series | ナノ

「あんな不良ほっとけばいいのにって、言われちゃった」

 放課後、いつもみてえに屋上で寝っ転がってたら、冬の大会に向けて練習しろだのなんだのうるせえさつきが寝床荒らしに来て散々小言を垂れ流した末に、そんなことをつぶやいた。

「桃井さん素敵なのにあんな不良に煩わされることないよー、だって。青峰くんの世話焼いてると私の高校生活、台なしになっちゃうんだって」

 立ったまま、どっか空の方を眺めながらさつきは言った。オレは、ふん、と鼻を鳴らす。

「間違ってねえんじゃねーの? オレだって一々うっせえブスがいなくなってくれんならありがてえし、どっか行けよ」

 上半身だけを起こして吐き捨てたら、いきなりしゃがみ込んできたさつきがじっと、オレと目を合わせた。

「本気で言ってるの?」

 らしくない真顔。なんとなく顔をそらして「おう」と答えてやったら、三秒くらい間を置いたあとでさつきは溜息を吐いた。

「分かった。じゃあそーする」

 勢いよく立ち上がったさつきの顔は、逆光で真っ暗だった。一瞬、太陽に目を焼かれる。オレがまばたきをしているうちにさつきはペントハウスをおりて、少し遅れて屋上の鉄扉の閉まる音がした。舌打ちして、オレはまたコンクリの上に転がる。
 これで明日からは静かになる、のか? 分かんねえけど、さつきがまとわりついてこなくなるってんなら願ったり叶ったりだ。これでもう誰もオレの昼寝の邪魔しねえし、部活に来いなんてうぜえことも言われなくなる。
 すっきりするってんだよ、バーカ。

 ――……なんて悪態ついてたら、翌日からマジでさつきはオレに絡んでこなくなった。部活に行かねえオレには、そうなるとさつきと接する機会なんて全然なくなる。あいつの方からオレに向かってこなくなったら、オレたちの会話時間なんて平気でゼロになった。代わりにあいつはオレの知らねえ男や女と楽しげに過ごしていやがって、廊下ですれ違っても全く無視だった。いや、無視っつーかあれはオレをいないものとして扱っているというか、オレが見えていない。だから無視とかそういう意識的なものですらねえんだ、さつきの視界には最初っからオレが入ってねえんだから。

「自分ら、どないしたん?」

 面白ェネタを見つけたぜ、って顔して屋上にやってきた今吉サンが、にやにやしながら訊いてきた。

「あのっ。青峰さん、桃井さんとケンカでもしたんですか?」

 同じクラスの良が、びくびくしながら訊いてきた。
 別にさつきはキレてるわけじゃない。キレてるならもっと分かりやすくすねてむくれやがるだろうし、だからこれはケンカじゃない。そう教えてやったら、今吉サンは「ケンカやないんなら、そっちのが重症やないの」と、やっぱりにやにやして言った。意味分かんねえ。
 知ったこっちゃねーよ。さつきが誰とつるもうが、オレにくっついてこなかろうが、ンなもんオレの知ったこっちゃねえ。ほっとけっつーんだよ。

「あ」

 今日は美術準備室で食いてえ気分、つーことでオレのぶんの弁当も頼んである良を連れて、昼休みの廊下を特別棟に向かって歩いていたらさつきを見つけた。ほぼ同時に良も見つけたらしく、マヌケな声を漏らして立ち止まる。さつきは廊下の端っこで、男女混合の大集団の中、しゃべったり菓子を交換したりしていた。

「桃井さんって、やっぱりすごく人気なんですよね」

 学食や購買に行く連中の流れのど真ん中に突っ立っているオレたちは、それでもあからさまに邪魔者扱いはされない。それはオレが「フリョー」だから、周りがびびってるせいなのかもしれない。

「桃井さんがマネージャーじゃなかったらボク、桃井さんとなんて一切関わらないまま卒業してたと思います」

 明らかにクラスの中心にいるタイプの人ですからね、と良が苦笑いする。ふん、と鼻で笑い飛ばして、オレはまた足を動かした。集団の横を通り過ぎる瞬間にも、さつきからの視線は感じなかった。

