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※高2の三人。ちょっと黄桃っぽい



「桃っち!」

 目を開けたらすぐそこにきーちゃんの顔がどアップであって、思いがけず「ひゃあっ」と声をあげてしまった。慌てて体を起こすと、反動で頭がぐわんと揺れる。

「こんなとこで寝てると日焼けしちゃうっスよー?」

 青峰っちみたいに、と言ってミネラルウォーターを飲むきーちゃんを、私は見上げた。目の前に立っているきーちゃんは片手を腰に当てて、銭湯あがりにフルーツ牛乳を一服するおじさんみたいな格好をしてるけど、そんな姿でさえ様になるんだからやっぱりずるい。頭の上に太陽をくっつけているから私からは逆光になって見えてるはずなのに、こめかみから顎に向かって流れる汗の粒とか、左耳のピアスとか、ペットボトルの中でさざなみを打つミネラルウォーターの水面とか、一々全部がきらきらしている。かっこいいなあ、でもテツくんには敵わないかな。

「そういえば大ちゃんはどこ行ったの?」
「あー、あっちの方に水道あったでしょ、そこっス。あっついから水かぶってくるって」

 口の端からこぼれた水を首のタオルで拭いながら、きーちゃんが苦笑した。さっきまで二人が追いかけていたボールもなくなっていて、コートの中にはきーちゃんと、ベンチに座った私しかいない。

「いやー、でもマジあっちい! もう完全に夏って感じっスね」
「ふふ、お疲れさま」

 笑って、トートバッグから取り出したうちわ(今日ここに来る時にパチンコ屋さんの前で配ってたやつだから、あんまりかわいくない)できーちゃんの顔面めがけてぱたぱたさせると、彼は「気持ちいー」とちょっと目を細めて、脱力して腕をぶらんとさせた。私が必死にあおいだところで午後の生ぬるい風しか送れていないはずなのに、きーちゃんは優しい。

「でも桃っち、ほんと気をつけてね。日焼けは女子の敵っスよ?」
「大丈夫だよー。日焼け止めちゃんと塗ってきたもん」

 そういう問題じゃないっス、ときーちゃんが腕を組んでむうっとした顔を作る、かと思ったらぱっと表情が変わって、少し冷たさを感じさせるくらいの真剣な瞳になった。え、と私が一瞬どきっと固まってしまった隙に、きーちゃんの顔はもう目と鼻の先に迫っている。

「桃っち、綺麗だから」

 きーちゃんの白くて骨っぽい指が、私の頬に引っかかる。びっくりするくらいひんやりしていて、背筋が震えた。きーちゃんから、目をそらせない。

「汚くなってほしくない」

 横から突き飛ばされるような風が吹いて、コートの外、フェンスの向こうに立っている木々ががさがさと鳴った。制汗剤の匂いに混じって、かすかにきーちゃんの汗の香りが鼻先をかすめる。中学生の時何度も感じた、ほとんど水みたいな、さらっとした匂い。
 でも、こんな顔のきーちゃんは知らない、ような気がする。

「――き、きーちゃ、」
「いでっ」

 何か言わなきゃ、と内心あたふたしていると、鈍い音と一緒に、きーちゃんの上半身がつんのめるようにして私の右に倒れ込んだ。そのおかげで開けた視界の中に、髪の毛をぺったりと湿らせた大ちゃんがげんなりしたような目つきで立っている姿が、入り込んでくる。コートの入口から、大ちゃんはきーちゃんを眺めていた。

「なにやってんだお前」

 足元に落ちたボールを拾って、きーちゃんが大ちゃんに噛みつく。

「ちょっと青峰っち! ボールは人にぶつけるもんじゃねえって何回も言ってるじゃないっスかー!」
「知るか。オメーが変なことしてるからだろ」

 ジャージのポケットに手を突っ込んだ大ちゃんはけだるそうに歩いてきて、きーちゃんが脇に抱えていたペットボトルをひったくった。そのままぐいぐい飲んでしまう大ちゃんに、きーちゃんは「オレの水ぅ」と泣きそうな声で抗議したけど、もちろんそんなことに構う大ちゃんじゃない。きーちゃんは漫画みたいに肩を落として、唇を尖らせた。

「もー。ちょっと桃っちに近づいたくらいで嫉妬しないでほしいっス」
「嫉妬じゃねーわ!」
「てか桃っち、背中汚れてない?」

 後ろを向いたきーちゃんの白いTシャツにはボールの土埃が灰色っぽくついていて、「うーん、結構汚れちゃってるかも」とそれを払いながら教えてあげると、「買ったばっかなのにい!」ときーちゃんが吠えた。大ちゃんは我関せずで、「もう、謝りなよ」と私が諭しても無視して空になったペットボトルを片手で潰している。

「あー! 水まで全部飲んじゃうし! ほんとなんなんスかもうっ」
「うっせえなーオメーは」
「うるさくさせてんのは青峰っちじゃねっスか!」
「はいはい、飲みものくらい私がおごってあげるよきーちゃん」

 ぐちゃぐちゃと言い争いを続けていて埒のあかない二人の間に立ってなだめると、きーちゃんは「桃っち……!」と大袈裟なくらい顔をぴかぴかにした。ころころと表情を変えるきーちゃんに、なんだかちょっと、おかしくなってきちゃう。

「だってきーちゃん、今日誕生日だもんね」
「覚えててくれたんスか!?」
「当たり前だよー。おめでとう」

 ありがとっス! と敬礼ポーズを決めたきーちゃんは、ぐりんと勢いよく隣の大ちゃんを睨んだ。

「青峰っちは言ってくんないんスか?」
「あ? 今日お前に付き合ってやっただけありがたいと思えっつの」

 耳をほじくりながら吐き捨てる大ちゃんに、きーちゃんは「そりゃそーっスけど」と不満そうにする。

「でもごめんね。プレゼント色々考えたんだけど、これ! ってものが思い浮かばなくって。きーちゃんモデルだし、ほしいものは大体買えちゃうのかなーって」
「あ、それなら心配ご無用っス! 青峰っちとの1on1で充分だし」

 それにっ、ときーちゃんは身を翻して、その場でドリブルを始めた。そのまま一気にゴール下まで持っていき、飛び上がってダンクを叩き込む。こちらに振り返ったきーちゃんは、今日一番の笑顔でにっと歯を光らせていた。

「欲しいものは自分で手に入れるんで」

 そして、私と大ちゃんをびっと指差す。

「インターハイ。勝つのは海常っス!」

 宣戦布告。大ちゃんを見上げると、彼はかっと笑ってちっちゃくなったペットボトルをベンチに置いた。

「やってみろよ。やれるもんならな」
「やるっスよ、絶対! 負けねえ」

 大ちゃんに宣言したきーちゃんは、今度は私をロックオンする。

「桃っちにも! 予測の上をいくくらい大成長してみせるっスからね!」

 こんなに爽やかに喧嘩を売られちゃったら、買わないわけにはいかないね。
 立ち上がって、私もきーちゃんに叫んだ。

「こちらこそ。桐皇だって負けないよ!」


up:2017.06.18