木一、若干メルヘンチック



















木原が研究所から出て行くことになった。追い出されるわけでも辞めるわけでもなく、むしろそれには名誉な理由がある。今より設備も整った良い研究所から、いわゆるスカウトが来たのだ。木原をよく思っていない研究員たちは影で大喜びをしてたが、お偉い人からしてみれば優秀な人材を手放したくないらしく、最後まで説得をしていた。答えも意志もいつだって変わらないのに。しかし、誰にも言っていない事柄を木原はいつまでも気にかけていた。


「木原くゥン?追い出されるンだって?」


ギャッハハ、と。人を小馬鹿にしたような笑い声が廊下の向こう側から聞こえてくる。見ると真っ白な身体に入院患者が着ていそうパジャマを着せられた人影がこちらにゆっくりと近づいてきていた。細い腕には点滴がしてあり、端から見ればただの弱々しい少年だが、この研究所にいる人間――いや、能力開発に関わる研究者なら見ただけで背筋を凍らせるであろう能力者。


「一方通行…。まだ出歩くなって言っただろうが」
「誰がテメェの言いなりになンかなるか」


荷物をまとめて今まさにこの場所に別れを告げようとしていた木原は、一方通行の足元を指差す。
「せめてスリッパくらい履け」
「あ…」
すっかり忘れていたような間抜けな声が漏れる。ほんの一瞬だけ見せたあどけない表情はやはりただの少年のものだが、木原しか知らないことに小さな優越感を覚える。カツカツと、革靴の底で廊下を叩く音を響かせながら穏やかだった時間は急に速度を早めた。一方通行の横でその音は止まったのに、今度は鼓動が気持ちを置いて先走ってしまっている気がした。


「お見送りご苦労さん」


真っ白な髪が節くれ立った指で乱されていく。点滴によって血管に入り込んでくる能力抑制剤のせいで、反射が使えない一方通行は顔をしかめた。そんなことは言い訳であることは、木原だって一方通行自身だって分かっているが口に出したりはしない。言ってしまったら、そこで何もかも終わる気がした。

「なぁ、一方通行…俺、」

木原の言葉が途中で止まる。時間だけが、この長い廊下をただ真っ直ぐに先へ先へと進んでいるような錯覚。静かで、何もない場所にタイムリミットを告げる何かが見えた。それも、錯覚。
木原が気にしている唯一の事柄――それは紛れもなくこの白く弱く小さな少年のこと。たくさんの話をした。皮肉なことばかりだったが、一方通行が1番会話をした研究者は間違いなく木原数多だ。それでも、お互いに言っていないことがあった。何もかもをさらけ出していたわけではないが、大事なことを言っていない。それは言葉にしなくても分かっている想い、それでも今ここで言葉にしなければ無かったことになる想い。


「俺…さぁ、」
「何だよ、気持ち悪ィ。さっさと言え」
「……あっちの研究所では、上手くやっていけっかなー」


明るく大きめの声が廊下に響いた。時間が戻ってきたような気がしたが、そもそも全てが錯覚。無かったことだ。一方通行は今までで1番感情的な瞳で木原を睨みつけた。




「いくじなし」




その眼光にどんな感情が込められていたのか、木原には想像ができなかった。自分自身は、あんな立場を経験したことがないのだ。ただ、あの場面を一生忘れることはできないだろう。たった一言かけられた言葉は移動についての皮肉めいた激励だったのか、それとも本当に木原を見限ったからなのか、それすらも分からない。できれば、この先も分かりたくはないと願ってしまった。




20111125FRI


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テーマ「人外ファンタジー」
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