story | ナノ

 ゴールにボールを叩き込んだ青峰の背中は、体格も肩幅もオレと大して変わらないはずなのに、やたらと頑強で圧倒的に見えた。
 青峰の着地と同時にブザーが鳴って、ミニゲームの終了を知らせた。スキール音やかけ声のやんだコートを後にするオレたちと、入れ違いでまた別の部員たちがコートに入っていく。休む間もなく、体育館は再び熱気に包まれていった。
「どうやった、青峰は」
 ステージ脇でドリンクを飲んでいたオレに、声をかけてきたのは今吉だった。オレは体育館を見渡して、すでにどこにも青峰の姿がないことを確認してから溜息を吐く。
「見たまんまだよ」
 なんの気まぐれか珍しく練習に顔を出した青峰は、さっきのミニゲーム、ラスト三分からオレのいたチームに参加した。やつが入ると、ボールは自然やつに集まる。結局青峰は、それまで劣勢だったゲームを軽々と覆して、一人で二十点近く決めてしまった。
 隣の今吉は、始まったばかりのミニゲームを眺めながら目を細めていた(元々狐目だから、変化がすっげえ分かりづれえけど)。ゆるゆると顎を撫でながら、相変わらず何か企んでるような表情をしている。オレはげんなりして、コートに視線を戻した。コートの中ではちょうど、青峰を除けば最も注目されている一年、桜井にボールが回ったところだった。そのまま桜井は、ためらいもなにもなさそうに早撃ちを繰り出す。スウィッシュするとどよめきのような歓声があがって、得点板の数字が動いた。
「頼もしいなぁ」
 そばの扉から侵入してきた弱い風に、汗を冷やされながらオレは今吉の言葉を聞いていた。
「青峰がいればうちは負けん」
 今吉はコートを見ているのに、意識はなぜかオレだけを窺っていた。GWを過ぎたばかりの外気には、もうべったりとした湿気が含まれている。そろそろブレザーを脱ぎ捨てていい季節かもしれない。
「絶対にや」
 そこでやっとオレを見た今吉の、口角はぐんとつりあがっていた。さも面白いものを発見したみたいな顔で、眼鏡の奥からいやらしくオレを覗き込んでいる。オレの中の、底の底、心臓の裏っかわまでを見通そうとするまなざしから、逃げるようにオレは目を背けてしまった。そんなことしたら負けだって分かってんのに、くそ。


 キセキの世代のエースを桐皇が獲得した。
 その一報が入ってから、うちはてんてこまいだった。青峰大輝を受け入れる体制を整えようとする、その竜巻のような慌ただしさに、オレは思いっきり飲み込まれて巻き込まれた。具体的に言うと、PFからSFにポジションを変更した。お前はオールラウンダーだからどこでもやっていける、桐皇にはお前の力が必要だ、とかなんとか監督や今吉に説かれたら従うしかなかったし、実際試合に出られないよりは出られた方がいい。コンバートは結局、オレの意思だった。それによって本来SFだったやつの場所を奪うことになるとか、そういうことはあまり考えないようにした。うちは実力主義のチームだ、オレだって常に脅かされている。
 でも、そうやって色々準備した末に、いざ入部してきた青峰はとんでもないやつだった。青峰をうちに引っ張ってきた条件、「練習には出ない。試合には出る」は副主将であるオレにも聞かされていたけど、マジで練習はサボるし、ミーティングには来ねえし、試合にすら遅刻の常習。今までの練習試合であいつが最初から最後まで真面目にプレイしたことなど、一度もない。
 コートに立ちさえすれば、誰もが口をつぐんでしまうほどの実力と才能を見せつける青峰とはいえ、そんな普段の言動に部員の一部からは確実に反感を買っていた。特にひどいのは若松で、あからさまな敵愾心を剥き出しにしている。そのほかにもちらちらと青峰を非難する声は存在しているが、主将の今吉は全く取り合わずに「青峰には何も言うな」と諭すばかりだった。それどころか「最強は青峰や」なんつってしきりに持ち上げている。おかげで部員の不満は、最近もれなくオレに集中砲火だった。
