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それから、ザンザスとなまえは短いテキストメッセージを交わすようになりました。一日一通、今朝送ったものが日付の変わった後に返ってくるような連絡の取り方です。お互いを良く想い合ってるのに、中々歩み寄れなかった二人にとっては大きな一歩でしょう。一際なまえはそれを嬉しく思い、彼からメッセージが来るたびに、例えどんなに短くても嬉しい気持ちでいっぱいでした。勿論、ザンザスもなまえとどうにか連絡を取れた事で次に繋げれるだろう、と思い心の隅っこで安堵した気持ちが生まれました。けれどもそれだけでは恋は実りません。香しくも丸い恋の匂いを嗅ぎ取ったベルは再び行動に出る事にしたのです。

猫になったベルは今日も賢く、観光客に紛れてバスに乗ったりトラムに乗ったりしてはなまえの元へと通います。

「あらやだ、これってベルちゃんじゃない?」

「そうかぁ?」

「私があげた首輪をしてるのよ!でも、この子ったらどうして一人でトラムに乗ってるのかしら」

木でできたトラムの椅子に座って揺られる間、写真を撮られることは大いにありましたが、ベルは夢にも思わないでしょう。自分が写真や動画が投稿出来るソーシャルネットでこの観光地で出会える猫として少し有名になっている事を。
そして勿論、なまえもまさか今自分の部屋の窓を叩いている猫が、ベルがそんな風にやってきて存在を知らしめていただなんて知りません。

「まあ、お花!どうしたの」

なまえは嬉しい声をあげました。ベルが持ってきたのは、庭に綺麗に散っていたブーゲンビリアです。窓の外にいくつも並べられており、外から見ればおとぎ話の挿絵のような光景です。猫がするにはあまりも可愛らしいサプライズで、なまえは愛おしさでいっぱいになりました。ありがとう、と言ってベルの頭を撫でます。ベルは目を細めて、最初はそれを甘受しましたが、やっぱりベルです、もういい、と頭を横に振りました。

「今日も一人なの?」

「(まぁね)」

「自由ね。ザンザスは?」

ベルはなまえがこうして自分の目線に合わせて話しかけてくれるのが好きでした。意志がきちんと取れていない事はわかっています。それでも、頬杖をついて自身を見つめてくるなまえの瞳はたっぷりの茶葉で作られた紅茶に沈んでいくミルクのように優し気で、心の中に渦巻くどんよりとした雲の存在を忘れさせてくれそうなのです。例えば、猫のまま死んでしまうとか。

「(まだ寝てるんじゃね)」

「ホテルに連れて帰ったら怒る?ふふ、怒らないわね?
一緒にトラムに乗ってお散歩しましょう」

乗った事ある?と聞くなまえに、ベルは少し不満そうな表情をしてみせました。怖くないわよ、と彼女は言いますがそうではないのです。さっきも乗ってきたので飽きてしまったのです。トラムは観光場所を巡るので、時間がかかってしまいます。お腹もすいてきた今はちょっとつまならいのです。

「お水飲んで待っててね」

ベルはキッチンに降ろされ、水を小さなピンク色の舌で掬いながらなまえを待つことにしました。でも、別に喉も乾いていなかったので殆ど寝転がったままでした。湿気のない涼しい夏の午前です。瞼が次第に重くなり、目を瞑ろうとした時です。なまえが麦わら帽子を被って上から降りてきました。それでもベルは眠かったようで、なまえは子供の様に彼を抱き上げてトラムに乗り込みました。

「どうしてお前はすぐに外へ行くんだ」

ブラッドオレンジ色のトートバッグにトラムで自ら入り込んだのです。顔だけを器用に出したままのベルは聞き覚えのある声で目が覚めました。眉間に皺を刻んだザンザスです。
髪の毛のセットもしていないようで前髪は下ろしたままです。

「(だってなまえにキスしてほしいじゃん)」

「おい」

そんな二人のやりとりをなまえはただ見つめるだけですが、ベルが逃げ出してしまう猫でよかった、と密かに感謝していたのは間違いありません。