「急に語り出してんじゃねーよ良」
「ああっ、スイマセン! 語っちゃってスイマセン! 桃井さんが青峰さんのこと『もう構わない』って言ってるの、聞いちゃってスイマセン!」

 良の頭がオレの背中に突き刺さった。突然立ち止まったオレのことを不気味に思ったのか、良が「青峰さん?」と覗き込んでくる。
 もう、構わない?
 勝手に高校までついてきて勝手にオレの周りをうろちょろしてたのはお前の方だろが、ざけんな。

「……あの、青峰さん」

 良が、口を開く。がやがやとうっせえ他の声や物音に、ほとんど飲み込まれそうな声だった。廊下は教室より、なんでだか知らねえけど音が響く。

「スイマセン。おこがましいこと言うのは百も承知なんですが、桃井さんとお話しした方がいいんじゃないでしょうか……」

 目を伏せた良の横顔に、窓から射し込んだ太陽が当たっていた。

「このままだと桃井さん本当に……その、青峰さんから離れていってしまうんじゃないかと……」

 思いっきり睨んでやったら、ひいっ、と良は悲鳴をあげた。それから「スイマセン!」を連呼し出す。オレは無視して、本棟と特別棟を繋ぐ渡り廊下に一歩踏み出した。瞬間、ものすげえバカ笑いが聞こえてきて、振り返ったらさつきのいる集団がアホみてえに騒いでいた。さつきも、笑っていた。
 それから、昼飯食って五限サボって六限は出て放課後になった。いつも通り屋上に行ったオレを、待ち構えていたのはさつきだった。

「久しぶり、青峰くん」

 ペントハウスにのぼったオレに向かって、体育座りしたさつきが手を振ってきた。一瞬固まったオレのことなんか、気にしてないのか気づいてないのか知らねえけど、さつきは普通に笑いかけてきた。

「どうだったー? 一週間、いやもっとだっけ、話さなかったけど」

 オレを見上げているさつきが「座ってよ、首痛い」と指図してきたけどシカトして、オレは言う。

「もう構わねーんじゃなかったのかよ」

 そしたらさつきはあからさまに驚いた顔になって、それから自分の膝を抱いた。

「そうしようかなーとも思ったけど、やめました」

 小さく丸まって、さつきが口を尖らせる。まだ十月のくせにやけにさみぃ今日は、屋上の風も冷たかった。
 けっ、とオレは吐き捨てる。

「保護者気取りのおせっかいがいなくなって、せいせいしてたってのによ」

 目を吊り上げたさつきが立ち上がって、べえっ、とオレに舌を出してきた。

「なによっ。こっちだってねえ、青峰くんと話さない間毎日楽しかったんだからね。今まで青峰くんが邪魔で私と話せなかったって子もいっぱいいたし!」

 邪魔、という言葉を、オレの耳はそこだけ強調したみたいな鋭さでもって聞き咎めた。「はあ?」とすごんでやったら、さつきは少し怯んだらしかった。

「オレが邪魔だってんなら絡んでこなきゃいいだろ」
「邪魔だって思ってたのは私じゃないもん!」
「あっそ、どっちだっていいけどオレには邪魔だ。一生話しかけてくんなブス!」

 怒鳴ったら、さつきはちょっとだけびくついて、それからうつむいた。泣くかと思って身構えたけど、さつきは泣いてはいなかった。ほら、と声を絞り出す。

「そうやってすぐすねる。ほんっと青峰くんって子どもなんだから」
「すねてねーよ」
「すねてますぅ。大体ねえ、私が青峰くんのこと投げ出すはずないじゃない。そんなことするくらいなら最初っからテツくんとおんなじ学校行ってたもんっ」

