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「お前は桐皇のマネージャーだろ」

 とある練習試合の日、解散後、桃井は若松に呼び止められて詰め寄られていた。部員は二人以外皆帰宅済みで、部室前には扉に追いつめられてうなだれる桃井と、彼女と相対している若松しかいない。

「今日も青峰のやつ来やがらねえし。まあ勝ったからいいけど……いやよくねえけど!」

 ただでさえ平生から声の大きい若松である。そんな彼に叱られている桃井は、すっかり萎縮しきっていた。すみません、と小さく謝罪すると、「お前が謝ることじゃねーだろ」と若松に吐き捨てられる。

「ただよォ、試合中だの終わった後だのに一々しけたツラしてんのは気に食わねえな」

 一歩、若松が踏み出すと、彼の影が桃井の体を暗くした。青峰より、わずかだが上背のある彼は夕日を背負っているため、逆光となって桃井からはその表情を確かめられない。袖まくりしたジャージから、筋張ったたくましい腕が覗いていた。

「中学ん時青峰に何があったかは知んねえよ。ンなのオレには関係ねーし。けどな、」

 そこでいったん言葉を区切った若松は、すう、と深く息を取り入れた。

「お前は青峰だけのもんじゃねえぞ! それだけは覚えとけ!」

 肩をいからせた若松の、粗暴だがチーム愛を垣間見れる正論に、桃井は悲しいやら申し訳ないやら、諸々の感情があふれて落涙した。「ごめんなさいぃぃ」と泣き喚く桃井に、今度は若松が狼狽する番だったらしく「うわっ」と叫ぶ。

「な、泣くなよ! オレが脅してるみてーじゃねーか!」
「ごめんなさい若松さんんん」
「だから泣くなって!」

 あーうー、とうなっている若松は、こういった対応に慣れていないのだろう。泣きじゃくる桃井を前に視線をさまよわせてしばらく立ち尽くしていたが、やがて何か決心したかのように桃井の頭に手を置いた。そのまま、がしがしと大雑把に撫でる。

「ったく、泣くなっつってんだろ」

 オレが青峰に殴られんだろが、とつぶやいた若松の手のひらはやわらかく温かく、桃井の気持ちを落ち着かせるのには充分だった。涙目で若松を見上げた彼女と、目を合わせた若松は喉奥で小さく何かを叫び、硬直する。眉は相変わらず吊り上っていたが、頬は心なしか、赤いように桃井には見えた。夕日のせいか。

「お、前、そんな目で見んなっ」

 ふい、と一度はそっぽを向いた若松だったが、すぐにまた横目だけ動かして桃井の姿を捉えていた。やがて、はあー、と大きく溜息を吐き出し、桃井の手首を引ったくる。

「青峰に『部活来た方がいい』っつっとけ」

 え、と桃井が首をひねった時には、もう若松は彼女を引き寄せていた。そのまま、桃井の手首に唇を押しつけて、あっというまに踵を返し走り去ってしまう。放心していた桃井がようやく我に返ると、彼女は扉に沿って、へなへなとしゃがみ込んでいた。抱えた膝が震えているのは、恐怖のせいなどではなく。
 だから、青峰くんとはそんなんじゃないって言ってるのに。
 今すぐ追いかけて誤解を解くべきだろうか、と思いついた桃井が結局それをしなかったのは、彼女の顔がとてつもなく温かかったせいだった。先程の若松の手のひらよりも、ずっとずっと、熱かったせいだった。
 こんなの。ずるいですよ、若松さん。


up:2017.12.24