07
それでも空気を和ませようとしたのかなまえは花冠を作ってベルの頭に被せました。さっきとは違う、薄桃色の小さな花冠です。彼女の家を出る前に彼が頭を振って落としてしまったのですが、後を追うように歩いていたなまえが拾ってくれたおかげで置いて行かれてしまう事はありませんでした。おかげで少し立派な、そして華やかな二つに重なる花冠が出来上がったのです。なまえは目の前にいる可愛らしい猫に夢中でも、その猫であるベルはちっとも楽しくありません。
「(満足した?俺もういいんだけど)」
「あら、嫌になっちゃった?」
「(え、わかんじゃん)」
偶然だ、と言おうとした筈がザンザスは何も言えなくなってしまいました。
たしかに、偶然といえば偶然かもしれません。でも、わかったと言えばわかったのでしょう。ベルは花冠を被せられる、おままごとのような事などには飽きてしまったのですから。彼自身本来の性格かもしれませんし、猫になった故にその性質が出たのでしょうか。そして、ザンザスが閉口してしまった理由はネガティヴの意味で、という事ではありません。ピクニックラグの上に横たわって、ベルを見つめるなまえの表情があまりに優しく、麗しかったからです。
麗しい、という言葉がザンザスの心に浮かんでいるかはわかりません。ただ確かなのは、見て嫌な気持ちになっていないということと、自分もその眼差しを向けられたらどうなるか、という疑問なのです。
薄暗い海の底から上を、海面を見上げたような気持ちになるでしょうか。二度と出会えなぬ暖かさだったのかもしれませんし、忘れかけた暖かさなのかもしれませんし、はたまた、彼が探していた温かさなのかもしれません。
「綺麗な目をしてるのね、ベル。お日様をいっぱい吸い込んだ窓辺にある宝石みたい」
人間の姿では中々みられない瞳のことを褒められてベルはくすぐったい気持ちになりました。耳がぴこぴこ、と前後に細かく動きます。腹を見せていた姿勢から直ってなまえの方を向いては振り向いてザンザスを見ます。ザンザスは何も言ずになまえを見つめていました。
「(その目でボスのことみてよ)」
「なあに?」
囁くような小さな鳴き声です。風が湖面を叩いたせいでうまく聞こえなかったのでしょうか。よく聞こえるようになまえは顔を近づけました。ベルは爪を立てないようになまえの頬を前足で叩きました。
「おい」
ザンザスはベルを注意したつもりです。爪は立てていないのはわかっています、でも、日ごろから時折予想外の行動をする年下の子供でした。だから、まさか何か気でも変わったのかと驚きとっさに口を出してしまったのです。何せ、優し気にベルを見つめていたなまえの顔は彼の前足のせいで驚きの表情に変わったのですから。好きな女には危ない思いをして欲しくないのでしょう。
「人懐っこい子ね」
「(ちげぇから)」
しかし、ザンザスの心配をよそになまえはベルの柔らかくて小さな足を取って力を込めずに少しだけ、握りました。ピスタチオ色のマニキュアがよく似合う手です。猫の手の柔らかになまえは頬を緩ませました。そのなまえを見つめるザンザスの瞳の底にはどんな感情が潜んでいたか、それは猫になったベルにもわかりません。夏の力強い夕焼けが彼の眼差しと溶け込んで隠している様でした。
「今日はありがとう」
「ああ」
「ベル、また来てね。一人はだめよ」
楽しいピクニックも終わり、ザンザスはベルを助手席に少し荒っぽく投げ込みました。
お別れの挨拶をするもベルは耳の裏を後足でかくだけで何も言いません。
「こういう奴だ」
「猫だものね」
なんとも後味の悪い空気が流れます。ザンザスも何か言おうとしていますし、なまえも何か言葉を待つような、言いたげな空気です。唯一、猫のベルだけがそれを気に留めていません。恋のキューピッドであるべきなのですが、どうやらそれにも今だけ飽きてしまったようです。やっぱり今日も駄目か、とハンドルに手をかけた時です。
「・・・あなたも、また来てね」
ベルが乱暴に頭から振り落としたせいで地面に落ちた花冠なまえは手に持っています。まるでこの花が恋を叶えてくれるかのような、まじないがかった花のように、縋りつくように持っていました。緊張しているのだ、とザンザスは理解しました。
さっきまで眠ろうとしていたベルの目がまた、ぱちぱちと輝きだしたのは言わずもがなです。