 両手をグーにして、そこにぐっと力を込めながらさつきは叫んだ。

「構ってほしくて子どもっぽくすねる青峰くんには、私はいないとダメなのよ」
「いらねえよ」
「いるの!」

 いつにも増して強情を張るさつきは、きっ、とオレを睨んだ。

「じゃあ訊くけど、青峰くんてなんでいっつも屋上で部活サボってるの? さっさとおうちに帰っちゃえば私に追い回されることだってないのに、なんで学校にいるの?」

 勝ち誇ったように、気取って若干顎を突き出したさつきは、偉ぶって腕を組んだ。痛いとこ突いてやったぜ、って態度が、頭にくる。

「ンなもんオレの勝手だろが」
「ほーら答えられない。ほんとは構ってほしいからでしょ。それとも、勇気がないだけとか?」

 いい加減ブチギレた。でも、オレが怒鳴り散らす前にさつきがまくしたてる。

「青峰くんより青峰くんのこと、知ってるのは私なんだからね!」

 どでかい声が、きん、とオレの耳をつんざいた。さつきの叫び声は、空に吸い込まれるみたいに残像を漂わせながら消えていく。顔を真っ赤にしたさつきを見下ろしていたら急に白けた気分になって、オレは、はあー、と盛大に息を吐いてから、頭を掻いた。

「……じゃーオレが今なに考えてんのかとか、分かんのかよ」
「分かるよ、『さつきが戻ってきてくれて嬉しい』」
「思ってねーわ!」
「思ってる。ずぇったい思ってますぅー」

 クソアマ、とオレが反論する隙も与えずにさつきは突進してきた。オレの胸に頭突きして、胴に腕を回す。

「私だって、青峰くんが隣にいないと変な感じしたもん」

 オレのブレザーにでこをこすりつけているさつきから、シャンプーのにおいがした。いつもの、さつきのにおいだった。たった一週間嗅いでなかっただけなのに、妙に久しぶりな感じがする。
 ……だからって別に、ほっとしたとか、思ってねーし。全然思ってねえし。

「お前の感覚がおかしいだけだろ。オレにイソンしてんじゃねえの?」
「私がいなきゃなんにもできない大ちゃんに言われたくない」
「『大ちゃん』に戻ってんぞ」
「今はいいの、私がいなくて寂しい思いした大ちゃんを甘やかしてあげてるんだから」
「だから寂しいなんて思ってねえっつの。一切、一ミリも思ってねえっつーの」
「そんなわけないもん。私が寂しかったんだから、大ちゃんが寂しくなかったわけないもん」

 なんだその論理、って呆れたけど、オレにぎゅっとしがみついてくるさつきの体温がやけに高ェから、口答えする気力も失せた。しょうがねえから代わりに、さつきの背中をさすってやる。

「高校生活台なしになるんじゃなかったのかよ」
「高校生活も大事だけど、構ってちゃんな幼なじみのお世話も大事なの」
「構ってちゃんはお前だろ、オレがいないとダメなんだから」
「そうだね。だからもうしばらくは、大ちゃんの隣にいさせてくれる?」

 さつきの言葉をまるっきり否定しないと気が済まねえオレよりも、オレの軽口をあっさり肯定してバカ正直な告白をしてくるさつきの方がよっぽど大人なのかもしれない……なんて一瞬考えちまったけど、やっぱねえな。バカみたいにオレに抱き着いて離れようとしねえんだから、ただのガキだ。バカガキ。

「……しょーがねえから、いさせてやるよ」

 さつきの頭の、てっぺんに手を置いて答えた。だってこんなガキくせえ女のお守りできんのは、オレだけだろ?
 良と今吉サンの顔がぱっと浮かんできて、そういやあいつらにも一応報告しといてやるか、と思い立った。良はたぶん「よかったですね」と笑う。今吉サンもそうだろうけど、その笑顔には良のものとは違って、つまんねーの、って文字が透けて見えるに違いない。あの人はそういうやつだ、腹黒メガネだから。
 ま、今はンなこと、どうだっていいか。
 さつきの頭に置きっぱなしにしていた手を丸めて脳天を鷲掴みにしてやったら、痛い、と言ってさつきは膨れた。それでもまだ腕はオレを捕まえたままでいて、うぜえけど当分、オレの隣にはこのおせっかいが居座るらしい。


up:2017.12.04