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「貴女はずるいです」

 べしゃ、と足元で紙コップのひしゃげる音がした時には、黒子はもう桃井の片腕を掴んでいた。

「ボクを、綺麗な人間だと勝手に思い込んでる。それを押しつけようとしている」

 眼前の桃井に浮かんでいるのは、戸惑い。それは仕方がない、先程まで二人は穏やかに会話していたのだ。平日の部活帰りに普段から利用している公園の、ベンチに腰掛けて、一週間ぶりを逢瀬を噛みしめるように。

「嫉妬や苛立ちや、そういった汚い感情をボクは持っていないとでも思っているんでしょう。貴女にとってボクは『優しい紳士』だそうですからね」

 我慢の限界だった。桃井の恋人は自分であるはずなのに、彼女の口から飛び出すのはいつも、いつも青峰の話題ばかりだ。瞳を輝かせて、はにかんで、頬を紅潮させて紡ぐ彼女の思いはいつだって青峰に向けられている、それがひどく不愉快なことに感じられたのだ。
 もちろん、覚悟がなかったわけじゃない。桃井にとって青峰という存在がどれほど絶大であるかは理解しているつもりだったし、黒子自身、かつての相棒の話を聞くことをはじめのうちは楽しむことができていた。だが、そればかりなのだ、彼女は。桃井の双眸に映るのは常に、目の前の黒子ではなく、ここにいない青峰なのだ。
 彼が部活に参加しバスケをしていることが嬉しいのは分かる、ボクも嬉しい。でもそのことと、桃井さんが彼のことばかり考えることを受け入れられるかどうかは、別の問題だ。

「テ、テツくん? どうしたの?」

 黒子の豹変ぶりに、桃井は狼狽した様子を見せた。購入したばかりのバニラシェイクが地面に落下してしまったのに黒子が全く頓着していないことにも、驚いているようだった。夜の運動公園、街灯に照らし出されて、バニラシェイクは土を黒く滲ませている。

「幻滅しましたか? ボクがこんな人間だったなんて」

 自嘲して、黒子が笑う。桃井は目を見張った。これまで見たことのなかった種類の、黒子の表情だった。当然だ、黒子がこんな気持ちになったのは、今この瞬間が初めてなのだから。

「ボクは桃井さんが好きです。ですが、貴女は? 貴女が見ていたいのはボクではなく、青峰くんなのではないですか」

 そこまでまくしたてられてしまうと、さすがの桃井も眉を寄せた。黒子に手首を捉われたまま、まっすぐに彼を射抜いて、告げる。

「私はテツくんが好きだよ。ずっと好きだったの。信じてよ」
「青峰くんより?」

 あからさまに、桃井が言葉につまった。ああ、と黒子は思う。本当にずるいのはボクだ、でも止められない。

「青峰くんよりボクを好きだと言い切れますか。ボクのためなら彼を捨てられると、断言できますか」

 一方的に、強引に、有無を言わさぬ気迫を持った黒子に追いつめられると、桃井は静かに涙をあふれさせた。それが答えだった。黒子は、唇を噛む。
 知ってましたよ、貴女がどちらか一方だけを選び取るなんてできないということくらい、ずっと前から。知っていたから、貴女へと手を伸ばすのが怖かった。
 それでも。

「――うそでもいいから、できるって言ってくれよ」

 ずるくて、汚くて、今のボクはもうきっと桃井さんが恋してくれたボクじゃない。
 でもボクをそうさせたのは、貴女でしょう?
 テツくん、と桃井が黒子を呼んだ、その弱々しい声は黒子の唇の中に飲み込まれて、すぐに消えた。


up:2017.12.17