「駄目よ、これはあなたのじゃないのよ」


ずっとザンザスの足元で大人しく眠りこけていた筈のベスターはどうやらキッチンにいるらしい。何かに誘われる様に自身の主の部屋から飛び出して行った後を追えば、立ち込める香ばしさにザンザスは納得した。
なまえは愛する夫、ザンザスの為に七面鳥を焼いている所だったのだ。自分の誕生は自分で祝うものだと聞いた事のあったなまえは婚姻当初に随分と驚いたが、お祝いした人がお祝いしたっていいでしょと言って必ず誰かの誕生日には何か作っている。

「ベスター、いけないわ。あなたにはしょっぱ過ぎるでしょ」

毅然とベスターにキッチンから離れる様に促すも、効果をなさない。ベスターは紅色のビー玉の様に丸く透き通った瞳を輝かせ、しっぽを揺らしながらなまえが心折れるのを待つばかりだ。

「なまえを困らせるな」

腰に手を当てて怒っている妻に触れながらザンザスは困った自分の匣兵器に告げる。
逆らう事の出来ない主の登場にベスターは驚き、そそくさとしっぽを低くたらしキッチンの入り口へと出ていった。

「また作ってるのか」

「いいじゃない、お祝いしたいんだもの」

なまえはザンザスの手から離れて、オーブンを開けて付け合わせのじゃがいもやにんじんを入れていく。
ザンザスが自分の誕生日に無頓着なのは十分理解していた。現に未だに彼はこうしてなまえに言ってくるのだから。それでも彼女は怒らずにザンザスのお祝いをする。
愛する夫が今日までに無事に健康に過ごせて、また誕生日を一緒に迎えれた事を感謝したくなてたまらないのだ。

幸いな事になまえはザンザスの命の危機を目の当たりにした経験はない。時折大きな怪我はしていたが、出掛けたまま帰ってこない、というのもない。その度にどれほど尊い事なのかと感謝の気持ちでいっぱいになるのがなまえだった。

「・・・物好きな女だな」

「でも、私の七面鳥好きでしょ。ベスターには別のお肉をあげなくちゃね」

ザンザスの頬に口づけを落とし、なまえはほかの料理に取り掛かる。いつもならルッスーリアと一緒に用意をしていたが、今年は生憎どうしても外せない任務のせいで一人で誕生日の用意をしているのだ。
誕生日を祝われるのは未だにそわそわする、とザンザスは時折思う。確かにまだ幼かった頃は大勢に囲まれてお祝いされた記憶もあるが、今となっては不思議な日だという印象が強い。どちらかと言えば得意な日ではないかもしれない。まだ距離を近づけて日の浅いころ、ザンザスはなまえと森の中へ遊びに出かけたのを思い出す。

湖畔を覆い隠すようにして伸びた木々は渋みの含んだ緑色になり、じんわりと染まりあがった紅葉、足元には黄金に染まった葉が絨毯を作っていた。
繋がれる事に慣れていないなまえの手を握り、他愛もない話をし景色を楽しんだ。

『えっ今日、誕生日なんですか?』

ぱちくり、と瞳を大きく開けてなまえは驚いた。何にも用意していないと酷く焦ったがザンザスはそんなのお構いなしに湖に面して地面に座ってしまった。
屋敷に帰って何か作ればいいかもしれないが、別荘にやってきたのだ。今更戻って料理をといったところでシェフお手製のディナーは完成している。ザンザスはそんななまえの焦る気持ちもつゆ知らず、湖に映り、ゆっくりと揺れる紅葉を暫く眺めながらあくびをした時だった。

『お誕生日おめでとうございます』

花冠ならぬ、紅葉の冠である。後ろで乾いた葉っぱの音がよく聞こえていたとは思っていたがまさか、とザンザスは気の抜けた様に笑った。そして、この後の言葉を今でもはっきり覚えている。

『黄金に燃える世界の王様』

なまえは恥ずかしげもなく詩的な言葉を放ち、彼に紅葉の冠をかぶせた。自分の生まれた季節を神々しく形容され、むず痒い気持ちがザンザスの中で駆け巡ったが、不快な気持ちにはならなかった。感じたことのない様な、天使の羽がゆっくりと降りてくる様な、そんな気持ちだった。
黄金の絨毯の上で膝を折って自分に口づけをするなまえはとても可愛らしかったし、自分の最愛の彼女にこうしてお祝いされるのなら悪くないかもしれない、と誕生日を告げて良かったと思ったのも事実だ。
そして、別荘に戻りディナーを終えた後にカップケーキが出てきたのが予想外だったのは言うまでもない。
一体誰が置いたのか、小さなペールグリーンのロウソクをしっかりつけられたチョコレートのカップケーキが現れた。リング戦を共にした幹部達に囲まれているにも関わらず、肩をすくめるだけのザンザスになまえはそばで頬杖をついて笑って言った。

『お誕生日のお願いは?』

『ねえよ』

『じゃあお願いしてもいい?私が』

『好きにしろ』

彼のそっけない態度に不機嫌になる女は今まで幾人もいたが、なまえはふふふ、と嬉しそうに笑い柔らかく願った。

『ザンザスさんがこれからも健やかで、幸福でありますように』

祝福されている、きっとそうだろう。誕生日を祝う歌などない。静かな誕生日だった。それでも小さくゆらめく炎に願いが込められたせいか、炎は力強く輝き始めたように記憶されている。
願いを込めて火を消してしまうのは何だかんだ惜しい気がしたが、なまえが両手を組み祈りを捧げるがごとく火消しを待っていた。ならば、この愛おしい彼女とずっと添い遂げれるようにと願いを一人込め、火を消したのだった。


荒んだ時を過ごしてきたが、なまえは何も触れてこない。ザンザスの出自を尋ねてくることもしない。過去を知らなくとも、愛する人と人生を共有できる事はかけがえのない物なのだとなまえから、伝わってくるのだ。それはそれは彼女からの柔らかな愛の贈物だった。

「なまえ」

グレービーソースの味見をやめて振り返れば、ザンザスが彼女の腰に手を当てている。
言われなくともなまえは自分の夫が口づけを求めている事をすぐに理解した。長年の2人の眼差しの積み重ねだ。
火を急いで弱めて、ザンザスの口づけを受け入れる。ちゅっと音がならされ、キッチンの入り口で控えているベスターのしっぽが小さく横に振られた。

「王様はご機嫌ね」

「今すぐにでも食べたいぐらいだ」

「ふふふ、まだ駄目。みんなでお祝いしてからね」

黄金に燃えゆく世界の王様、大地に実りをもたらす季節、激しい夏と凍てつく冬の間に輝く秋だ。
なまえは自分のザンザスへの温かな気持ちが伝わっているのはわかっていたし、彼も心地よいと受け入れてくれていると知っていた。
だからどうか、今年もザンザスにとって溢れんばかりの幸福が訪れ、怪我無く末永く愛し合えますように、となまえは願う。
祝福の願いがたっぷりと込められた秋はザンザスの世界に黄金の薄日をもたらし、2人の永遠の愛を黄金に染め上げるのだった。




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