「あの野郎、今日五分も練習してねえっすよ!」
 練習後の部室で、若松はこめかみに青筋を立てながらTシャツを脱いだ。若松の声はでかいから、着替え途中の部員たちもなんとなくやつに注目する。監督と話があるとかで、今吉は不在だった。
「主将もなんであんなん放し飼いにしてんすか! あのガキ、一回ガツンと言ってやんねえと分かんねんすよ!」
 すえたにおいのこもる部室を、怒鳴り声が震わせる。若松の奥では桜井が「スイマセンスイマセン」と謝り倒していた。「オメェが謝んな!」と若松に一喝されると、涙目になってさらに激しく頭を上下させる。
「諏佐さんもそう思わねえっすか!? 主将、青峰に対してなんか甘ェって!」
「さあな。あいつの考えてることなんてあいつにしか分かんねえよ」
 ロッカーを閉じながら答えてやると、若松は「あー!」だの「くそっ!」だのぶつくさと悪態を吐きながら制服のベルトを締めた。その、若松の空気は伝染して、部屋の隅でくっちゃべっていたやつらやベンチで携帯をいじっていたやつらにも、新雪に絵の具の色水を落としたみたいにじわじわと「青峰ムカつく」という雰囲気が広がっていく。桜井だけは相変わらずおどおどとして目を伏せていたが、オレは諸々全部を蹴散らして部室を出た。疲れる。
 体育館を覗くと今吉はまだそこにいて、一人でステージに向かっていた。オレの足音に気づくと振り返って「おー諏佐」とのんきに片手をあげる。
「おー、じゃねえよ。なにやってんだ」
「ん、桃井の書いた部誌読んどったんや」
 そう言って、ステージに頬杖をついた今吉はシャーペンでノートをつついた。横に並ぶと、まだ練習着姿の今吉からふっと汗のにおいが押し寄せてくる。体臭というよりは水みたいに薄口で、なんつーか人間味があんまりない。
「部内全体だけやない、部員一人一人までよく見とる。優秀なマネージャーさんやで」
「ふうん……」
「ま、青峰の手綱握ってくれるんで、そういう意味でも助かっとるしな」
 わはは、とわざとらしく笑ってペン回しをする今吉を、オレは見下ろした。こいつのことだから、部内に青峰への反発心が少なからず蓄積していることに、無自覚でいるはずがない。それなのにいつまでもすっとぼけてみせる今吉に少し苛立って、オレは切り出した。
「その青峰だけど、なんか結構恨まれてんぞ」
 ステージの照明は落とされているから、コートに背を向けた今吉は全体的に陰って見える。ゆっくりとオレを見上げた今吉から、笑顔は消え失せていた。
「生意気とかなんとか。お前の対応も甘すぎるってよ」
 体を反転させて、オレは背中からステージに凭れた。ワックスでてろてろ輝く床を、つまさきで小突く。
「若松とか特にフラストレーション溜まってるみてえだし。いい加減、なんとかした方がいいんじゃねえの」
 オレの意見を聞いた今吉は、三秒くらい沈黙したあとで「わはははっ」と軽くのけぞって大笑った。あくまで不真面目な態度を貫く今吉に、胸を悪くして睨んでやった瞬間、勢いよくネクタイを引かれる。
「ちゃうやろ諏佐」
 鼻先同士が触れ合うくらいの距離間で、今吉は言った。真顔だった。
「『若松が』やない。『みんなが』やない。それは、諏佐の意思や」
 低音でしゃべる今吉の、呼気がオレの顔面に当たって熱を持たせる。額の毛穴から、部活の時とはまた違った種類の汗が一粒、噴き出した気がした。
「諏佐は、自分が不満なんや。自分が、青峰を許せへんだけやろが」
