すっぱり、と赤い空が切れているときらは思った。
夏が終わりまだそう時間は経っていない筈なのに、どうにも欧州の夏は逃げ足が速いらしい。あんなにも明るかった太陽は十七時の時点で顔を隠している。ついこの間までは夜の九時を過ぎても明るかったのに。いや、自分がそう思っているだけかもしれない、と彼女は窓辺から踵を返した。
「ボスから連絡は来た?」
「来たよ」
「何ですって?」
「服を選んどけだって」
きらは何の話?とルッスーリアの顔を見つめる。暫しの沈黙を経て、ルッスーリアはいやだわ、と自分を責めるようにして何か思い出した。
「スイスの近くにある、ボンゴレの別荘で小さな会合があるのよ。そこに行かなくちゃいけないの。ああ、いやだわ私ったら。きらちゃんのドレスを忘れるなんて」
そこまで聞いて、彼女は顔を顰めた。ボスの真似はしないでちょうだい!、そう言われ彼女は首根っこを掴まれるようにしてルッスーリアへ談話室から彼の自室へと連れて行かれてしまった。
太陽が顔を出す時間が短ければ短い程、こちらの人間は寂し気になるというがルッスーリアはそうでもないようだった。タブレットを取り出して、二人でソファーに腰を掛けて知り合いのスタイリストから貰ったというドレスワンピースの写真を沢山見せてくれる。
サングラスの下に隠れた瞳は見えないが、きらはルッスーリアが楽し気な事が嬉しくなった。
「ルッスーリアは、洋服が好きだね」
「好きよ。でも、きらちゃんのだから好きなのかもしれないわね」
「どうして?」
「好きに理由なんかないでしょ?」
かさつきなど感じさせない唇の両端を上げて、ルッスーリアは微笑んだ。
その翌日、イタリアにしては珍しく早く頼んだドレスが何点か届いた。長さの異なるドレスが何点もあるが、ルッスーリアはどれも楽しそうにきらに着せてくれた。
「一年てあっという間ね」
「そう?」
「だって、去年の今頃はきらちゃんが来る事が決まって大騒ぎだったもの」
「そうなんだ……」
きらはルッスーリアにドレスのファスナーを上げられながら、話の続きを聞いた。
「あなたが来てからは、本当に。一瞬だったわ。ボスが隣に立つ人がどんな女性か、心配だったわ」
「……嫌な気持ちにならなかった?」
これはきらがずっと気になっていた事だった。口にこそしてこなかったが、この屋敷にやってきた当初に感じていた視線は、確かに彼女を値踏みするようなものだった。
値踏み、というべきか。どういう言葉が正しいかはわからない。強いて言えば、自分が彼らにとっての安全たる人間なのか、を警戒されているように思えた。
「ならなかったわ。心地よい曇り空の日の子だと思ったわ」
「え、暗いってこと?」
「朗らかさはなかったでしょ?」
そう言われ、まあ確かに、ときらは肩を竦めてみせる。
着せられたドレスは足首が見えるくらいの長さで、首元までもしっかりと覆われているものだ。パールのネックレスかしら?とルッスーリアが独り言ちながら、アクセサリーボックスを開けては探した。
「曇りの日の柔らかな明るさって、お昼寝がしやすいでしょ。それにお洋服だって淡い色が綺麗に着れるじゃない?そんな子だと思ったわ」
首に形の揃ったパールのネックレスがかかった。
きらは自分の首元に虹がかかったようだ、と思った。太陽の様な笑顔を背負っている自分ではなかったが、そういう風に言ってもらえた事が嬉しかったのだ。
「じゃあ今は?」
「雪どけを知らせる冬の太陽ね」
その言葉にきらは微笑んだ。微笑んでいただけのつもりなのに、目じりの方から視界が歪んでくる。彼女は自分がいつの間にか、曇り空から雪をとかすくらいの太陽をこさえる人間になった事に嬉しくなった。どちらかと言えば、自分が誇らしく思えたのかもしれない。
「険しい山登りだったけど、後ろは振り返ってなかったのかしら」
「振り返らないようにしてたのかも」
「その間がない事もあるわね」
ルッスーリアは彼女の髪の毛を一まとめにして、ネックレスと同じパールの耳飾りを耳朶に優しく着けた。
「よく頑張ったわ」
「そう?」
「ここまでやってきたのは、他でもないきらちゃんなのよ。あなたが自分で歩んだのよ」
優しい言葉をかけてくれるくせに、ルッスーリアは厳しい所があった。例えば、このドレスはサンプルだから涙を落としちゃダメよ、なんて。
「目を上に向けて。泣くのは下着姿の時にしてちょうだい。このドレスはあまりにも優等生過ぎるわ」
気に入らなかったサンプルは返すらしい。きらは笑いながらごめんなさい、と言った。それから、ルッスーリアの言う通りに瞳を天井へと向ければ少し固いティッシュが目尻に当てが割れた。優しく、涙を拭ってくれている。勿論、この行動がさらに彼女の涙を誘ったのは言うまでもない。
「私はきらちゃんと出会えて良かったと思っているわ」
「……私も」
瞳に涙を滲ませられないせいか、声が涙で濡れていった。首元のパールのネックレスはもうないが、パールの耳飾りのような丸い涙が頬を滑りそうだ。ルッスーリアはステッリーナ、小さなお星様、ときらを呼びながら彼女を腕の中へ招き入れた。
自分の歩んだ日々は辛く暗く、悲しいものであった。それでも、歩んできた自分は誇らしげだ、ときらは思えた。そして、幼い頃の自分を想像しては、大丈夫だからね、と声をかけてあげたくなった。
生まれ育った国から遠いこの地で、彼女は銀色の雲がかかった冬の太陽を想像しながら親友の腕の中で目を瞑る。穏やかで暖かな感情に包まれながら。
「そういえば、ボスは腰のラインがわかるドレスが好きなのよ」
「えっ」