いつもなら怒られていたかもしれない。
きらはザンザスがぐっすりと眠っているのを良い事に、彼が気付かないようにそっと頭に触れた。細くはないしっかりとした漆黒の髪が静かに揺れる。今日は整髪料を着けていないのだろう、引っかかることもなく滑らかな指通りだ。起きて手ででも掴まれて睨まれてしまうかと思ったが、気付いていないらしい。
愛おしい人間に触れたいと思うのは自然の摂理だ。だから彼女がひと撫でで満足できる訳もなく、きらは何度も優しく彼の髪を撫でるように手で梳いた。

聞こえるのは冬の入りを予感させるような冷たい雨音と、ザンザスの穏やかな寝息だけである。ここの所随分と忙しいらしく屋敷を空ける事も多かった。久しぶりに顔を合わせ、思いっきり何か恋人らしい、恋人と言うには少し違う関係だが、何か恋人らしいことをするかもしれないと期待していたがそうはいかなかった。事実、こうしてザンザスはソファーで、それもきらの膝の上で眠りこけている。

ぼんやり、とザンザスの髪を見つめてきらはありもしない想像をした。
もし、この髪を夜空に例えたらどんな星が降るだろうか、と。
星一つなければ、否、星が一つだけでは決して明るく照らす事など出来ない程の暗さだ。
そんな漆黒の夜だ。どんな星が輝くだろうか。シリウスだったら十分に輝くだろうか。
焼き焦がすもの、という意味を持つけれどもきらは納得がいかないようで一人眉頭を寄せる。

「焼き焦がすのはシリウスじゃなくて」

きらは慌ててザンザスの髪から手を離して、口元を押え呼吸を止めた。これではまるで眠れる獅子の宝物を奪いに来た盗人である。彼女が実際に盗人であれば自身で立てた音に怯え動きを潜めている最中だった。ザンザスの眉が少しだけ不快そうに動いたが、起きない様だ。良かった、盗人の生命の危機は脱した。とはいっても、万が一にもきらがザンザスを起こしたとしても殴りかかる事はないのだが。

ふう、と肩を撫で下ろして今度はザンザスの背中に手を置いて、先ほどの思わず口走った後の言葉を考える。言葉を考えていた筈なのに頭の中で浮かんだのは暑い夏に見たザンザスの掌で輝いていた恒球である。ザンザスと過ごしてきた日々で恐ろしい出来事は沢山あった。彼自身によるものもあれば、外的なものによるものもあった。それでも、一際彼女
の記憶に強く恐ろしく残っているのは、何故だかザンザスのあの恒球なのだ。

夜明けを知らせる太陽でも、夜空を照らす恒星にもなり得ないだろう。
見たら最後だ。明ける筈の夜も明けない、そんな恒球だ。
それしか輝かない、と思ってしまった自分が居る事にきらはなんだか嫌な気持ちになった。小さくきらめく星等、彼の恒球を前にするよりも先に、赤い瞳に燃え尽くされてしまいそうな気もしたからだ。


「るせぇ」

「え?」

ぎゅう、ときらの太ももが強く握られた。まさか心の声でも聞こえたのだろうか、と不安になったが程なくしてザンザスの目覚めた理由がわかった。

「う゛ぉぉ゛い!!!」

ノックも無しに飛び込んできたのはスクアーロだ。よく響き渡る声である。ザンザスは目の前にあった雑誌を部下に向かって投げた。心地よく眠っていたのに最悪な目覚めなのだろう。

「何しやがんだぁ!!!」

「るせぇっつってんだろ」

きらの太ももを支点にするように苛立たし気にザンザスは起き上がる。レヴィが、と言いかけたスクアーロだったがザンザスがグラスを投げたせいでその言葉の続きは別の怒鳴り声となった。いつしか二人の言い合いはイタリア語へと変わり、いよいよきらには会話がわからない。よっぽどな事があったのだろうか、ザンザスはきらに目もくれずソファーに置いてあったジャケットを荒々しく奪いスクアーロと口論を続けたまま部屋を去ってしまったではないか。

突然訪れた嵐にきらは驚いたが、ザンザスの体温がまだ残る膝を抱えるようにして彼女もソファーで眠ることにした。


- ナノ -