series | ナノ

※黒←桃要素があります。懐っこくない黄瀬くんです



 聞かれていた。

「きーちゃんって、いつもあんなふうに告白、断ってるの?」

 責めるような、でも迷いも混じってるような、はっきりしない感じで桃っちがオレに質問をぶつけてきた。薄暗い用具室の、ドアは半開きにされたままだから、体育館に落ちる太陽の光が少しだけ射して桃っちの左半身を明るくしている。両手でバスケットボールを抱えた桃っちは、オレから目をそらさない。

「別にいつもじゃないっスよ?」

 だからオレも目をそらさないで、桃っちをじっと見返した。縦長のカゴからボールを取り出して、指で押したり、グーで叩いてみたりする。空気が抜けてないか確かめる、簡単な作業だった。
 昼休みが始まってすぐ第二体育館の裏に呼び出されて、告白された。隣のクラスなの、と自分を紹介したその子は、ショートボブの髪先を梅雨の風に揺らして、オレの鎖骨あたりを見ながら「好きです」と言った。シャイな子なんだろうな、と思った。今日こうやって告白すんのにも身体中からありったけの勇気をかき集めてきたんだろうなってことがバレバレな、すごく真っ赤なほっぺただった。

「ごめんね。今は部活で忙しいし、もう大会も近いからそれどころじゃないんスよ」

 でも、いくら女の子が頑張ってるからってそれをまるごと受け入れてあげられるわけじゃない。昨日の土砂降りのせいで湿った、地面のにおいをかぎながらオレは頭を掻いた。体育館裏は陰ってて、植え込みの中の葉っぱに水滴がくっついたまんま、乾いていなかった。
 この子がいなくなったらジュースでも買って教室に戻ろ、なんてシミュレーションしていたオレに、女の子は「それでもいいから」とかなんとかまくしたてながら迫ってきた。てっきり終わりにしたつもりだったオレは予想外の行動を取られてびっくりして、一瞬、怯む。でもまあしょーがないかもしんないスね、イッセイチダイの告白だったんだろうし、なんて他人事みたいに考えながらもう一回「ごめん」と伝えて、それでも女の子は引っ込まなかった。何度かおんなじやりとりを繰り返したあと、さすがにイライラしてきたオレは溜息を吐いて、言ったんだ。
 いい加減にして。ほんとにそういうの無理だし、迷惑だから。
 それを、桃っちに聞かれていた。

「いつもはもっとさらっと終わってるんス。でもあの子は、ちょっとしつこかったから」

 ちゃんと空気が入ってるって分かったボールは別の、空っぽのカゴに放って、さくさくと確認を進めていく。なんとなく覗いた体育館が開いていて、誰かいるのかと思ったら桃っちがボールの整理をしていたから、「手伝うっス!」なんつってオレも作業に加わったのに、さっきから桃っちの手は止まりっぱなしだ。オレばっかりが働いてる。

「そりゃあ、悪いなー、とは思ってるんスよ? でもああいう言い方しないと引き下がってくれないんスもん、他にどうしようもなかったっていうか」

 うそだ。悪いことしたな、なんて、別に思ってない。だってオレは最初から断ってたのに、いつまでもいつまでも諦めようとしないあの子の方が、どう考えたって間違ってるじゃないスか。だから、本当はもっとこっぴどいやり方で突き放すことだってできたけど、そこはやっぱりモデルだし、外聞ってやつを一応気にしてオブラートに包んでみた。あれでもかなり、優しくした方なんスけど。
 ボールの入ったカゴを挟んでオレの向かいに立ってる桃っちは、まだ不満そうだった。