 乱暴にネクタイを解放されたオレは、半歩後ろによろめいた。今吉はもう普段通りのうそくさい笑顔を貼りつけていて、オレの頬に、シャーペンの尻をぶっ刺す。
「なあ、諏佐?」


 翌日のSHR前、清掃の時間、中庭に青峰と桃井の姿を発見した。オレの班が清掃を担当している保健室は北校舎にあって、中庭に面している。オレは掃き出し窓を出てすぐのスポットを、竹箒で掃いていた。
「青峰くん! 今日は週末の練習試合のミーティングあるんだから、ちゃんと来てね!」
 ちりとりを振り回している桃井は中庭の清掃担当なんだろうが、その足元で寝っ転がっている青峰は、おそらく掃除もサボってんだろう。オレの位置からそれほど離れていない桜の木の下で、二人は派手な攻防を繰り広げていた。周囲の視線をほぼ一身に引きつけてるっつうのに、まるで意に介していない。
「うっせー。ンなの必要ねえっつってんだろ」
「またそういうこと言う! 青峰くんのためだけに試合やってるわけじゃないんだよ?」
 今日は風が強い。竹箒によって巻き上げられた砂ぼこりがさらわれて、中庭の芝生や木々に絡まっていった。それをぼんやりと見やりながら、オレは鼓膜だけに意識を傾ける。
「サボってばっかりで、チームの人に失礼だと思わないの? どんなに練習しても試合に出るのは全然練習しない青峰くんだなんて、怒られて当たり前じゃない!」
 桃井はオレに背中を見せているし、青峰のことだって、ここからじゃ表情までは判別できない。桃井の脚の肌色だけが、太陽を反射して光っていた。
「同じポジションの人のこと、ちょっとは考えなさいよ! 監督が教えてくれたけど、諏佐さんだって青峰くんのためにポジション変えたんだって聞いたよ?」
 不意打ちで自分の名前が飛び出したもんだから、オレはつい箒の柄に力を込めてしまった。手のひらが一気にべたつく。
「みんな青峰くんのために場所作ってくれてるの。そういうこと、ちゃんと自覚してよ!」
 耳元でうなり続けていた風音が、ふと途切れた。青峰の返答は、何か考えるような不自然な間を置いたあとで、廂の下に立っているオレのもとへと届いた。ごく小さく。
「ンなもん、オレより弱ェのがワリィんだろが」


 ムカつくに決まってんだろ。
 ついこの間までオレの手中にあった、PFというポジションも、スコアラーやエースといった肩書も、今はもう全部オレのものじゃなくて青峰のものだ。ろくに練習に来もしない、オレたちチームメイトのことなんてどうせ欠片も興味ねえんだろう、青峰の。なにもかも全部持っていかれて、その上でなめた態度を取り続ける後輩を完全に許容できるほどオレは心が広くないし、それなりのプライドだってある。
 ポジションより、肩書より、桐皇の勝利を選んだ。それについて後悔はない、つうかそんなもんを抱く隙もなく練習の毎日だった。そうやってオレや最上や、他のやつらも青峰のために必死にお膳立てしてやったんだ、いろんなもんを飲み込んで。
 でもその結果が、「オレより弱いのが悪い」。
 ムカつかないはずがねえし、才能とか実力とか、オレが考え得る限りの全てを所持している青峰がバスケに向かわないことも許せない。今吉の言った通りだ、オレはずっと、オレ自身の憤りを若松たちになすりつけていただけだった。
 青峰をまるごと許すなんてできない。……けど、でも、それ以上に、こんなことをぐだぐだと考えている自分が、どうやってもあいつに勝てない自分自身が、ほんとは一番ムカつく。


「あ、諏佐サンスイマセン! あの、青峰サン見ませんでしたか?」
