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※仄暗いです



 客観的に見たオレは「かわいそう」なのか、と思い知らされても、なんの感情も特に湧いてこなかった。
 オレの頭より上に桃井の頭がある。普通ならありえないそんな現象が起こっているのは、オレの頭が桃井の太腿の上に乗っかっているからだった。オレたち以外誰もいなくなった部室では、ベンチに横たわったオレの額をゆるやかに撫でている桃井の、かすかな息遣いさえ鮮明に聞こえる。

「今日も青峰、来なかったな」

 自分の腕で両目を覆っているオレが言うと、桃井の体がわずかに震えたのが、接触している後頭部越しに伝わってきた。そうですね、という囁くような声が、耳朶を揺らす。腕をどかして確認すると、泣きそうに目元を充血させた桃井が、オレを見下ろしていた。

「ごめんなさい」

 お前のせいじゃないだろ、とは、思ったけど言わない。桃井の謝罪を否定したら、その瞬間にオレたちのこの関係はなかったことになっちまうから、たぶん。
 青峰が入部してきた今年、オレはPFから現在のSFにポジションを変更した。それまで一応はありつけていたエースの座を、青峰に渡した。そういったことについてオレは別に悲観していなかったし、それで桐皇が勝てるならなんでもよかった。そのためにスカウトしてきた青峰――キセキの世代だったから。
 だが、冬の大会が迫りつつある今でも、青峰はほとんど練習に顔を出さない。確かにIHでは準優勝と記録を残すことができたが、普段の青峰の態度はとても褒められたものじゃないのだ――とはいえ、それだって実際オレ自身に異存はなかった。そういう約束でのスカウトだったらしいし、今吉が許容しているならオレが口出しするほどのことじゃない。
 だから、オレにとって動揺すべき事柄は、青峰にくっついて入部してきた桃井の、バツの悪そうな視線だけだった。

「桃井」

 呼びかけて上半身を起こすと、オレは桃井の制服の、リボンを引っ張った。する、と簡単にほどけたそれと一緒に、自分の首を絞めていたネクタイも床に放る。
 一つ一つ、あえてゆっくりとブラウスのボタンを外していくオレに向けられた桃井の瞳は、いつも通り申し訳なさそうな色を帯びていた。まあ少しは「怖い」とか「恥ずかしい」とか、そういう色も混じってるけど、それは本当に少しだ。

「お前、オレのことどう思ってる?」

 上から四つ目のボタンまでを外したところで、オレは訊いた。陽が沈みきっているのに電気もつけねえから部室は薄暗い。それでも、目が慣れたためか、桃井の顔は割とはっきり見えた。

「尊敬できる先輩です」

 毅然とした声音だった。が、眉はさがっている。はっ、と、オレは笑ってしまった。
 ほんとかよ。

「諏佐さんは、私のことどう思ってますか?」

 ブラウスを開いたオレに、今度は桃井が訊いてきた。

「かわいい後輩」

 とオレは、一言で答える。本心だった。オレを「かわいそう」だと思っている、かわいい後輩。
 桃井の胸元には数個の鬱血痕が散っている。星座を描くように指先でそれをなぞりながら、こいつはなんでオレを拒まないんだろう、と考えた。青峰のことで責任を感じているからか。申し訳ない、と思っているからか。
 夜闇に発光する桃井の、白い肌に爪を立てた。
 申し訳ない、なんて思ってるってことは結局、哀れんでるってことだろ、オレを。

「諏佐さ、」

 桃井の肩にしがみつきながら、胸元にオレは唇を落とした。柔肌に吸いつくと、禍々しい色をしたオレの痕がまた一つ、桃井の表面に残る。

「――WC、優勝するぞ」

 桃井の目尻に一粒、涙が生まれて、頬を伝い落ちていった。オレはそれを拭ってやったりはせず、ただ親指で強引に桃井の口をこじ開けて、呼気を逃してやる。
 かわいそう、なんて思われたいわけがない。それでもオレが桃井を否定しないのは、こいつがそう思い込んでいる限りオレから離れられないことを、知っているからだ。
 何もかも青峰に剥ぎ取られていったオレが唯一、青峰から剥ぎ取ろうとしているもの。それが今、目の前にある。

「うちには、青峰がいるからな」

 そんな大事なもんをわざわざ、自分から手放すわけがねえだろ。


up:2017.12.24