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 昼休みの屋上で、私は時々、桜井くんと一緒にご飯を食べる。
 と言っても桜井くんお手製のお弁当をおいしくいただいているのは私だけで、桜井くん自身はお箸どころかお弁当箱にもふれず、一心不乱に鉛筆を動かしている。体育座りをした彼が抱えているのはスケッチブックで、その瞳は、バスケの試合時と同じくらい真剣だった。さらさらの茶髪は太陽に透けそうで、微風が時々、前髪を持ち上げている。
 そんな桜井くんがスケッチしているのは、他でもなく――私、だった。

「桜井くん」

 お箸を咥えながら、呼びかけてみる。桜井くんからはなんの応答もなく、ただ鉛筆の芯がしゃりしゃり削れる音だけが返ってきた。まただ、なんて肩をすくめながら、ふわふわの玉子焼きを口に運ぶ。集中した桜井くんの耳に、私の声は簡単には届かないらしくて、一度話しかけただけじゃ反応なんてしてもらえない。いつものことだけどすごい集中力だなあ……なんて感心しながら、玉子焼きを飲み込んだ。桜井くんのお弁当はおかずもご飯もデザートも、ちょっと嫉妬しちゃうくらいにおいしい。

「さーくーらーいーくーん」

 横座りした私がお尻一つぶんだけ近づくと、桜井くんはやっと気づいてくれたみたいで「はっ、はい!?」と下がり眉になった。スイマセン、とほとんど反射みたいに口からこぼしている。

「桜井くんご飯食べたの? 食べないと部活、もたないんじゃない?」

 昼休みが始まってからご飯の一粒も口にしていない桜井くんに尋ねると、彼は「スイマセン!」とまた謝ってから、答えた。

「あのでも、早弁したんで大丈夫です。桃井さんと屋上に来る時はいつも早弁してて……って、スイマセン! ボクみたいなやつが早弁なんかしてスイマセン!」
「いや、それはいいんだけど……」

 スイマセン、を連呼している桜井くんは涙目で、なんだか私がいじめてるみたいで居心地が悪くなってしまう。逃れるみたいに、私は桜井くんの胸に伏せられたスケッチブックへと話題を変えた。

「ねえねえ桜井くん。それ、私の似顔絵描いてくれてるんでしょ? 見てもいいかな?」
「えっ、あ、はいっ、スイマセン! 下手くそですけど」

 そう言って、私の様子を窺うようにそろそろと開示してくれたスケッチブックに描かれていた「私」は、すっごくかわいかった。緑色のフェンスに寄りかかってタコさんウィンナーをつまんでいる私の、背景には青い空がある。写実的というよりはデフォルメされている感じだけれど、それは桜井くんの目的が漫画を描くことだからなのかな、と思った。今度描く漫画の、ヒロインのモデルになってくれ、という桜井くん直々のお願い(対価は桜井くんのお弁当)に、最初のうちは「私で大丈夫なの?」なんてちょっぴり不安になっていたけれど、協力して大正解だった。

「全然下手くそじゃないよー! 上手だし、かわいい!」
「ほ、ほんとですかっ?」
「うん! 本物よりずっとかわいいもん、私じゃないみたい!」

 漫画できたら読ませてね、と言って顔をあげた私の瞳は、ふてくされたように唇を尖らせた桜井くんを映した。あれ、なにか怒らせるようなこと言っちゃったかな、と内心慌てた私だったけど、桜井くんはうつむいて「そんなことないです」と吐き出した。

「桃井さんの方が、ずっと綺麗だもん」

 夏の名残のあるもわんとした風が吹いて、私と桜井くんの間を渡っていった。思わぬ言葉に、うろたえてほっぺたに熱を集まらせていった私と、目を合わせてから桜井くんは眉をひそめる。

「桃井さん。それ、いつ刺されたんですか?」

 私の体の、どこか一点を睨んでいる桜井くんの目線を追うと、首筋に小さな虫刺されがあった。とっさに手で隠して「蚊かな!? いつだろ分かんない、」と口走った私の肩を、桜井くんが捕まえる。

「ダメです桃井さん」

 囁いた桜井くんの、声音の甘さと冷たさにびっくりして、私の腕からスケッチブックが滑り落ちた。かしゃん、と背中とフェンスがぶつかったすぐあとに、桜井くんの頭が私の首筋にうずまる。
 虫刺されの上を舌がうねって、次いで毒を吸い出すように唇が押し当てられた。ん、と思わずあふれそうになった声を、喉の奥で必死に押し殺す。桜井くんの、汗のにおいがした。
 ねっとりと、舌先が虫刺されをつついて、やがて離れていった。ゆっくりと私を見上げた桜井くんは、いつものかわいらしい笑顔とは少し違ったふうに笑っていて、私は肌を粟立てる。どこか寒気のするような空恐ろしさがあって、でもがんじがらめに囚われそうな魅力のある光も一緒にたたえた、そんな笑顔だった。

「桃井さんは、綺麗じゃないとダメだ」

 背筋が震える。産毛が逆立つ。逃げなきゃ、なんて本能に近い部分が叫んだような気がしたけれど、できなかった。桜井くんの眼差しも、私の髪を梳く手つきも、世界で一番尊くていとおしいものにふれるみたいに穏やかで優しくて、私はそれを……怖いけどほしい、と願ってしまった、から。


up:2017.12.24