「でも、あんな言い方。ちょっと、冷たくないかなあって……」
「あんなって?」

 動かない桃っちの代わりに、オレがどんどんボールにさわっては、別のカゴに放っていく。

「だから、その……無理、とか。好きな人にあんなこと言われたら、やっぱりショックだよ」

 手に取ったボールが少し汚れていて、磨いてもらうようにあとでお願いしよう、と思った。

「大丈夫っスよー。黒子っちはそんなこと言わないから」
「テツくんじゃなくて、きーちゃんに言ってるの」
「ていうかさ」

 ちょうど後ろにあった跳び箱に寄りかかって、オレは桃っちと目を合わせる。

「関係ないっしょ? 桃っちには」

 左耳のピアスをいじって、言う。桃っちは四秒くらい黙ったあと、確認済みのカゴの方にボールを落とした。

「……そうだね」

 桃っちがちょっと下を向くと、髪の毛が垂れ下がって顔を隠した。空気を変えるようにオレは、わざとらしいくらいに明るい声を出す。

「まーまー、普段はほんとに、もっと優しくしてるんで。心配させちゃったかもっスけど、マジご無用っスよ」

 オレの作戦に、桃っちはノッてくれない。それどころかますます暗い雰囲気を放ち始めちゃって、その目元は今にも泣きそうに、ぴんと張りつめた。なんでそうなるの、ってオレは少し、逃げ出したくなる。

「私だってきっと、きーちゃんのこと言えない。きーちゃんに『冷たい』なんて言う資格、ないもん」

 桃っちが目を拭った、手首は体育館からの淡い光でいつもより白かった。用具室の中は謎の作用で涼しくて、半袖から伸びた腕がちょっと、寒そうだった。

「なんでそう思うの?」

 ボールの黒ずみをつつきながら、オレは訊いた。うつむいたままで桃っちは答える。

「……この間、告白されて。『ごめんなさい』って、断ったんだけど」

「あー、桃っちモテるもんね、オレほどじゃないけど」なんて茶化すように相槌を打ってみた。桃っちは笑ってくれない。間を置いて、続けた。

「そしたらね、すごく、すごく悲しそうな顔されちゃったの。一瞬だったけど――でもその一瞬がずっと、ずっと頭から離れないの」

 オレは思いっきり首をひねって、でもすんでのところで「はあ?」っていうのは飲み込んだ。正直、意味が分かんなかった。

「だってそれ、桃っち全然悪くないじゃないスか。桃っちは黒子っちが好きなんだし、つーかむしろそこで断んない方がよっぽどダメだし」

 そんなことでいちいち自分を責めてたら偽善者っスよ。そう思ったけど、さすがにそれを言っちゃうのには、ためらいがあった。
 うん、と桃っちはカゴのふちに指を引っかけた。分かってるんだけど、と曖昧にうなずく。

「でも、思ったんだ。よく知らないからって告白されても断っちゃってた私は、せっかく私のことを好きだって思ってくれた人のこと、ずっと踏みにじってたんじゃないかなあって。それも、すっごく簡単に。気づかないうちに」

 桃っちが顔をあげないままだから、オレはカゴにふれてる指先からしか彼女の表情を知れない。その、桃っちの指先は今、第一関節のところでしなっていた。力が入りすぎてて、爪のピンク色の部分が少し、白くなっている。

「知ろうともしなかったんだもの、その人たちのこと。こんなの冷たいしひどかったなって、後悔して――そんなふうに感じたこと、思い出したの。さっき、きーちゃんの台詞を聞いちゃった時に」

 肩を震わせて自分に怒っている桃っちのことを、オレはやっぱり、理解できなかった。だって、どうしようもないじゃん、そんなの。自分のことを知ってもらおうっていう努力をしないまま告白に挑んでくる方がそもそも無謀なんだし、それでなんで桃っちが、桃っちを責めなきゃいけねえの?
 ……って、そこまで考えて、気づいた。たぶんこういうのを、「冷たい」って言うんだ。

「良い子っスねえ、桃っちは」

 跳び箱の、マットが張ってある部分に片肘を乗せた。オレの言葉は、ちょっと意地悪に響いたかもしれない。

「そういうとこほんと、尊敬するっス。曲がってなくて、純粋でさ」

 これは本心。皮肉じゃない。オレには絶対、まねできないから。
 そこで突然、桃っちがオレを、睨むような鋭さで見つめた。

「きーちゃんって時々、つまらなそうにしてるよね」
「……は?」
「部活では全然そんなことないのに、廊下を歩いててすれちがったりするとたまに、あっ、って思うの。窓の外とか周りにいる子たちとかを見ながら、つまらなそうな、冷めたような目してるって」

