series | ナノ

※アニメ75.5Qネタです。若干黒←桃要素あり



 コートの中で、大ちゃんときーちゃんが1on1をしている。その向こうにはうつぶせに倒れているテツくんがいて、彼の頭にタオルをかけてあげているのがムッくん、みんなと少し離れたところでドリンクを飲んでいるのが、ミドリン。

「休憩と言ったのにまるで休憩する気がないな、あいつらは」

 ゴール下でじゃれ合っている大ちゃんときーちゃんを見つめながら、赤司くんが苦笑した。「そうだねえ」なんて答えながら、私は脚を曲げたり伸ばしたりする。

「中学の時も、どこにそんな体力があるのーってくらいずっとやってたもんね」

「体育館閉めるぞ、と言っても『もっかいやったら帰るんで!』と聞かなかったりもしていたな」と目を細めた赤司くんの前髪が、風でふわふわしていた。明日から二月になるんだってことを思い出させるような寒風で、さっきまでだらだらと汗を流していたのがうそだったみたいに、体が冷めていく。ベンチに腰掛けた私と赤司くんの間には、みんなが持ってきたエナメルバッグが置かれていた。
 テツくんの誕生日にみんなでバスケをやることを思いついて、こうして今ここにいるわけだけど、嬉しさと同時に、なんだか真綿の上を歩いているような現実感のなさがずっと消えなかった。ムッくんが赤司くんに対抗心を燃やして、ミドリンがきーちゃんにパスを出して、大ちゃんとテツくんがこぶしを合わせている。何かをきっかけにふっと目が覚めて「ああ夢だったんだ」ってなってもおかしくないような、ずっとずっとほしかったけど、手に入るのはずっとずっと先のことになるような気がしていた、光景。
 でも今私の手の中にあるドリンクボトルの感触も、鼓膜を満たすみんなの声も、うなじに射す太陽のほんのりとしたあったかさも、確かめられる。夢じゃない。

「青峰も黒子も、とても楽しそうだね」

 桃井にはそれが一番喜ばしいことだろう、とでも言いたげなやわらかい瞳で、赤司くんが私を見た。私は恥ずかしくなって、あはは、とごまかすように笑ってしまう。本当に、赤司くんにはなんでもお見通しなんだ。

「みんな楽しんでくれてるならいいな。企画した甲斐があるよ」
「楽しんでいるさ、とてもね」
「赤司くんも?」
「もちろん」

 ならよかった、と私は頬を掻いた。中学生の時、赤司くんとはスカウティングやデータ収集のことでわりとよく話していた、んだけど、こういったとりとめのない会話はあんまりした覚えがないから、意味もなく緊張してしまう。近寄りがたい、とは違うけど、ゆるぎないような雰囲気を赤司くんはまとっていて、だからやっぱり赤司くんは「赤司くん」って感じがする。他のみんなみたいに愛称をつけて呼ぶべき人ではないような、そんな気がする。
 きーちゃんの手からはじかれたボールが、赤司くんの足元に転がってきた。バウンズパスの要領で、赤司くんはそれを送り返す。

「私も楽しいよ」

 アリウープをするのに「どちらがゴールに叩き込む役割を担うか」でわーわーと揉め出してしまった大ちゃんときーちゃんを、疲れきったような目で眺めながらムッくんがお菓子を食べていた。口を開いた私の方へ、赤司くんが視線をくれる。

「みんなと一緒にいられるんだもん。すっごく楽しい」

 寝転がっていたテツくんはいつのまにかミドリンの隣に移動していて、二人してコートの隅に座り込んでいた。なんだか珍しい組み合わせ。「菓子をこぼすな」とミドリンがムッくんに注意しているけど、ムッくんは全く意に介さずにまいう棒をかじっている。みんな、変わったところもいっぱいあるけど、変わっていないところもあった。そのどちらもが、とってもいとおしい。
 私もみんなも、過去に戻ることはできないししないけれど、でもそれはなかったことにしてしまうこととイコールじゃない。前へ進みながらも捨てずに抱えていけるものがあるんだって、今日、実感できた気がする。

