series | ナノ

「いやいや、普通じゃなくね?」

 朝練が終わったあとのダリィ体を教室まで引きずって机に突っ伏して、そしたらクラスのやつらに「青峰、かわいいタオル持ってんじゃん」とかひやかされたから「なんだよ意味分かんねえ」なんてぼやきながら頭にかけていたタオルを確認したら、ピンク色をしていた。「あー、さつきのやつだなこれ、間違えた」と思ったことをそのまま口から垂れ流すとお決まりの「やっぱ付き合ってんだろ」コールが始まりやがって、「付き合ってねーしつーか別にフツーだろ一緒に学校来たって昼飯食ったって、幼なじみなんだからよ」と答えたら、言われた。普通じゃなくね?

「……普通じゃねーの?」

 体を起こして、オレの席を取り囲んでるやつらを見上げた。「絶対普通じゃねえし、お前らくらいだっつの」「幼なじみだからっていつまでも一緒にいるわけねーだろ」「つかお前いつまで桃井独り占めする気だよこんにゃろう!」。ヘッドロックをかけられながら、続々と降ってきた言葉に「え、マジで?」なんてびっくりしていると、極めつけの発言が投げつけられた。

「お前らみてえにいつまでもべたべたしてんのは、異常なんだよ」

 チャイムが鳴る。教室のあちこちで騒いでいたやつらがそれぞれの席へと着いていく、その音の中で、オレはさつきのタオルを丸めたり伸ばしたりしていた。普通じゃない。異常。頭の中じゃさっきぶつけられた言葉がぐるぐるして、でも何度目かの回転の途中で「そういや『大ちゃん』じゃなくなったよな」と気づいた。それは、オレたちが「普通じゃない」ってことを、さつきは知っていたからなのかもしれない。
 握りしめていたタオルを、びっと張った。
 そんなに言うならその「普通」ってやつに、なってやろーじゃん。

「つーわけで教科書貸してくれ、テツ」
「はあ」

 二限が始まる前、数学の教科書を借りに隣のクラスのテツんとこに行った。オレの話を聞いたテツはまるでぽかんとしてたけど、結局は貸してくれた。廊下で受け渡しを完了させる。二月で、教室の隙間から流れ出てくる暖房のかすなんかじゃ、きんきんの廊下はあったかくならない。

「サンキュー。つってもさつきに借りらんなくなっちまったから、またちょくちょく来るだろうけどよ」

『数学 一年』とある表紙を眺めながらオレが言うと、テツは頬を掻いた。

「教科書の貸し借りくらい、『普通』の範囲だと思いますが」
「は? そうなのか?」

 はい、とかうなずかれても、オレには基準が分かんねえ。どっからが「普通」でどっからが「普通じゃない」のか。三秒くらい考えたけどやっぱり分かんなかったから、とにかくさつきに話しかけなければいいか、ってことにして「とりあえずありがとなっ」とテツにもう一度礼を言った。ブレザーがだぼだぼで袖に手がちょっと隠れちまってるテツは、はあ、とおんなじことをまたつぶやいていた。

「あー、青峰くん!」

 教室に戻ろうとした瞬間後ろから飛んできた声に、背中が震えた。テツが口を「あ」の形に作る。

「青峰くん私のタオル持ってったでしょー! 鞄に入ってなくて困ったんだからねっ」

 オレの首裏に「えいっ」とチョップをかましたさつきが、顔を覗き込んできた。「うるせーなー」といつも通り言い返そうとして、はっとする。そうだそうだ、「普通じゃねえ」だった。

「青峰くん?」

 黙りこくってるオレを変に思ったのか、さつきが片方の眉毛を持ち上げた。オレはそのまま、無視してずかずかと前へ歩いて、でも五歩くらい進んだところでばっと振り返った。さつきは、さっきのテツと同じく、ぽかんとしてオレを見ていた。

「今日はオレに話しかけんじゃねーぞさつき!」

 忠告する。すぐに向き直って自分の教室に入ろうとしたオレに、さつきは何も言ってこなかった。ただ背中から、「うわあっ! く、黒子くんか、びっくりしたあ」というでかい声が聞こえてきただけだった。