 桜井に声をかけられたのは、一階の廊下を歩いていた時だった。昼休みになったばかりで、オレは購買や食堂を目指す一年連中の流れに逆らって校舎外の自販機に向かっていた。桜井は弁当箱を二つ抱えた状態で、窓からの陽光に茶髪を透かせてオレの前に立ちふさがる。
「いや、見てねえけど」
「そうですか……。スイマセン、ありがとうございました」
「探してんのか?」
 尋ねると、桜井は下がり眉をさらに垂らしてうなずいた。
「実はお弁当を作ってくるように頼まれてたんですけど……青峰サン、三限の体育に参加したっきり行方不明で……」
 泣く寸前みたいな声音でうつむかれてしまったら、協力しないわけにはいかない。オレは「青峰に会ったら言っとくわ」とだけ約束して桜井と別れた。そのまま渡り廊下に出て、体育館付近に設置された自販機に辿り着く。若松はここで牛乳ばっか買ってるよなあ、なんて思い出しながらパックの烏龍茶を購入したところで、どん、とくぐもった重い音が聞こえてきた。体育館の方から。
 本来の入口でないスチール扉が開放されていて、音はそこからこぼれていた。オレは屋根のある渡り廊下から一歩踏み出して、日なたに出る。ストローを挿入して一口嚥下した瞬間に、オレの目は意外なものを捉えた。
 体育館にいたのは、ボールを操る青峰だった。微風にひるがえるハンカチみたいに、軽々と全身をはずませ、レイアップを決める。制服かつ上履きなんて動きづれえだろうに、青峰にはそんなこと全く関係ないようだった。
「練習には来ねえのに、一人でバスケか」
 ドア口に寄りかかったまま声を飛ばすと、こっちに振り返った青峰は眉をひそめて「アンタ、」とうなった。
「弱すぎて相手にならないオレらとやるより、一人でじゃれてる方がマシってか?」
 つい、険のある言葉が口を突いて出てしまった。大人げねえな、と思ったけど、撤回はしない。オレは今吉みたいにはなれねえから。
 一瞬だけ驚いたように静止した青峰は、カハッ、と息だけで笑った。
「アンタでもそういうこと言うんだな」
 オレはストローを噛んでしまう。青峰は転がっていたボールを拾って、そのまま投げやりに、片手でシュートした。フリースローラインより遠い位置から放たれたボールは、まるでゴールの方から手を伸ばして待ち受けていたみたいに、簡単にネットをくぐり抜けた。ムカつく。
「桜井が探してたぞ」
 ボールのバウンドが収まってから、オレは言った。青峰は黙ってボールを拾って、今度はスリーポイントラインに立った。
「お前、人に弁当頼んどいて忘れてやるなよ」
「アンタ、コンバートしたんだって?」
 消灯されたままの薄暗い体育館、高窓からの淡い太陽光だけを浴びた青峰は、コートにぽっかりと浮かんでいた。オレに背中を向けたまま、お手本のようなシュートフォームでボールを送り出す。その行方を見届けることなく再びオレに振り返った青峰は、不遜に口の端をゆるませていた。
「ずいぶん期待されてんじゃん」
 青峰の後ろで、ボールはネットを一閃する。
 そのままオレの横を通り過ぎようとした青峰の、胸倉をオレは両手で引っ掴んでいた。落下した烏龍茶のパックが、足元でひしゃげる。
「それはお前だ」
 青峰は表情を変えず、ただじっとオレを見返していた。
「オレが期待されてるんじゃない。お前だよ、お前のために全部明け渡してやってんだよ。オレだけじゃねえ、他のやつらだってそうだ」
 袖まくりした腕の、筋肉が痙攣してくる。背後からスズメのまぬけな鳴き声が聞こえてきて、それが余計にオレを煽った。ぐっとYシャツの襟元を締め上げられても、青峰は鼻の辺りに一本縦じわを刻むだけでいる。青峰のにおいが、やたらと嗅覚にこびりついた。
「お前はオレたちなんてどうだっていいって思ってんだろうけどな、こっちはそうじゃねえんだよ。勝手ばっかしやがるお前のために我慢してるやつらだっていんだよ。もっとまともにっ、」