 ずり、と肘のてっぺんがマットにこすれて、摩擦で痛んだ。

「そういうのを見つけちゃうと、思い出すんだ。前にきーちゃんが『オレの全部をまるごと好きになってくれる子がいればいいのに』って言ってたこと」

 確かに、言った気がする。いつだったか、ミニゲームの休憩中に「顔がうぜえ」って青峰っちに罵られて(ほんとひどいっス)、「モデルの顔っスよ!?」とかわーわー言い争ったあとに「でもこの顔が邪魔して、中身まで辿り着いてくれる子はあんまいないんスよねー。黄瀬涼太の全部を愛してくれる子、大募集中なんスけど」とかなんとか。でもあれは、つまりオレの顔はそれほどよくできてるんだってことを自慢するための冗談で、実際、青峰っちからはあのあと強烈な蹴りを食らったし、ちゃんと冗談っぽく聞こえてた、はず。
 ……まあ、百パー本気じゃなかった、って言ったらうそになるけど。

「そんなふうに言う割に、きーちゃんって結構、自分と人との間に線を引くじゃない? 自分に関係ないって判断した人のことは意外とばっさり切り捨てちゃって、あんまり関わろうとしなくなっちゃうような気がするの」

 偉そうに言ってごめんね、と桃っちが苦笑した。

「でも、レギュラーのみんなにはそうじゃない。私にだって――さっきは『尊敬する』とまで言ってくれて、いろんなきーちゃんを見せてくれて、他の子が知らないようなことを私は知ってるのかもしれないなって思うと、すっごく嬉しいけど」

 桃っちの視線がまた、オレからそれる。下へ向く。

「けど、私はみんなと、何も変わらないよ。きーちゃんが引いた線の外側にいるみんなと、さっききーちゃんに告白してたあの子とも、全然変わらない。……それどころか、きっとみんなより、ひどい」

 オレは腕の中のボールに、ぐっと力を込めた。これが風船だったら圧で割れるんじゃないかってくらい、強く。

「きーちゃんはなんで、私を中に入れてくれたの? こんなにひどいのに、慕ってもらえるところなんか全然ないのに。もっともっと、良い子はいっぱいいるのに」

 全身の血が、すげえ勢いで頭に集まってくる気がした。奥歯を噛みしめて、噛みしめすぎて、軋む。

「きーちゃんにふさわしい子は、きっともっと他に、いるの」
「簡単っスよ」

 オレは大股で桃っちまで歩み寄って、その胸にボールを突きつけた。それから両手で頬を掴んで、強引に顔を上向けてやる。

「オレはアンタを『ひどい』なんて思ってないから」

 桃っちが「ひどい」わけない。そもそも、自分のことを「ひどい」なんて思うことができる人間がひどいわけがない。少なくともオレは、どんだけ冷たく女の子をあしらったとしても自分をひどいとは思えないし、思わない。
 一度唇を結んだ桃っちが、また口を開いた。

「それは、きーちゃんから見た私がそんなふうに映ってるだけで、」
「それの何がいけないんスか?」

 桃っちの目尻からこぼれた涙が、オレの指先を濡らした。でもオレは、その涙を拭ってあげたりはしない。他の女の子に散々あげてきた、偽物っぽい、半端な優しさを、桃っちにはあげたくない。

「オレが誰をどう思うかなんてオレの勝手でしょ。オレは桃っちを他の子とは違うと思った。だからこっち側に入れてあげた。それでいいじゃないスか」

 桃っちはまだ何か言いたげだった。長いまつげがまた、涙を叩き落とす。

「でも――」
「うるせえな」

 もう充分上を向いていた桃っちの顔を、さらに持ち上げた。オレと桃っちの、鼻の先がぐっと近づく。

「オレがアンタは特別だって言ってんだから、それで納得してよ」

 ――きーちゃんって結構、自分と人との間に線を引くじゃない?