 ――……で、結論から言うと、さつきに関わんねえで過ごすってのは思ったよりずっと面倒だった。
 忘れ物しても借りにいけねえし(おかげでテツの世話になりまくった)、昼飯足りなくても弁当の横取りに行けねえし(しょうがねえから食堂にいた緑間の生姜焼きを奪っといた)、宿題やり忘れてたって気づいても写しにいけねえし(赤司に頼んだら「自分でやるんだ」と二分くらい説教された)。今までどんだけさつき頼みで生きてきたんだって、自分のことだけどびびった。これを機にちったァ感謝しといてやるか……なんて気になっても、それを伝えるにはさつきとしゃべる必要が出てくるから無理。まーオレだってジュースおごったりとかしてやってるし、別におあいこか、とすぐに思い直す。
 ただ、予想以上に厄介だったのが、さつきと出くわしても絶対にスルーしなきゃなんねえってことだった。いつもならさつきの姿が見え次第捕まえて一言でも話すところを、知らんぷりして通り過ぎないといけねえってのは、案外ストレスだったのだ。そわそわして、イライラして、落ち着かない。宿題を写せねえことより、困る。

「青峰くんっ」

 オレの忠告を無視して(もしくはすっかり忘れて)声をかけてきたさつきと、目を合わせないままですれちがった。水飲み場で手を洗っていたさつきは、オレを見つけると飛び跳ねるようにして話しかけてきたが、オレはとにかくすたすたとその場を離れて聞こえないふりを決め込んだ。スカートからハンカチを取り出したさつきの、笑顔が消えていくのが気配で分かったけど、普通じゃねえ、普通じゃねえ、と念じることで、気にしないようにする。固形石鹸の甘いにおいが、鼻の中にしばらく残った。舌打ちする。
 ムカついた。でも何にムカついてんか、自分で分かんねー。

「今日の青峰くんは、普通じゃないです」

 部活のミニゲーム中、休憩組のテツと二人でステージに寄りかかってドリンクを飲んでいた。隣のテツは今にも吐きそうに青白い顔をしていて、特にうるせえスキール音が鳴るたび「うっ」とえずいている。洗面器を抱えて口元を押さえながら、それでもテツは言った。

「はあ? 『今日のオレ』が普通じゃねえの?」
「はい。『今日の青峰くん』がです」

 イミフだ。だって「今日のオレ」は、「普通」をやろうとしてたんだから。

「さっきドリンクを受け取る時も、わざと桃井さんとは別の人からもらってましたよね」

 テツの視線は、コートの外でバインダーを持って立ってるさつきに向けられている。さつきの隣にはコーチがいて、何か指示されてはそれをメモっているらしかった。また、あの謎のムカつきが湧いてくる。

「それは普通じゃないです。避けることは」

 コートの内側で、マークにつかれた赤司が、流れるような動作でドリブルからワンハンドパスを繰り出した。受け取った緑間が3Pを決める。

「今日の青峰くんが、みなさんの言うような『普通』になろうとしていたのは知ってます。けどそれで桃井さんを避けては元も子もないんじゃないでしょうか。避けるのは、青峰くんが言われた『普通じゃない』よりも、もっと普通じゃないと思います」

 紫原がダルそうにアリウープを決めた。さつきは、スコアボードを操作している他のマネージャーのそばに、いつのまにか移動していた。何かしゃべり出したっぽくて、オレのムカつきはますますひどくなる。
 つったってよ、じゃあどうすりゃ「普通」になるんだよ。
 教科書の貸し借りとかドリンクもらうのはセーフなら、どっからがアウトなんだ。一緒に登下校することか? 菓子をせびりに行くことか? 休み時間に廊下でなんとなく、ダベることか?
 オレにとってはそのどれも、「普通」なのに。

「待ってよ青峰くん!」

 部活が終わって自主練して、帰ろうとして校門を出たらさつきが追いかけてきた。無視してどんどん歩き続ける。ただでさえオレとさつきは歩幅が違うのに、そのうえオレが早足になってるもんだからさつきは走ってついてきているらしい。ぜえぜえと息を切らせながら「青峰くんてば!」と叫んでいる。今この瞬間、オレのイライラとムカつきはマックスだ。