「よく分かんねえけど」
 オレを遮った青峰は、だるそうに頭を掻いて言い放った。
「そんなにいやならやめりゃいいんじゃねえの?」
 気づいた時には、オレは青峰を突き放して怒鳴り散らしていた。
「んなことできんなら最初っからここにいねえよ!」
 体の隅々、耳たぶの先までが焼かれたように熱い。体育館に反響したオレの声が消えるまでが、異様に長く感じられた。
 青峰はしばらく、目をわずかに見開いてオレを凝視していた。絶対そらしてやんねえ、と半ば意地になって睨み返していたオレだったけど、突然大声で笑い出した青峰に、さすがに動揺して喉が引きつってしまう。青峰は体を折り曲げんばかりに哄笑したあとで、普段の、不敵な笑みを見せた。
「オレに勝てるやつなんざいねえよ。……けど、」
 雲が動いたのか、日陰の部分に立っていたはずの青峰が、急に白く照らし出された。体育館に降る細かなほこりが、やつの前で次々ときらめいては散っていく。
「はなから諦めてるザコよりちったあマシだな、アンタ」
 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。青峰はやれやれとでも言いたげに肩を揉んでから、続ける。
「今吉サンがなんつってオレをスカウトしたのか、アンタだって知ってんだろ?」
 最強でいる覚悟ができたら、いれてやってもいい。
 そう発破をかけたと、いつだったか寮での夕飯時に告白された。やけに楽しそうにアジの骨をよけていた今吉の、箸さばきだけをなぜか鮮明に覚えている。
「オレは負けねえ」
 にやにやとだらしない顔とは裏腹に、そう断言する青峰の声は硬かった。
「なら、アンタらも――桐皇も負けねえ、ってことだろ」
 青峰がオレを見据える。オレの背後から吹き込んだ風が、青峰の短髪をやわらかく揺らしていた。口を開くことができないオレを、青峰は見つめ続けている。思わぬ鋭利さでもって。
 こいつは「自分」のことにしか関心がないんだと、オレは思っていた。でも。――違うのか?
「そこまでやー」
 芝居じみた声が聞こえた直後、うなじに冷たいものが突き刺さった。ひ、とかすかに悲鳴を漏らしてしまってから、反射的にうなじを隠して振り返ると、ドラマの刑事みたいに両手で水鉄砲を構えた今吉が、仁王立ちになってそこにいた。
「いやー一度やってみたかってん、こういうの」
 はっはー、と得意気な今吉は、扉の前にある段差を一息に跳んで館内に足を踏み入れた。オレの隣に並ぶ。
「今吉……」
 シャツの内側、背骨のくぼみに沿って流れ落ちていく水の感触が不快で(つうか襟んとこまでびちょびちょだし)、オレは今吉にすごんでみせた。それから青峰に「お前もっ。気づいてたんなら言えよっ」と文句をぶつけたが、青峰は右耳をほじくりながら「知らね」と吐き捨てただけだった。
「これなぁ、部室の段ボール箱ん中にあってん。いったい誰が持ち込んだんやろうなーこないなもん」
 訊いてもいないことをべらべらとしゃべる今吉に、付き合ってやる気力なんか湧かない。おおげさに溜息を吐いてやったオレと、今吉との間をぶち破って青峰は体育館を後にしていった。
「じゃーな、諏佐サン」
 と、オレの肩に軽くふれてから。
 青峰の背を見送っていたオレに、つと今吉は問うた。
「こないだの練習試合、なんで青峰が来ォへんかったか、知っとるか?」
 今吉と目を合わせても、やつは顔の左半分だけに外光を浴びながらオレの返事を待っているだけだった。オレはその場にしゃがみ込んで、烏龍茶のパックを拾う。
「……どうでもいいとか、ザコに興味はねえとかじゃねえの」
「『オレがいなくても勝てんだろ』」