「そうだ赤司くん。さっきありがとね、私にもバスケさせてくれて」

 変な感傷に浸ってしまったことが照れくさくて振り払うように話題を変えると、赤司くんは「礼を言われるようなことじゃないよ」とつぶやいてから、目を伏せた。フェンスの隙間から入り込んできてしまったらしい緑色した葉っぱが、大ちゃんのバッグの上に落ちた。

「……オレは、あいつの考えていたこと全てを理解できてはいない」

 びゅうびゅううなる風の音に掻き消されてしまいそうな声だった。相槌は挟まないで、ほんの少し、赤司くんの方へ身を寄せる。

「だがそれは言い訳にはならない。あいつがオレの中に存在している以上、あいつの言動にはオレにも責任がある」

 腿の上で手を組んで、赤司くんは前を見据えていた。具体的に今ここにあるものじゃない、何か別次元のものを睨んでいるようだった。

「あいつは桃井を枠の外側に位置づけていた。オレたちとは異質のものとしてはじき出していた。謝罪するのはかえって失礼かもしれないが、それでも……すまなかった」

 切実に、実直に、見つめられて、思わず目線が下にさまよってしまった。パーカーの袖をぐっと引っ張って、手の甲まで隠す。

「そんな。気にしてないよ」

 早口で伝えた言葉は本心だったけれど、それで納得してもらえるとも思えなかった。でも、他に言いようがない。目の前にいる赤司くんが「あいつ」――もう一人の赤司くんとは違う赤司くんである以上、今の赤司くんに非はないし、どちらにしても責める気持ちなんてどこにもなかった。
 ここにいない、もう一人の赤司くんが私をみんなとは違うものとして見ていたってことは、なんとなく分かっていた。みんなのことは名前で呼ぶのに私にはずっと「桃井」だったとか、そういう些細な部分から、それは窺い知れた。でもしょうがない、私は選手じゃないから、みんなと完全に同じにはなれない。なれないから、私は私にできることを取り組もうとしてきた。もし選手だったら、とか、考えないこともなかったけど、そんなどうしようもないことで落ち込んでいる暇があったらみんなのために動きたかった。
 さみしくなかった、わけじゃない。けれどそんなさみしさも不安も涙も、今この瞬間のときめきが全部埋め尽くして帳消しにしようとしてくれている。テツくんときーちゃんとミドリンと大ちゃんとムッくんと赤司くんが一緒にいる、今この瞬間のきらめきが。

「ほら赤司くん、今日はしんみりモードはなしだよ! テツくんの誕生日だもん」

 ちょっとわざとらしいくらいに声を明るくして赤司くんの背中をぽんと叩いたら、そうだね、と赤司くんが微笑んだ。それから赤司くんは背筋を張って、口を開く。

「桃井がいれば、オレたちはいつでも繋がれる」

 改めてそんなことを言うものだから、聞いてるこっちが気恥ずかしくなってしまった。「そんな、大袈裟だよ」と口走ってしまう。

「そんなことはない。なあ黒子」
「はい」
「きゃあっ!」

 いつのまに移動してきたのか、私たちの後ろにテツくんが立っていた。気配なんて全くなかったはずなのに気づいていたあたり、さすが赤司くん。

「今日こうしてみんなとバスケできたのも、桃井さんが呼びかけてくださったおかげです。ありがとうございます」

 丁寧に頭を下げるテツくんに「そんなそんなっ、私もみんなに会いたかったし」と恐縮してしまった。私とテツくんを見比べる赤司くんの、瞳は穏やかで温かくて、なんだかますますほっぺたが熱くなる。しどろもどろになった私に、テツくんは不思議そうに首をかしげていたけど、赤司くんはやっぱり何もかも見透かしたような表情をして笑っていた。
 大ちゃんときーちゃんに手招きされたテツくんがそっちへ行ってしまうと、私の口からは自然、ほっと溜息が漏れた。それを聞いた赤司くんが、私の顔を覗き込んでくる。

「黒子がいなくなって気が抜けたかい?」

 落ち着きかけていた心臓が、バネで飛ばされたみたいに跳ね上がった。

「そ、そういう意味じゃないから!」
「そうなのか?」
「そうだよ! もう!」

「赤司くんてそういうこと言う人だったっけ?」と少しむくれながら問うと、「心境の変化さ」と答えになっているようないないような返事をもらってしまった。「女の子をからかう」なんて心境の変化いらないよ、という文句の代わりの、仕返しをする。