「ねえ青峰くんっ、」
「うるせえな!」

 立ち止まって振り返る。赤い、もこもこしたマフラーを巻いているさつきは、オレの怒鳴り声にびくっとすくんだ。

「話しかけんなって言っただろ! ついてくんなって!」

 中学の周りは住宅街で、車の通りはあるけどわりと静かだ。灯りも少ないから、さつきの顔もちょっと灰色がかって見える。そのまま睨んでいると、さつきの目尻にじわじわと涙が溜まっていって、あ、やべ、と思った時にはもう遅かった。

「なによ! 青峰くんのバカ!」

 オレの胸に向かって、さつきの握っていたペットボトルがぶん投げられた。にぶい音とともにオレの肋骨に激突したそれは、そのままアスファルトに落ちる。

「何が『話しかけんな』よ! 急にそんなこと言われたって、こっちだって困るんだから!」

 ずる、と洟を鳴らしたさつきの唇から、白い息がぶわっとこぼれた。

「怒ってもいいけど、なんで怒ってるのかちゃんと言ってよ。理由も言ってくれないまま避けられたって、どうしたらいいか分かんないじゃない」

 オレは、ペットボトルを拾い上げた。ホットのレモネード、見たことねえパッケージだからたぶん新作。だいぶぬるくなっちまってるけど、かろうじてまだあったかい。

「ついてくんなって言われたって、ついていくわよ。だって、いつもそうしてるし」

 ふ、とさつきがしゃくりあげた。

「急にどっか行っちゃわないでよ。普通にしててよううう」

 びええええ、と騒音レベルにどでかい声で泣き始めたさつきに、溜息が出た。両手で目をこすっているさつきの鼻先を、ペットボトルで小突く。オレを見上げたさつきに、訊いた。

「どうしたんだよ、これ」

 ほっぺたを真っ赤にさせたさつきは、答える。

「学校の自販機で見つけたの。青峰くん、新しいジュースが入ったらすぐ飲んでみるでしょ」

 それで追いかけてきたのかよ。つーかこれ飲みかけだし、お前もちょっと飲んだだろ。言ってやりたいことは山ほどあったけど、そのどれもオレは口にしないで、キャップをひねった。レモネードを飲む。甘さとすっぱさが七対三くらいで、まあ合格、ってな感じの味だった。そのまま全部飲む。さつきは何も言わないで、涙目のままオレを見ている。
 これは「普通じゃない」。いつだったか指摘されたことを、覚えている。「お前それ、カンセツキスじゃん」と。「付き合ってもねえのに普通やんねーよ」と。
 でも、目の前のさつきは何も言わない。

 ――普通にしててよううう。

 そう喚いたさつきが何も言わねえなら、きっとこれは「普通」だ。少なくとも、オレたちにとっては。

「なあさつき」

 飲み終わったペットボトルの口を、さつきの下唇にくっつけた。なに、とさつきは首をかしげる。

「お前の言う普通って、いつもオレたちがやってることか? 今日のオレは異常か?」

 訊きながら、さっきまでオレの中にあったイライラやムカつきが、もうなくなっていることに気づいた。すげえ簡単なことだったんじゃねえか、と自分で自分に笑える。つーかだせえ。
 つまりオレは、ないと腹が立つくらいに「さつき」が当たり前なんだ。

「そんなの、訊くまでもないでしょ」

 ちょっとふてくされたように、さつきは言った。それが全部だった。

「明日も朝、ちゃんと起こせよ」

 さつきのバッグにペットボトルを押し込んで、歩き出した。すぐに、さつきが隣に並ぶ。

「青峰くんが起きないと、私まで朝練遅刻しちゃうもんね」

 一緒に学校行くんだから。
 隣り合って帰りながら、明日の話をする。誰がなんと言おうとそれがオレたちの「普通」なんだから、これでいいだろ。


up:2017.11.07