 顔をあげる。今吉は水鉄砲の側面で手のひらをぽんぽん叩いていた。そうして例のうさんくさい笑顔で、オレを見下ろした。
「やって」
 噛みつぶされたストローを、指先でなぞる。はっ、とオレは、鼻で笑ってしまった。呆れ返る。
 ったく、どこまで生意気な一年坊主だよ。
「当たり前だろ。なめんなっての」
 烏龍茶はスラックスのポケットに仕舞って、青峰が放置していったボールを回収した。用具室を開けた今吉に向かってパスをする。ハーフコートの半分を縦断したボールは、小気味いい音をさせて今吉の両手に吸いついた。
「あーワシ、諏佐が青峰にパスなんかしよった日には、きっと泣いてまうなー」
 大仰にわめきながら、今吉はボールをカゴに放った。ぼん、とボール同士の激突した音が鳴る。やっぱり気づいてやがったか、とオレは苦笑した。練習中でも試合中でも、オレは青峰にパスを出したことがまだ一度もない。
「あーあ、だからお前はいやなんだ」
「ちょおっ、それひどない!?」
 諏佐ぁ、と駆け寄ってくる今吉を無視して体育館を出た。昼休みの終わりを告げるチャイムが響いて、ここから見える校舎内をいくつもの制服姿がばたばた行き交っていく。そういや桜井は青峰に弁当渡せたんかな、と疑問に思ったところで、さっき青峰に触られた右肩がむずがゆくなった。渡り廊下に着陸したオレの隣に、ほっ、と今吉が現れる。
 あいつも完全に「桐皇」を度外視してたわけじゃなかったってこととか、オレたちの実力を芥子粒程度かもしんねえけど認めてたってこととか、そもそもオレの名前を覚えてたんだってこととか、そんなんであいつをすっかり許せるほど、オレはやっぱり優しくない。だから、いつか絶対、ぎゃふんと言わせてやる――そんなガキくせえ決意を固めたところで、今吉が言った。
「実際『ぎゃふん』と言うやつなんかおらんと思うで?」
「…………」
 心を読むな。


 結局、オレのダサい意地やプライドなんて、長くは持たなかった。
 練習試合、最後の得点は、オレから青峰へのアリウープだった。一瞬のアイコンタクトののちオレがゴール方向に投げたボールを、青峰が叩き込んだ。ブザーによって、桐皇の勝利が確定する。ダブルスコア以上の点差がついていた。
「ナイスパスじゃん、セーンパイ」
 整列に向かっていたオレの肩を、後ろから組んできて青峰は言った。そのままするりと離れると、センターラインの方へ歩いていく。首筋の汗をぬぐった手首を若松にこすりつけて、案の定キレられている青峰は、今吉と同じように気づいていたみたいだ。馬鹿でサボリ魔で問題児のくせに、バスケに関してだけは異常に鋭い。オレはなんだか脱力して、でこを押さえてしまった。
「ほんっと、生意気だな……」
「せやなぁ、主将よりタッパある副主将なんて生意気やんなぁ」
 慌てて振り向くと、つうか振り向かなくても分かったけど、今吉がすぐ後ろに立っていた。肩をすくめながら「諏佐もそう思わん?」と訊いてきたので、「全っ然思わねえ」とあしらう。
 立ち止まっていた足をまた動かそうとしたところで、今吉がつぶやいた。
「ワシは似てると思うで、諏佐と青峰」
「はあっ?」
 これっぽっちも、もう全く意味不明なことを言い出した今吉に「どこがだよ」と迫ると、今吉はさっくりと笑って、言った。
「何があっても、バスケをやめられんとこ」
 早く整列しろ、とレフェリーが急かすから、オレは今吉に反論する暇もなかった。代わりにオレは、「お前もだろ」とか「オレが『馬鹿』みたいな言い方はやめろ」とかいう意味を肘の先端に込めて、今吉の脇腹を小突いた。「お前、やっぱ泣いてねえじゃん」と、指摘してやりながら。


up:2018.01.26