06

妙に忙しかったのです。なまえとディナーをしてから不思議に忙しく、彼女に連絡しようにもどうも頭がそこまで回りませんでした。気の利いた一言でも送れば良かったのでしょう、けれども彼はただテキストメッセージを送り合うのは大の苦手でした。腹心の部下であるスクアーロは上手いことやれるようですが、時折恋人からいきなりすぎる!と怒られながらも、ザンザスはどうにも苦手でした。それに忙しさも相まってなまえの名前を押すのが億劫になってしまったのです。

あのディナーの帰り道、眠そうにしていた彼女はとても可愛らしくザンザスの記憶に残っています。半分眠っていたでしょう、寝顔は初めて見た時と変わらぬ穏やかさでした。彼女の家に着いて、起こしてやるのが惜しいくらいです。またね、と手を振る彼女の手を掴んで優しげな唇を汚してやりたい、なんて思いましたがそんな心はすぐに消えてしまいました。愛たい気持ちはあります。でも、どうしてか愛で方がわからないのです。

だからまさか、ベルがなまえの家に行ってしまったとは夢のような出来事でした。姿が見えずとも戻ってくるだろう、と悠長に構えていましたが、行った場所が恋煩うあの子の家だっただなんて。

「ベル、来たわよ」

サーモンピンクの小さな家、その庭には白い花々が植えられ、緑の蔦がスパイラルパーマのように家の屋根や壁を飾っています。
なまえに大人しく抱きかかえられたベルは花の国に迷い込んだようでした。何せ頭にはなまえお手製のフラワークラウンがつけられているのですから。

「・・・楽し気だな」

「王子様みたいでしょ」

「(いや、王子だし)」

きっとベルの首輪がなまえにそう思わせたのでしょう。腕の中にいるふわふわとした可愛らしい彼はつん、とおひげを上に向けてすまし顔をしました。ザンザスは小さくため息をつきますが、なまえの頬は緩やかに綻んでいます。

「・・・何か予定でもある?」

噂話を聞きつけたように、足元の白い花々が揺れます。ベルを連れて帰ろうと思っていたザンザスは不意を突かれたように二度程ばかり、瞬きをしました。彼がやってくる前に急いで直した化粧がなまえに勇気を与えたのかもしれません。

「もし何もなければ、お茶くらい」

猫になる呪いをかけられたばかりのベルの言葉がザンザスの頭の中で再生されます。なまえ本人の口から言われた訳でも、まだ口付けをされた訳ではないのですが、彼女は自分を好きだとザンザスは確信しました。
瞳の底は日に照らされた夏の湖の底よりも明るく、その瞳に吸い寄られてしまいそうなほどに透き通って見えます。

「(なまえ頑張るじゃん)」

自分の言葉がザンザス以外に聞こえないのを良いことにベルは喋りました。ただ可愛らしく鳴いた、としか認識していないでしょう。
白い花々の息の飲む音がしそうです。それは花だけではありません。なまえの腕の中のベルも同じでした。中々心を寄せる素振りを見せないザンザスに焦りを感じています。なにせ、ベルは人間に戻りたいのです。勿論、猫のままでいられたらザンザスも困りますし、死なれたらもっと困るでしょう。あの魔女はどうにもザンザスが苦手とする試練を当てたようです。

「どこか行くか」

白い花々が拍手をしたのでしょうか、それとも風が喜びを表したのでしょうか、湿り気のない風が彼らを包み込んでは草花の揺れる音がしました。!なまえは至極嬉しそうに笑ってから、お茶を詰めて湖までいきましょう、と提案しました。

「ベルにはミルクを少しね」

「(王子そろそろコーラとか飲みたいんだけど)」

少し不満げに鳴くベルをなまえはじっと見つめます。彼女の家から歩いて丘を下ること十分、この別荘地の目玉である麗しい湖のそばにやってきました。芝生の上に白地に青のストライプが入ったピクニックブランケットを広げて、その上に腰掛けています。

「お水がいい?」

「(もうどっちでもいいや)」

ザンザスはそんな二人のやりとりを何も言わず見つめるだけです。四角いバスケットの中から取り出されたプラスチックのカップを満たすのはなまえが朝作ったばかりだというアイスティーで、瑞々しいラズベリーやオレンジがパックの中から食べられるのを待ち構えています。

「お父様は元気にされてるの?」

「どうだろうな」

何気ない質問のつもりでした。ただの世間話の一つだったのですが、どうやらザンザスにとっては嫌な話題なのだとなまえは思いました。声が硬くなった気がしたのです。さっきまで柔らかな声音で、表示も柔らかだったのにどこか緊張が走ったように思えました。ベルもその緊張を感じ取ったのでしょう。寝転がったものの、大きな目を左右に動かして様子を伺います。一際ザンザスの方を見つめていました。

「花冠、作ったらしてくれる?」

「はあ?」

「(え?なに?やば)」

「ベルもほしい?」

いささか突飛な提案に思えます。なまえはうまく話題を変えることもできず、かと言ってただ沈黙に任せるだの、逸らすように他の話を振ることも出来ませんでした。とはいえ、花冠を誰もが恐れるザンザスにプレゼントしようと言うのです。こんな女が他にどこにいるでしょうか。少なくとも彼が出会ってきた女の中にはいませんでした。勿論、ベルもなまえの大胆な提案には驚いています。驚いたまま、思わず上がってしまった右足は半分に折れたままです。

「酒でも入ってんのか」

「入ってない!ただのお茶よ!」