「オレにはもう、バスケがあればいいんスよ」
部活終わりにたまたま寄ったマジバで桃っちに遭遇して、そしたら桃っちが短くなったばっかのオレの髪を見て「どうしたの!?」なんてピンク色の瞳をまん丸にしたから、ふふんとちょっと胸を張ってオレは答えてあげた。でもそれだけじゃ分かりにくいってことに後から気づいて、説明を加える。「えっと、要はモデル辞めたんス」。
「そうなんだあ」
桃っちは驚いたみたいな顔をしたものの、なんでどうして、と根掘り葉掘り訊いてくることはなかった。まあ桃っちのことだから、オレが一年の頃からモデルの仕事をおろそかにしまくってたってことも、そもそも最初っからそんなに真面目にやってたわけじゃなかったってことも、全部知ってたんだろう。もしかして今回のオレの決断も、「女のカン」ってやつによってまるっと見通されてたのかもしれない。
「やーっと色々片付いたんで、これからはもうほんとバスケ一本でいくっスよ。他のもんは全部捨てる!」
「あはは、怖いなあ。でもそんなこと言って、勉強まで捨てちゃったら試合、出られなくなっちゃうからねー?」
図星にぶっとい杭を刺されて、う、とうめき声が出た。あわてて「そういや桃っちのその髪も似合ってるっス、ワンレン」と話をそらすと、「あ、逃げたなー?」なんて茶化すように言われてしまう。
「でも、ありがと」
綺麗に剥き出しになっている桃っちのおでこは、オレンジ色の照明を反射してつるんと光っていた。桃っちが笑うと、その光具合が二倍も三倍も強くなる気がする。かわいいなあ、なーんて、イヌとかネコとか赤ちゃんとかを愛でるのとおんなじような気持ちで、思った。
「今日青峰っちはどうしたんスか? 帰ったの?」
「居残り練習」
「え、マジ!?」
「マジマジ。なんかね、若松さん――主将と仲悪いのが逆にいい感じに働いてるらしくてね、二人で張り合うみたいに練習してるの。喧嘩しながらだけど」
そう言ってアッパルパイをかじった桃っちを、呆然としてオレは見てしまった。サボってばっかだったあの人が、ってなんだか信じられない事実をさらっと告げられてしまった気がしたけど、でもすぐに思い直す。ジュースのストローをきゅっきゅと抜き差しして弄びながら、オレは言った。
「まあ、元々そういう人だったっスもんね、青峰っちは」
何度も何度も、オレの「もっかい」に付き合ってくれた人。追いつけないやつのいることの嬉しさを、バスケの楽しさを、オレに教えてくれた人。
オレの発言に、桃っちはちょっと固まって、その後でにやっと唇を崩した。いたずらっぽい笑顔になる。
「バスケ馬鹿ってこと?」
オレも笑って、桃っちに顔を寄せた。
「バスケ馬鹿ってこと」
秘密を共有するみたいにこそこそ囁き合って笑い合う今この瞬間を、充実してるっていうか、完璧だっていうか、唐突だけどそんなふうにオレは思った。桃っちとバスケの話をしている時間は、他の女の子と過ごすどんな時間よりも濃ゆくて、楽しい。やっぱりオレにはバスケだけあればいい。
「――でも、そっかあ。じゃあきーちゃんからは今後ますます目が離せません! ってことだね」
アッパルパイの包みをかさかさと揉みながら、桃っちはつぶやいた。伏せがちになった目が、どこか遠くを見つめるみたいに細められる。
「そっスよぉ。一秒だって見逃しちゃダメっス」
なんたってIHの優勝は海常がもらうんスからね、とふざけて、でも本気の宣戦布告をしてやろうとしたオレを遮るように、桃っちはこっちを見据えた。あまりの目力に一瞬ひるんでしまったオレの隙を突くようにして、桃っちは口を開く。
「見逃したことなんてないよ」
店員さんの注文を受ける声、厨房の作業音、他のテーブルで交わされる雑談、店内を満たす色々な音を全て蹴散らすみたいに、桃っちの言葉は凛としていた。目をそらすタイミングを見失ったオレは桃っちに射すくめられたまま、思わず息を飲んでしまう。
「きーちゃんのこと、私、ずっと見てたもん」
だから、とさっきとは違う、やわらかく甘い笑い方で、桃っちは小首を軽く傾ける。
「これからもずっと、きーちゃんのこと見てるよ」
――オレにはもう、バスケがあればいいんスよ。
つい数分前の自分の発言が頭の中に響いて、オレの頬は一気に、富士山のマグマレベルで熱くなった。とっさにごまかそうとするけれど、ちょうどいい言葉が全然浮かんでこない。オレが焦っている間にも桃っちはまっすぐにオレを見つめていて、オレはそれに心臓をぐちゃぐちゃに乱されて、ああもう、どうしていいのか分かんねえ。
ごちん、とテーブルにおでこをぶつけると、「きーちゃん!?」という桃っちの戸惑ったような声が、上から降ってきた。
「……ごめん桃っち。さっきの、うそになっちゃった」
え、え、とうろたえながらオレの頭をぽんぽんと叩いていた桃っちの、手首を捕まえて顔をあげた。と言っても、顎の先は天板にくっついたまんまだったけど。
せっかくかっこつけたのに。バスケがあればいいんじゃなかったのかよ。そう思ってもこの心の動きを無視できるほどオレは鈍感にはなれなくて、一度自覚したら今までの桃っちとの思い出が、とぷとぷと際限なくあふれ出して止まらなくなった。
そうだ、青峰っちと毎日1 on 1をしていたあの頃からずっと、桃っちはオレのことをちゃんと、見てくれていた。
「オレ、桃っちのこと、超好きみたい」
だから、バスケだけじゃなくて桃っちもいてくれないと、オレはダメだ。
一拍置いて盛大に轟いた桃っちの叫び声を聞きながら、とりあえず今までなあなあにしてきちゃった「きーちゃん」呼びを今度こそなんとかしてもらおう、とオレは決めた。だってなんか女の子みたいだし、でもオレはオトコノコだし、ねえ?
黒子っちや青峰っちに対抗するとかよりまず先に、そもそも意識してもらわなきゃ、なんにも始まんないじゃないスか。
up:2018.05.07