えてやった。飛び上がるたび、タイガの黒いシャツの裾がひらひらと踊って、肌色が覗く。

「タツヤを他のやつに盗られたと思って、すねてんのさ」

 三秒くらい、ぽかんとしていたタツヤは、その後でふわっと口角をあげてタイガに駆け寄っていった。タイガの転がしたボールがちょうどタツヤの足元に辿り着いて、タツヤと、ぶすくれたタイガが向かい合う。

「タイガ」
「……なんだよ、タツヤ」

 ゆるく微笑んだタツヤは、抱えていたボールを放った。弧を描いたそれは、タイガの腕の中にすっぽりと収まる。

「Happy Birthday、タイガ」

 今度は、タイガが呆気にとられる番だったみたいだ。馬鹿みたいにあんぐりと口を開け放したタイガに、タツヤは言う。

「それ、プレゼント。今使ってるボール、もう表面がすり減っちゃってるだろ?」
「…………」

 胸の前のボールに、タイガは目を落とした。それから顔をあげて、タツヤを見つめる。タツヤは、続けた。

「女の子と遊ぶのも楽しいけど、お前とバスケするのはもっと楽しいよ、タイガ」

 ボクはお前の兄だからね。とどめの一撃で大きく笑ったタツヤに、単純なタイガはぱあっと頬を輝かせ、すっかり気を許して「サンキュータツヤ!」なんて騒ぎ始めた。やれやれ、一件落着だ。にしてもタツヤのやつ、ありゃ将来怖えな。すっげえプレイボーイになるぞ、きっと。

「おっし、練習終わったらハンバーガーでも食いに行くか! タイガ、今日は好きなだけ食っていいぞ、私がいくらでも奢ってやる」
「マジかよアレックス!」

「うおっしゃあ!」「よかったねタイガ」なんて言い合っている弟子どもを尻目に、軽く準備運動をする。腕を伸ばしたり屈伸したり、ストレッチにいそしむ私に、二人は声を揃えて呼びかけた。

「早くやろうぜアレックス!」
「今日は何を教えてくれるの?」

 まったく、せっかちなやつらだ。
 タイガが、たった今タツヤから贈られたボールを私に投げた。それをキャッチして、私は二人に、駆け寄る。

「おっし、待たせたな二人とも!」


up:2017.08.02