「赤司くん、前髪短くなったよね」
「ああ、あいつが自分で切ったんだ。バスケするにはいいが、やはり少し心もとない気はするね」

 そう言って前髪にふれようとした赤司くんの、一歩先に私が手を伸ばした。えいっ、と勢いをつけて、赤司くんの前髪をくしゃくしゃと撫でる。

「どう、どきっとした?」

 手は離してから尋ねると、赤司くんは普段決して見せないような、ぽかんとした顔をしていた。

「……驚いた」

 間を開けてから、そう答える。「『驚いた』も広い意味では『どきっとした』だよね」と私が強引に結論づけると、赤司くんにも火がついてしまったのか、ちょっとむっとしたように眉を寄せた。

「オレと張り合うつもりかい?」
「負けっぱなしはいやだもん」
「だったら言わせてもらうが、桃井がオレたちそれぞれと平等に繋がっているというのは気に入らないね」

 どういうこと? と赤司くんを見ると、あくまで冷静に赤司くんは言った。

「『オレたちの桃井』ではなく『オレだけの桃井』になってくれるのが最も望ましいんだが」

 どん、と音がして、次いで「あー!」という悲鳴が聞こえた。赤司くんの向こう側できーちゃんが「また負けたんスけど!」と騒いでいる。でも、そんなことには一切頓着せず赤司くんは私の反応を待っていて、それで私はじわじわと、赤司くんの発言を私の内側へとしみ込ませていった。
 オレだけの、桃井。
 心臓が爆発するかと思った。

「うううう、うそっ」
「うそではない。オレはずっとそう望んでいたが、桃井が気がつかなかっただけだ」

 脚を組んで私を見つめている赤司くんには、悠然と、という表現がすごく似合う。うそっ、うそっ、ともうまともな返答になっていない私の発言を、赤司くんは涼しげな様子で一蹴していた。パニック状態になってしまった私の思考の中、ある一点だけが不自然なくらいの熱量でもって光っている。
 赤司くんが、私を、好き?

「ででででも、そんなの、初めて聞いたよっ!?」
「それはそうだろう、冗談だからね」

 言った、赤司くんはふっと噴き出した。いい加減こらえきれなくなった、といったように声をあげて笑い始めた彼に、私の頬は、さっきとは別の作用で爆発する。

「じょっ、冗談って。笑えないよ!」
「よく言われる」

 こぶしの、親指側を口元に添えて、赤司くんは笑っていた。ひどい、ほんとにびっくりしたのに、と抗議を投げつける私の吐く息は真っ白で、ほてりすぎた体から発散される湯気みたいだった。
 ひとしきり笑ったあと、「余裕」という言葉を顔に貼りつけて、赤司くんは宣言した。

「勝利は渡さないよ。そう簡単にはね」

 さあゲームを再開しようか、と立ち上がった赤司くんは、みんなに指示を出した。まるっきり休んでいないはずのきーちゃんがいの一番に気合のこもった返事をして、そのあとでミドリンも立ち上がる。大ちゃんは人差し指の上でボールを回していて、大ちゃんたちの1on1にむりやり参加させられていたテツくんは、すでに疲労困憊、といった様子だった。「めんどくさー」といつまでもお菓子を食べていたムッくんが、次の見学者に指名されていた。

「さっちーん、試合するってよー」

 のそのそと歩いてきたムッくんに慌ててベンチを譲って、コートのラインをまたぐ。くじ引きをしているみんなのもとへ駆け寄ると、まっさきに赤司くんが私を見つけた。

「桃井。まだ顔が赤いようだが、大丈夫かい?」

 いたずらっ子のような目をして訊いてくる赤司くんに、私はわざと、そっぽを向いてみせる。

「いいの、ゲームでは勝つから」

 ふてくされた子どもそのもの、といったような声が出て、自分で自分がおかしかった。あはっ、と笑ってしまった私に、赤司くんがくじを差し出す。
 赤司くんと同じチームになりませんように、と念じながら、私はそれを引いた。


up:2017.11.05