■ 頼むから

耳の良い己に届く程度の小さな声で、ぽそりと呟かれた「親」という言葉を最後に黙ってしまった才蔵を見て己の気持ちも沈んでいく。

またこの子供に、このような顔をさせる自分に嫌悪する。

……実を言えば、今己が背負っている翁の言った「親心」とやらに戸惑ったのは己もであった。
己はそういう気持ちで見ていたのだと、納得したのだ。

この感情は何と呼ぶものなのか分からない。
それはそうだろう。 そんな感情も、その他の感情も、今まで生きてきて持つ事も持ちたいと思った事も無かった。
もはや“生きてきて”という表現すら当てはめて良い物かというぐらいの、そんな薄っぺらな、空虚としか言い様の無い中身と生き方しか持っていなかった。

されるままに、させられるがままに。

命令と選択。
是か否か、陰と陽か程度の意思も、金次第で下す判断によって消されていく。
それで困った事など無かったし、選択を迫られ追い詰められ自害していく武士達は何と愚かで面倒な事か。

己のように、判断しなければ良いのに。
さすれば、もっと楽だろう。
この世に困る事など有りはしない。

――そう思っていたのに。

今現在、己は酷く困っている。
つい最近芽生えた己の物だと言えるこの心と思考には、少しばかり難しい。
どうすれば、笑ってくれる。
どうやれば、その曇った心と顔は晴れる。

父に、なってみたいと。
ちょうど水から空気がゴポリと音を立て飛び出すような感覚で、そう思った事がある。
あの城の上から見た親子のような姿に、己は憧れた。
自分でもなれるのだろうか、欠けたものや無くしたものを探し出せば、あんなふうに笑えるのだろうか。
あんなふうに、笑わせてやれるのだろうか。
才蔵を拾い、少しだけ“笑う”という事を知った己ではまだまだ足りない。
目覚めたばかりの“思考”ではまだまだ少ない。

世の“父”と呼ばれる存在はどうやっているのだろう。
どうするものなのだろう。


どうすれば、“父”になれる。


片腕で背負った翁を支え、もう片方の腕を伸ばし俯く子供の頭をくしゃりと撫でる。
相変わらず曇った顔で見上げてくる才蔵は、己の顔を見て驚いた表情をした。
それを気にせず己は撫で続ける。
これ以外、何をするものなのか己は分からない。頼むから、笑ってくれないだろうか。

でなければ、そろそろ己らしくない“満面の笑み”とやらが引きつってしまいそうだ。

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