 オレの、そういう部分に気づくやつが、一体何人いるっていうんだ。レギュラーのみんなだって、全員が全員気づいてるわけじゃない。ましてやそれ以外のやつらなんて、ほとんどゼロだろ。だってオレが、わざわざ隠してるんだから。
 桃っちはオレのことを、分かってくれてる。見せたら見せたぶんだけ全部、きっと分かってくれる。

「……桃っちは特別なんだよ、オレにとって」

 たとえ、オレの「線引き」のせいで「黄瀬涼太の全部を愛してくれる子」ってやつを逃がしてるんだとしても、今はそんなことどうだっていい。線引きをやめてそんな子を探してる暇があるなら、レギュラーのみんなと、桃っちと一緒にいる方が絶対に楽しいし、燃えるし、キチョーな時間を過ごせると思う。結局オレは、バスケ部が好きなんスよ。
 胸の前でボールを抱えてた桃っちは、しばらくぼーっとしてオレを見ていたけど、そのあとで微笑んでくれた。

「――私にも、きーちゃんは特別だよ」

 予想もしてなかった言葉に、桃っちの顔を引き上げていた手から力が抜けた。それでも桃っちは、オレを見上げたままだ。

「知ろうとすればよかったって思う子はたくさんいるけど、自分から『知りたい』って思えてた子は、実は結構、多くなくて。でもきーちゃんのこと、私は知りたいって思ってたよ」

 だからね、と、桃っちは繋げる。

「きーちゃんは、特別なの」

 この子が本当にオレと、同じだったらよかったのに。
 桃っちの肩を壁に押しつけたら、がしゃん、と金属の音がした。桃っちのかかとがスコアボードの脚にぶつかったらしく、はずみで桃っちの抱いていたボールがこぼれ落ちて、体育館の方へと転がっていった。

「きーちゃん?」

 一瞬、痛そうに顔を歪めた桃っちが、オレの目を覗き込む。オレは桃っちの肩を掴んだ手に、強く強く意識を集中させた。間違って放してしまわないように。間違って、抱きしめてしまわないように。

「桃っちは、さ」

 桃っちの右肩に頭を預けて、オレは顔を伏せた。
 桃っちはあったかくて、優しい。冷たくてひどいオレとは正反対で、遠すぎる。だから余計なことは望んじゃダメだって、分かってるつもりなんスけどね。

「ほんとに、特別だよ」

 額から伝わってくる桃っちの体温に、ほっぺたがほてる。ぎゅっ、と桃っちの左肩に指を食い込ませて、ほんの少し、オレの方へ寄せた。
 桃っちはオレが差し出したぶんだけ、ううん、それ以上に、オレを分かってくれる。オレの全部を知ろうと、見ようとしてくれる。そんなの見つけなくたっていいよっていうきったねえ部分まで、見つけられちゃうくらいに。
 だけど、だからって「黄瀬涼太の全部を愛してくれる子」にはならない。絶対にならない、なってくれない。
 それが悔しいとか、ムカつくとか、言ったら桃っちはどんな顔をするんだろう。

「特別なんスよ」

 うん、と桃っちは、丸まったオレの背中をそっと撫でてくれた。その手つきに桃っちの気持ちを感じ取って、オレは自分の中の欲望を、必死にごまかそうとする。
 特別、だから。オレの「特別」と桃っちの「特別」は、イコールじゃないとダメだから。片寄った時点できっと崩れちゃうから、オレはこれ以上なんていらない。いらないって、思い込まなきゃいけない。
 だからそうやって、「ほしい」なんて思わせないでよ、桃っち。
 このだっせえ気持ちが、でも恋とはちょっと違うってことだけが唯一救いかな、なんて一瞬思ったけど、違う。恋でもないのに「ほしい」とか願ってる今のオレの方がよっぽどわがままで、自己中で、タチが悪いんだろう、きっと。
 さっきの女の子の顔なんてもうとっくに思い出せなくなってるオレも、桃っちと重なれば何か変わるんスかね。そう思ってオレの背にふれてない方の桃っちの手を握ってみたけどやっぱりオレたちは別々のままで、ただ手と手が繋がり合っているだけで、一つになんてなれなかった。


up:2017.10.25